和州独案内あるいは野菜大全

第一回奈良観光ソムリエであり、野菜のソムリエ(笑)でもある者の備忘録のようなもの。文章力をつける為の練習帳に

鳥見山

2009年09月22日 | 和州独案内

 鳥見の地名を持つうちの一つ、磯城の鳥見があるのは隠口の初瀬から国中に開けた辺り、長谷の初瀬川と、粟原谷から忍坂へ下った粟原川とが集束する地域にあたります。今もその名を残すのは外山(とび)の地名と標高245mの鳥見山です。鳥見山は四方にだだ広く裾野を広げ、山というよりは丘陵のようなピークの見分けがつかない姿をしています。神奈備山と言えば円錐の秀麗な山容から来るものばかりだと誤解がありそうですが、大和の物実、天香具山同様に高からずも神居すが故に尊いというタイプの物もある訳です。
 鳥見山が信仰の対象の神聖な地であることは等彌神社の存在からも分かりますが、この山の周囲に多くの古墳が存在している事からも神聖視されたことが窺えます。南端部の浅古には古墳時代中期の兜塚古墳や後期岩屋山式石室に先行する秋殿古墳、それから塼槨式の横穴式石室を持つ舞谷古墳などがあります。レンガ状に加工した石材を、漆喰で固めて積み上げ、内部全面を漆喰で塗りこめたタイプの古墳は、粟原谷から宇陀にかけて多く点在しています。
 そして北端の外山には前期の代表的な大型前方後円墳、桜井茶臼山古墳があります。

  

 鳥見山から北に伸びる尾根を切断して造成した、全長約207mの巨大古墳は付近のメスリ山古墳と並び、あの箸墓古墳に次ぐ古さの大型古墳です。茶臼山古墳の発掘は一部が今だに続けられていたようで、ブルーシートが木々の向こうに見えました。 つい先日には後円部の竪穴式石室の周囲を取り囲む、巨木の列柵遺構が確認されるなど、円筒埴輪との繋がり、葬礼の一端を垣間見させてくれました。箸墓古墳が学術調査を基本的に受け入れていない中、ここの発掘調査は重要な鍵になるのでしょう。
 谷側の後円部にある竪穴式石室は古墳主軸線上に位置し、扁平な芝山産?安山岩の割り石を垂直に持ち送りすることなく築き上げ、上部は十二枚の花崗岩を天井石としています。内部石材には一面に朱が塗り込められ、樹齢千年を超えるトガ(以前はコウヤマキと書かれた)の木を使った長大な割竹型の木棺の一部が、石室中央に残されていました。大型の内行花文鏡や鉄芯に碧玉を蒔いた玉杖など、盗掘を受けながらも貴重な副葬品が多数出土しています。
 高度な土木技術を要したであろう古墳の築成も、千年の時を経て形を崩し、木々の侵入で林地化してしまい、傍目には古墳というよりも雑木林の丘陵と化しています。高みを目指して垂直に建造するピラミッドと違って、こうなれば何が有るのか全体像を把握する事は容易ではありません。カメラを向けてもファインダーに収まり切れないその姿は、すぐ傍を通る国道の喧騒もあってか時間が止まり、周囲から取り残されたような雰囲気を漂わせています。

  

 茶臼山古墳が地域的にもメスリ山古墳と近しい関係にあることは違いないのですが、この古墳の指向する先には三輪山やその山麓があるような気がします。中軸線を延長するとという類の話ではなく感覚的な事ですが、この辺りは河岸段丘か名張断層なのかがあり見晴らしがすこぶる良いため、広く浅い谷を挟んで三輪山の側面が手に取るように見えるのです。

   
 カメラが悪いのではなく腕が悪いだけですね、文字サイズが何故か小さくなって読みにくさに拍車がかかっている             

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