親の老後の面倒は 迷惑行為に値するのか
私も考えてみましたー
母の時は まあ 病気だから仕方ないっちゃ仕方ないけど
看病の負担が家族内で偏ったね
父は仕事優先(仕事しなきゃ病院代払えない)
妹は 学生(勉強が本文)
私は 半社会人ということで
バイトを辞め 家では父の世話(なにもできない男)
そして貯金も減り(働かなくても 食べるから)
睡眠時間が減り 体調を崩し アルコール依存が悪化し
「なんで 私だけ?」とは思ったけど 迷惑だとは
当時は思わなかった 毛ほども
それは 母に対する愛ゆえだと思う(歪んだ愛だったが)
あまりに気の毒な半生を送ってきた人に対する 憐憫の情でもあった
私たちと家族になってしまい
迷惑だったのは 母だろう
だから 限界まで 看病したし したかったし 迷惑なんて思わない
でも 長引くのは辛かった
本人が 私を忘れていたり
汚物を投げつけてきたり ののしられたり
そんなだったら きっと 気持ちは真逆になると 思う
多分「死んでくれ」と願うだろう
きれいごとは云わない
そんな毎日が家で続いて お金がなくなって 自由もなくて
自分がしんどかったら 人間 「それでも愛する母ちゃんだから」なんて 思うもの?
嫌でしょ 嫌だというのが正直な気持ちでしょ
つまり 迷惑なのよ
私は 自分の下の世話が自分でできなくなり
娘から職を奪い 金を奪い 健康を奪い 笑顔を奪うなら
「迷惑な人間」となった と 自分に云うつもりだ
娘から 生命を削りとりながら生きるなんて ごめんだ
自殺を推薦するつもりはないが(これは私のポリシーだから)
人に迷惑かけるなら 命を絶つ それを実践したひとがいた
私の 義父だ
残してゆく妻に 十分な財産を残し
葬儀は密葬でという要望
警察の連絡先 命を絶つ場所 時刻(誰が飛んできても 決して間に合わない時間)
直前に 息子二人に電話をかけ 妻に「ありがとう」とメールを送り
ひとり 逝った 全て 綿密に計算された旅立ちだった
義父は 隠れ鬱の可能性があったとも聞いたが
病気のことで(癌を疑われていて)
妻には迷惑をかけないと日頃から云っていたひとだから
「迷惑だけは…」という 強い思念があったのだと 私は感じた
でも自殺をしたら 司法解剖でお金はかかるし
警察も動くし 損害賠償は発生するし 保険もおりない
残された家族は 非情に強い衝撃を受ける
哀しみは どんな形であれ哀しみであって
時間がそれを浄化するのものだが
でも これは 極論だとも思う
人間 迷惑掛けずに生きてるひとっていない
産まれてから ずっと誰かに迷惑をかけている
死ぬまで迷惑をかける それが 人間だ
死ぬのに迷惑をかけないというのは まさに野生動物だけだと思う
義父の死は 人の死を超越しているかのようだった
そして 私はそれに陶酔する 本格的な馬鹿だ
大事なのは 感謝することではあるまいか
ありがとう おまえがいてくれて 助かる
こんな体になってしまったが これも幸せだと思える
愛しているよ いつも ご苦労様
そんな言霊が 介護者を癒すのだ
だから 本当に迷惑な人間っていうのは
そんな当たり前のことも 云えなくなったとき
心にも そんな言葉がなくなったとき
弱気になって 泣けばいいし
たまには癇癪起こせばいい
でも 感謝に立ち戻れれば その人は 迷惑なひとなんかじゃない
神様みたいな ひと だ
他人のことは いくらでも考察できる
だから 今私はそんなきれいなことも云えるが
娘を愛しすぎてしまったから 私は愚かなことばかり考える
哀しみは 時間がどうにかするだろう
私が突然いなくなっても
せいせいとして生きてくれ
人が神様からもらった時間には限りがある
私があなたのその時間を食いつぶす権利なんて ないんだ …
人間は 表と裏
ふたつを持って ひとつなんだよ …
今回 タブーに触れてしまった
気分を害したひとがいたら 心から詫びる
自分の生き死には 人の数だけあると思うから
病気になったから迷惑とか 簡単にふるいにかけないで欲しい
人間なんて 生きてるだけで みんな迷惑です。
みんな みんなです。