Doll of Deserting

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月に舞う風:前編(ギンイヅ15000HIT御礼フリー小説)

2005-09-24 21:00:30 | 過去作品(BLEACH)
*捏造具合がハンパないです。市丸さんが京都出身という設定がおかしいと思う方はご遠慮下さい。また、イヅルが微妙に女装っぽくなっておりますので苦手な方はご注意下さい。(汗)
*無駄に下に長いです。(泣)後編は下にあります。



月に舞う風。

 それは、何かに束縛されているかのように、ひどく虚しかった。



 イヅルが彼の故郷に足を伸ばしたのは、初めてのことだった。今まで躊躇っていた理由は定かではない。ただ、この地に赴くことで、彼は結局最後まで自分のものにはならないのだと実感させられるのが恐ろしくて仕方がなかったのかもしれなかった。
 先程まで隣にいたはずのその人は、もう数歩先を歩いている。久々の故郷が懐かしいのか、とても穏やかな顔をしているのをイヅルが見逃すはずはない。慣れない現世の服に身を包むはずだったが、故郷に帰る時くらいは楽な格好をしたいという彼の要望により、結局はいつも着物姿だ。確かに、現世を離れた死神が、記憶を持たないはずの現世時代の故郷に帰ることを許されるというのは、滅多にない。別段、こんな特別なことがない限りは。
「市丸さん、お足元にお気を付けなさいませ。」
「ああ、ご免なあ。ついはしゃいでもうて、イヅルさん置いて来てしもた。」

―…市丸さん…―
―…イヅルさん…―

 呼んでいる名はいつもと何ら変わりはしないのに、その語尾に付いたやたら他人行儀な敬称だけが、たまらなく悲しく、恐ろしかった。もしかしたらこのまま、彼の中に自分の居場所はないのではなかろうかと、激しく妄想する。


 市丸ギンが現世に暮らしていた頃以外の一切の記憶を失くしたのは、風も穏やかな、晴れ晴れとした秋の昼下がりのことだった。生誕日も終えたばかりのギンは、さぞありきたりな日々に億劫になっているようでもあった。しかしイヅルは、それだからといってまさかギンが討伐隊で大事を起こすとは露程にも思ってはいなかったし、それに対する心構えなどないに等しかった。
 それでも事は起こってしまったのだ。しかもこういう時に限って、イヅルはその場に居合わせなかった。それを後悔しても仕方がないと分かってはいる。例え自分がいたとしても、状況は何ら変化しなかったであろうことも。しかしギンは言った。言ったのだ。
 イヅルにその知らせが届いたのは、ギンの生誕日を二人で祝うようになってから数年目の秋のことだった。丁度生誕日を終えて三日後のことだ。ギンと行動を共にした討伐隊がひどく負傷して帰還したと知らせが入った。上位席官を多く伴った隊であったのでイヅルも心配などしていなかったが、いざ負傷者が多数出たと聞くと不安になってくる。しかしその不安がまさか実際のものになろうとは、思ってもみなかった。
「市丸隊長は、部下の一人を庇われました。」
 三席の落ち着いた言葉に、イヅルは瞠目する。今までギンが部下を庇ったことなどなかったが、もしかしたらギンにも部下を思う心などがあったのではないかとも思い、そのことは僅かな期待と共に嬉しく思った。
「あの方にも、部下を思うお心があったのだな。」
「いいえ、会ってみれば分かります。あの方は、部下のためにそうされたのではありません。」
 一体それはどういうことかと眉をひそめれば、こちらへ、と手で向こうを促される。いささか不信に思いながらも、イヅルはそれに従った。扉の向こうには、夢にまで見た横顔がある。しなやかな体躯もそのままに、四番隊隊舎でその人は傷付いた身体を僅かに起こしていた。傍から見ればどこが悪いのか分からないようにしていたが、三席の話によると背に広い傷が残っているという。
「あァ、イヅルか。」
「市丸隊長、大層ご無理を…。」
 顔をしかめるイヅルにも動じる素振りは見せない。むしろいつもよりも飄々としているようにも見えた。そのまま穏やかな表情になり、目を更に細めて言う。
「…イヅル、死なさんかったで。」
「貴方様が名も無き部下を庇われるなど、お珍しいことでございますね。」
「相変わらず口の減らん…イヅルが言うたんやないか。」
「何と?」
「『部下をもっと大事にされて下さい』とか何とか。あの子えらいイヅルが可愛がっとった子ォやないか。あの子死んだら…イヅル泣くやろ?」
「あなたがっ…貴方様を亡くす恐ろしさに比べれば、そのような…。」
 くぐもるような声で、賢明にギンに伝える。それをギンは、親が子を見るような優しい表情で見つめている。まるでそれ以上は何も望まないと言っているかのようで、とても幸福な時間に思えた。
「うん、でも、泣くやろ?」
「…それは…。」
 頷くしか術のないイヅルを、ギンが腕を広げて抱き締めてやる。行為の時よりもその腕は優しいとイヅルは感じた。緋色の空気が辺りを包み、まるでそこが一種の聖域であるかのように見せていた。
 しかしそれが、正気であるギンが発した数少ない言葉の一つになろうとは、イヅルの知る由もなかった。


