和州独案内あるいは野菜大全

第一回奈良観光ソムリエであり、野菜のソムリエ(笑)でもある者の備忘録のようなもの。文章力をつける為の練習帳に

鶯ノ滝へ

2010年06月10日 | 和州独案内
 所用で奈良市街に行くことになり、朝早くに滝坂の道を歩いてみました。

 柳生の里へ通ずるこの道は県庁所在地に近いながらも、上級者向けの道になると思われます。今回は石切峠の峠ノ茶屋や地獄谷方面へは行かずに、鶯ノ滝を目指します。それから若草山の方に奥山ドライブウェイを道なりに歩き、春日山遊歩道から水谷川に沿って下り平地に戻ります。逆のルートは奥山ドライブウェイの道が殆ど登りになり、折角のゆったりした山道が辛くなってしまう上に、後半に滝坂の濡れた石畳を降るのは相当足に来るのでこのルートが望ましいと思います。

 奈良時代から既に平城京の東にあたるこの山々には多くの修行者が分け入り、ある者は止住しある者は抖そうして自らを追い詰め、何かを得ようとしていたのでしょう。仏教は経典のような理と行のような非理を持ち合わせており、理によっては見えないものを感じさせてくれます。
  
 高畑の旧社家町を奥に突き進んでいくと舗道は切れ、地道もこの辺りから石畳の道になり、春日山原始林の中へと分け入っていきます。
   
 「寝仏」は勿論、崖上に刻まれた岩が崩れて今のような寝姿になったというのは、次に見える夕日観音がはるか頭上の段崖に刻まれている事からも窺えます。夕日観音は遠すぎて写りませんでした。
  
 「朝日観音」はきつい登り道を振り返ったところに東向きにあり、朝日をその身に浴びるゆえにそう呼ばれています。三尊の形をとりますが、中尊の弥勒菩薩と左の地蔵菩薩が元からのもので、文永二年(1265)性勘という僧によって造立され、その後室町期に右の地蔵が追刻されました。
  
 荒木又衛門が試し切りをしたと云ういわれがある「首切地蔵」は山坂道が一段落付いた広場にあり、ここで車道や旧道、新道が合流していて格好の休息場所になっています。新緑の木漏れ日が差すこの場所で多くの旅人を見つめてきたひと際大きな地蔵さんです。
   
 ここまで来たら是非見て欲しいもう一つの目的地が春日山石窟仏です。奥山ドライブウェイに抜ける場所なので、そちらに行く場合は言わずもがなです。
 南面する凝灰岩の崖を東西に二窟刳り抜いており、西窟の中央に「久寿二年(1155)八月二十日始之造作者今如房願意」の線刻があります。誰かがカメラを差し込めるようにフェンスを切ったんですね。
  
 東窟は二洞に分れ、地蔵菩薩立像の四体は良く見えます。
  
 西窟に有る大日如来と阿弥陀如来の坐像は決して大きなものではないが、やはり線刻では比較にならない程に陰影と表情の豊かさが表わされています。
  
 写真では少しショボく見えますが、中々の迫力でこんな滝が県庁所在地の直ぐ裏手に有る事に県外の方などは驚かれるのではないでしょうか。春日山石窟を降りドライブウェイに合流した辺りから川のせせらぎの音は聞こえ始め、佐保川の源流が将にその辺りになります。次第に流れを集めてここで約十メートルの落差を流れ落ちるのです。

 一時間程冷たい風に当たりながら過ごしましたが、出会ったのは巡回警備の人くらいでした。土日ともなればハイカーがそれなりに訪れるのでしょう。

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