想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

ほんとうのこと。

2013-03-03 20:59:32 | 日記

云えるはずがない…

〔大揺れの心〕

父のことで悩んで、
一晩中考えていたのだろう。
9時間も眠ったのに、
意識がモーローとし、身体はダルク、
頭が鳴り…

やけに、身体が冷えていた。

寒い寒い現場。
終えて家に帰ると、子供たちは妹とケーキを作っていた。
…ひなまつり、かあ。

3時くらいに家を出て、父の病院へ。
緊張マックス。
心臓が、バクンというより、
ガクガクって感じで、
妹は本当に家を出ると伝えるのか、信じられなかった。
すると、「今日は云わない」という。
「でもこれからのケアプラン変えるのに、いなくなる人をプランに入れるわけにはいかないでしょ。
困るのはこっちだから」
「でも、なにも明日出ていくという訳じゃないんだからさ」
「じゃあ今まで通りってこと?」
「やれることはやるよ」

…そういう中途半端が一番困るのに…!

あわや再びヒートアップしそうになったが。
同じ轍は踏まない。

黙る。

〔予感的中〕

先週行った時、お小水を何度も失敗していたので、
うっすら予想していたが、
やはり、父はもうオムツ生活に入っていた。
練習始めて5日だという。
家族の知らないところで、話が進んでいた。
病気は進行していた。

着替えのズボンを全て使っていて、レンタルの上下を着ていた。
オムツはまだ試行錯誤の状態で、
何度も失敗して、
何度も着替えて、
まだ、どのタイプの尿とりパッドが合うか、決まっていないので、
交換作業の指導など、今すぐって慌てなくていいと云われたけれど、
やはり、私が平日何なりの交通手段を使って病院に来る必要があるようだった。
土、日はSWもいない、リハの先生もいない。
話しにならない。

気になったのは、
いつも血中酵素の検査をしていて、
いつも「異常ないです」
という看護師さんが、ある日「え?」という顔になり、
何も云わずに出てゆき、その後主治医がきて、
いずれ呼吸器をつけるか否かの選択に迫られるであろうことを告げ、
父の意志を確認したという。
父は延命はしないと決めて、
酸素マスクはするが、そのまま二酸化炭素中毒になって自然に意識が遠のいて絶命する道を選んだ。
「苦しくないそうだから」
という言葉にザワ!っとなった。
呼吸苦はあると、私たちは説明を受けているし、知っている。
云えなかったのだろうか。
父が怯えるから?
それに、胃ろうの話を父は聞いていない。
気管切開してそこから栄養を入れると勘違いして、
そんな栄養はいらんという。
気管から入れるのは酸素でしょ?
父は耳が悪いのも手伝って恐ろしく話を聞き間違えたり誤解したりする。
私たちも立ち会うべきだった…。
胃ろうの話がないとうのは、
今の父を見て、呼吸が先にくることを医師は懸念したのだろうか。

色々考えたが、日曜日で医師もいないし、
担当の看護師さんもいないし、全く話にならず、

パッドが決まったら改めて指導にきて欲しいと云われた。
平日に。
結局そうなるんだ…。

その後、少し気分転換に談話室に移動して、父に豆大福を食べさせた。
甘いコーヒーも飲みたいというので飲ませた。
まだ、口は問題なく動く様子だ。
家に帰ったら、二か月とは云わず、できる限り長い期間家で過ごしたい、
という父の望みを奪うことなんかとてもできる状態ではなかった。

でも。
私は仕事もしなくてはならないし…
もう、ケアマネさんに、とにかく相談して、
今悩むのはやめようとした。

そうでもしないと、
不安に押しつぶされそうで…


コメント
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