「副作用、ですか…?」
「ええ。服用させる前にお伝えした方が宜しいかと思いまして。」
 ギンの背に携えられた傷は、思ったよりも深いと聞いた。それを元に戻そうと出来る限りのことはしたが、あとはもう薬を服用するしか手はないのだと卯ノ花が悲しそうに言う。服用、といえば聞こえはいいが、むしろ身体に刃を入れて治療するよりも辛いことかもしれないと言われた。イヅルはその言葉に不信感を隠せなかったが、全てを明かされるとああなるほど、という気になった。薬を服用すれば、何かしらの副作用が出る。それほどに強い薬だ、と。
「しかし、副作用といっても死ぬようなものではないのでしょう?それならば薬の意味もない。」
「それはそうですが…あなたにとっては、身を斬られるようなことかもしれませんよ。」
「構いません。私に何が起こるかは存じませんが、あの方が助かるというのならば。」
 決意の固さをひとしきり語ると、卯ノ花は一つ溜息をついて薬の入った瓶を持ってきた。その後、薬についての説明を始める。イヅルは、頭の中を整理するようにして熱心に聴いていた。まるでそれ以外は何の情報も入って来ないとでもいうような素振りだった。
「この薬は、背の骨に直接作用し、骨を復元させることが出来ます。それだけ聴けば何とでもないように思えますが…約九割九分の確立で、副作用なるものを起こします。それは―…。」
 卯ノ花の声が、脳に直接響いてくる。イヅルは一瞬世界の全てが終わってしまったかのような錯覚を覚えたが、必死で正気を保った。身を斬られるような、とはそういうことかと。


 隊舎へと戻ったイヅルは、いつの間にかやるべき仕事を終えていたことに気が付いた。隊員もまばらになっている。隊員がイヅルへと向けた「お疲れ様でした」という声も届いてはいなかったらしい。これは悪いことをしてしまったな、と少しばかり反省した。
「…三席、悪いが今日は失礼してもいいだろうか。」
 ギンのことは、三番隊の隊員全てが知り得る事実だった。しかも薬を投与する日取りは明日だ。三席はそのことも組んで、温かい目で送り出してくれた。
「どうぞ、お仕事はもう終わられておりますから。」
「ありがとう…三席。」
 四番隊から三番隊へと移されたギンは、既に自室で休むことを許されていた。もう薬を服用するだけで回復出来るのだから、そうあってもおかしくはない。しかしイヅルは、記憶のあるうちに三番隊での生活を楽しむようにと言われているようにも思えた。
「市丸隊長、失礼します。」
「…イヅルか。」
 ギンの自室はいつもながらに薄暗かった。時間の問題もあるが、それにしても灯りなどついてはおらず、やたらギンの青白い顔が目立つ。ぼう、と浮かび上がる白い顔に、イヅルはなぜか痛々しさを感じていた。
「…お薬の件、お聞きになられましたか。」
「当然やろ。まァ別に何てこともないなあ。ぜぇんぶ忘れてまうだけやろ?」
「あなたは…それで宜しいのですか?」
 イヅルの悲痛な言葉に、ギンは柔らかく微笑んだ。いつもの飄々とした口唇を上げるような笑みではなく、はんなりとした笑みだ。それがイヅルの問いに対する答えの全てだった。忘れてしまっていいわけがない。しかし今まで通りイヅルの前に立ち続けるためには、そうするしかないのだと。

