和州独案内あるいは野菜大全

第一回奈良観光ソムリエであり、野菜のソムリエ(笑)でもある者の備忘録のようなもの。文章力をつける為の練習帳に

新世界より

2010年02月04日 | Weblog
  

 ロリン・マゼールの変態的な第九番「新世界より」をたまたま聴いてしまい悪酔いしてしまいました。口直しに聴いたチェリビダッケが逆に余りにも素晴らしく美しく、色々と思い出すことがありましたが、その一つが貴志祐介の「新世界より」です。

 (まだお読みでない方にはひどいネタバレになりますので、先に本をお読みになることを勧めます。)

 この本は数年前に刊行されたもので、当時余り評判が芳しくなかった記憶があったのですが、SF大賞を受賞していた事を最近知ってほっと胸をなでおろしています。貴志祐介の本はどれもお勧めですがこれは飛び抜けているというか、それまで刊行されたものに馴れた読者には戸惑いが大きかったのは、ジャンル的には初のSF作品だったからですが、個人的には貴志祐介版のライトノベルだと思いました。
 ライトノベルに定義があるわけではなく、文庫レーベルから出版された中高生向けの軽く読めるものに引っかかればそれがライトノベルだろう位のものですが、超能力や魔法といった特殊な能力を扱うものが多く、大人には少し読みづらいものであるのは確かです。でも馬鹿には出来ません。
 ライトノベルでは主人公の特殊能力を、世界は軽く受容してまるで無いもののように、ただ主人公の半径数キロでのみ異変が起こっているかのように設定されるのが常です。しかし、貴志版では一人の超能力者の出現が、シンクロして世界中に能力者が出現し、やがて能力を持たざるものと持つものとの間に、そして能力者どうしの間に起こる血みどろの時代を長く経て、ようやく落ち着きを取り戻した、そんな時代を生きる一人の女性を主人公にストーリィは進んでいきます。

 落ち着きを取り戻したといっても安定したという意味ではなく、殺戮の限りを尽くしてもはや交える矛が無いと言うか、念じるだけで人を殺す事が出来るというあまりに過ぎた能力に人々は恐怖して引き篭もるしかなかっただけでした。
 まるでハリネズミのように外部に対し神経を尖らせつつ、残された人々がようやく作り上げた安住のコミュニティ、神栖66町が物語の舞台になります。穏やかな人々が暮らす、穏やかなコミュニティですが、そこは実は理想郷ではなく、コミュニティを維持する為に色々ないびつさを積み上げて出来上がった砂上の楼閣だった、と言うと新井素子の小説にありそうですが、思考や能力の足枷に密教の行法が使われるなどは、無機質な未来的なものではなくプリミティブで退文明的な印象を演出しています。

 このコミュニティ、神栖66町で夕暮れに流され、子供達に帰宅を促す音楽が「新世界より」第二楽章です、というかそれに日本語の歌詞をつけたあの「家路」です。日本人のほとんどがこの曲を聴いて思い出す、一日の終わり、夕暮れの物悲しくも、温かい団欒の心象風景を見事に取り込んで、物語の核に据えているのです。
 主人公は無邪気な子供の頃は知る由も無かった、閉じたコミュニティの本当の姿を否応無しに知っていくのですが、家路のイメージは戻れない子供の頃の懐かしさと同時に、この時代の人類が、種として黄昏の時代を絶望の淵を歩いている事を暗喩してもいるように思えます。

 PKを持ってしまった人類がそれまでの人類とはもはや違う種であり、その過ぎた能力はサーベルタイガーの様に進化の袋小路に陥り、もはや自滅を待つしかないような状況に置かれるのですが、貴志祐介が「新世界より」というタイトルを付けた理由は、実は第二楽章を想起したものだけではなく、第四楽章のラストと数十秒の余韻にこそあるのでは?という事をチェリビダッケの「新世界より」を聴いて改めて考えさせられました。
 主人公の女性を含むグループは何かと目をつけられて実は特別に育てられた、このコミュニティのみならず新人類の希望だったであろうことも示唆されています。が、その先に物語は提示され無いだけでなく、これまでの物語も彼女の後語りとして陰鬱に語られるだけです。それにしても彼女は誰に対して語っていたのでしょうか?

 その先に待つのが希望か、絶望か答えはありませんが、第四楽章のラストと続く余韻の、あの息苦しさを覚える様な新世界への予感を、私はこの小説のその先に重ねてしまうのです。



(勢いに任せて書いてから、もう一度本を借りて読み返してみると、少し内容と齟齬がありましたがこのままにしておきます。それにしても当時、震えながらこの本を読んだ記憶が蘇ってきました。自分が若い頃に読んだサル学の本にあったボノボ、その頃はピグチンと呼ばれていた彼らの社会性の複雑さに非常に興味を持った一人としては、ボノボの「ホカホカ」をこんな風に取り込んだ作者に脱帽した事も、この作品に強い思い入れを持つ理由なのだと思います。)

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