随分時間が経ってしまいましたが、一応前回の続き
椿が咲いていた。
ヤマザクラの大木
引用ですが、特別天然記念物である春日山原始林は、指定面積約二百九十八ヘクタールの照葉樹林です。これらを含む周囲4百ヘクタールの中には、胸高直径一メートル以上の樹木が二十八種、千四百九十八本確認されました。多い順にスギが九百二本、モミが二百十四本、ウラジロガシ八十七本、コジイ七十五本などがあります。
大径木の杉の多くは落雷によって先端が枯れており、この辺りが雷の常発地帯だということに気付かされる。モミやツガの大木も中腹以上によく見かけ、麓ではナギの群落に出くわします。
ナギは恐らく春日社への献木によってこの地に渡ってきたものが、鹿による食害を受けなかったためにこれほどまでに増えたのだと言われています。また、ナギはアレロパシー物質を根から出すため、他の草木の繁殖を阻害することも繁栄した理由と言えます。
ここ、春日山原始林における鹿の食害は相当に深刻な問題で、約千二百頭という数は自然環境の特に樹木の更新を圧迫するに十分すぎる数です。この半数程度の数百等が適正な値とも言われ、徐々にでも減らしていければ良いのですが、もし間引きなどしようものなら確実にゆがんだ動物愛護の圧力があるでしょう。春日山中で見かける鹿は、麓で人にせんべいをねだる鹿とは全くと言っていいほど違い、警戒心が強くて基本的に人を避けて生活をしています。同じ鹿でも数百メートル離れたグループで全く異なった生活をしているとは面白いものです。
花山一帯の石仏を集めた所
ここを過ぎると後は降りで、江戸時代の紅葉の名所である「洞の紅葉」を越えたところには、「月日磐」が水谷川の流れの中にあります。画像が何故か消えていました。(見つかったので貼っておきます)
何より目が行くのは、この六角柱の上に如来の頭部を刻んだという珍しい石仏で、六面には六観音が半肉彫りされています。
板碑状の線刻地蔵菩薩もある
未だ儀式の熱気の名残が感じられるのは、普段見ない竹矢来が有るからでしょうか。
お水取りの大松明は下の回廊を登りきったところで方向転換、この北隅の高欄に据え付けてある補強の木枠に大松明を乗せて一間置いた後、南の端まで揺さぶりながら移動します。南隅の高欄にも同じものが有り、そこで最後に大松明を打ち付け、火の粉を激しく撒き散らして春を呼ぶまつりのクライマックスを迎えるのです。
よく見ると松明の灰が屋根やら地面に降り積もっているのが見え、回廊の屋根も一部が瓦葺きではなく銅葺きになっていることに気付きました。
以前お水取りについて書いたもの
大の字に雪が残っていたのは違う日のこと。
椿が咲いていた。
ヤマザクラの大木
引用ですが、特別天然記念物である春日山原始林は、指定面積約二百九十八ヘクタールの照葉樹林です。これらを含む周囲4百ヘクタールの中には、胸高直径一メートル以上の樹木が二十八種、千四百九十八本確認されました。多い順にスギが九百二本、モミが二百十四本、ウラジロガシ八十七本、コジイ七十五本などがあります。
大径木の杉の多くは落雷によって先端が枯れており、この辺りが雷の常発地帯だということに気付かされる。モミやツガの大木も中腹以上によく見かけ、麓ではナギの群落に出くわします。
ナギは恐らく春日社への献木によってこの地に渡ってきたものが、鹿による食害を受けなかったためにこれほどまでに増えたのだと言われています。また、ナギはアレロパシー物質を根から出すため、他の草木の繁殖を阻害することも繁栄した理由と言えます。
ここ、春日山原始林における鹿の食害は相当に深刻な問題で、約千二百頭という数は自然環境の特に樹木の更新を圧迫するに十分すぎる数です。この半数程度の数百等が適正な値とも言われ、徐々にでも減らしていければ良いのですが、もし間引きなどしようものなら確実にゆがんだ動物愛護の圧力があるでしょう。春日山中で見かける鹿は、麓で人にせんべいをねだる鹿とは全くと言っていいほど違い、警戒心が強くて基本的に人を避けて生活をしています。同じ鹿でも数百メートル離れたグループで全く異なった生活をしているとは面白いものです。
花山一帯の石仏を集めた所
ここを過ぎると後は降りで、江戸時代の紅葉の名所である「洞の紅葉」を越えたところには、「月日磐」が水谷川の流れの中にあります。画像が何故か消えていました。(見つかったので貼っておきます)
何より目が行くのは、この六角柱の上に如来の頭部を刻んだという珍しい石仏で、六面には六観音が半肉彫りされています。
板碑状の線刻地蔵菩薩もある
未だ儀式の熱気の名残が感じられるのは、普段見ない竹矢来が有るからでしょうか。
お水取りの大松明は下の回廊を登りきったところで方向転換、この北隅の高欄に据え付けてある補強の木枠に大松明を乗せて一間置いた後、南の端まで揺さぶりながら移動します。南隅の高欄にも同じものが有り、そこで最後に大松明を打ち付け、火の粉を激しく撒き散らして春を呼ぶまつりのクライマックスを迎えるのです。
よく見ると松明の灰が屋根やら地面に降り積もっているのが見え、回廊の屋根も一部が瓦葺きではなく銅葺きになっていることに気付きました。
以前お水取りについて書いたもの
大の字に雪が残っていたのは違う日のこと。