 イヅルの胸が、嗚咽に鳴った。

「僕がもう少し、強ければ…。」
 自分が同行していればこのようなことにはならなかったのに、と言えるほどに強い人間ならば良かった。申し訳ありませんという言葉は、既に泣き声に消えていた。
「イヅルの所為やない。」
「しかし…!」
「なァイヅル、ボクが全部忘れてもうても、イヅルはボクのこと忘れへんのやろ?」
「当たり前ではありませんか…。」
「そんならエエやん。イヅルのこと忘れてもうても、ボクは絶対お前んとこに帰ってきたるよ。」
 いつもよりも穏やかな声色で話すギンは、恐ろしく脆弱で小さく見えた。あんなにも強靭で、大きな人がこんな風に見える時があるとは思えなかったが、どちらも正しく市丸 ギンであった。今のギンは、強いことを言いながらもどこかで何かに怯えている風でもあり、イヅルは流す涙の水量を強めた。
「…約束して、下さいますか?」
「勿論や。ボクの、イヅル。」
 その後のことはよく覚えていない。そのまま暫く目を合わせて泣き続けたようでもあるし、唇を重ねたようでもあるし、もしかしたら交わったのかもしれない。何にしろ、何をしようとも、この日のことは誰の記憶にも残ることはないのだ。―…イヅルが覚えていない限りは。


 約束をしましょう。いつか必ず、あの日に帰ると。緋色の日差しに、緩やかな空気の波がさざめいていた、あの日に還ると。


 ギンが元の姿でイヅルのところへと帰って来たのは、何日か後だった。どうせ自分のことなど覚えてはいないのだからと四番隊へ行くのは控えていたが、その選択は正しかったようだ。今のギンはおそらく混乱している。彼にはもう、尸魂界に来る前の、現世の記憶しか残されていないのだから。
「三番隊…て、ここやんな?」
「市丸様、お待ち申し上げておりました。」
 隊長とは呼んでやるなとの達しだった。まだギンは自分が何者であったのか理解していない。だからこそ、誰もまだ彼に隊長であったことは知らせていないらしかった。おぼろげにここがどこであるか、どのようなところであるかを説明しただけだと聞いた。何もかもが信じられない光景であったが、イヅルはあくまでも気丈な態度で接した。
「キミは?」
「申し遅れました。私は三番隊副隊長、吉良イヅルと申します。」
「お偉いさんか。そんなら様付けで呼ぶんやめてや。何やよう分からんけど、外の人皆ボクにヘコヘコ頭下げよるんよ。」
「しかし、そういうわけには…。」
「ボクも吉良さん、て呼ぶしな。様付けで呼ばれるんはどうも苦手やねん。」
「…それならば市丸さん、と。私のことはどうぞ気安くイヅルとお呼び下さい。」
「分かった。イヅルさんな。」
 そういう意味で言ったのではなかったのだが、ギンは迷わず「さん」を語尾に付けて呼んだ。その二文字がどれだけ自分を傷付けているのか、ギンは知る由もない。しかし、それを訂正することでギンの立場が知れることを恐れ、あえて訂正することは出来なかった。
「…暫くごゆるりと、おくつろぎ下さいませ。隊員がよしなにどこへでもご案内致します。私は仕事を済ませて参りますので、これで。」
 簡潔に言い渡すと、ギンは「またな」と言ってそれを見送った。いつもと変わらない日常にも思えるのに、イヅルを呼ぶ声だけが、その錯覚を邪魔していた。


 十番隊隊舎へと続く道は、こんなにも長かっただろうかと思う。それはひとえに、今のギンの状態を最も理解出来るのは乱菊なのだと無意識に思っているからだろうか。しかし今のギンは、乱菊のことすらも覚えてはいない。そのことを、彼女と十番隊長はどう思っているのだろうか、と思った。
 暫く歩くと、前方から男性が歩いて来るのが見える。もしかしたら彼も噂を聞きつけ、ギンの様子を見に来たのだろうか。彼もギンとは長い付き合いだ。何かしら思うところがあるのかもしれない。
「…三番隊に何か御用ですか?藍染隊長。」
「ああ、吉良君。奇遇だね。丁度三番隊へ行こうかと思っていたんだ。…市丸はどうだい?」
「どうもこうも…誰のことも覚えてはいらっしゃいません。」
「…そう、か。雛森君も君のことを心配していてね、様子を見て来ると約束して来たんだ。僕も、彼女が悲しむ姿を見たくはないからね。」
「そうでしたか…市丸隊長は隊舎にいらっしゃると思いますので、どうぞお会いになって下さい。」
「ああ、じゃあお言葉に甘えて…。吉良君、君はどうだい?」
「…どう、ということでもありません。大丈夫です。縋るものなら、幾らでもあります。」
 幾らでも、と言ったのはただの見栄だ。本当はたった一つしかない。あの日交わした、ただ一つの約束しか、今縋るものなど何もない。
「そうか。安心したよ…身体を大事に。」
「ありがとうございます。」
 藍染は、イヅルには何も残されていないと分かっていた。慈しむようにギンに大事にされてきたイヅルだからこそ、失くした代償は大きいだろう、と。藍染はギンのことを理解しているつもりだったが、何の記憶もない彼を前にして何か言葉を発することが出来るのかは自信がなかった。
 ただ一筋の希望だけを胸に秘めながら、イヅルと別れた藍染は三番隊隊舎へと歩みを進めた。そういえば何の手土産もなしに、と思ったが、今のギンならばうだうだと言うこともないだろう、と気にしないことにした。


 十番隊隊舎には、いつも感じられる穏やかな霊圧が見られなかった。隊舎内からはピリピリとした冷酷な空気ばかりが流され、イヅルは身を凍らせるようだった。
「失礼、します…。」
「吉良!!市丸隊長の様子はどうなの!?」
「ま、松本さん、これは一体…。」
 執務室の床には、大量の書類らしきものが無造作にばら撒かれていた。乱菊は執務室の机に腰を下ろし、山のように積まれた書類の中に手を突っ込んでいる。日番谷隊長はどうしたのだろう、とイヅルが思った矢先、乱菊が口を開いた。
「…あたしだって幼馴染なんだもの。心配したのよ、これでも。仕事でもしなきゃやってられないくらいにはね。」
「はあ…日番谷隊長は?」
「今四番隊よ。あたしが随分寝てなかったから…栄養剤か…それとも睡眠薬でも貰って来るんじゃないかしら。」
 冗談混じりに乱菊は言うが、それはあながち冗談にはならないかもしれなかった。十番隊長である日番谷は、その外見に反して少々過保護な面を持ち合わせている。幼馴染である桃にもそうだが、副官である乱菊には尚更だ。
「日番谷隊長のことですから、もう帰れとでも言われたんじゃありませんか?」
「まあね。帰ってもどうせ落ち着かないから…。」
「そんなに市丸隊長が心配ですか?」
 イヅルが訝しげに言うと、乱菊は一瞬目を丸くしてからすぐ大きく笑みを浮かべた。それは心底喜んでいるようでもあったし、何かからかうような印象をも含んでいた。
「ふふ、家族みたいなもんだからね。アンタが妬くようなことじゃないのよ。」
「やっ…妬くだなんて、そんな!」
「妬いたでしょ?」
 再び確認するように言う乱菊に、何も言わずに顔を赤らめた。それだけで彼女には伝わっているだろうと思ったからだ。乱菊はそれを面白そうに眺めていた。イヅルは間が持たなくなり、何かないかと話の種を探した挙句、記憶を失くす前のギンと話したことを語り始めた。
「あまり、面白くない話かもしれませんが…。」
 言わばこれは他人の惚気話なのだ。聞いていて面白いはずがない。しかし乱菊は、穏やかな面持ちで「いいわよ、聞かせて?」と椅子に座るよう促した。それに背を押されるように、イヅルは少しずつではあるが控えめに言葉を選びながら語っていく。


 一通り終わった後、イヅルはほっと息をついた。話をしている最中、何度も涙を流しそうになったが、必死に堪えて話を進めた。しかし今、また堰を切ったようにそれは流れようとしている。イヅルは再び懸命に涙を押し止めた。
 しかし、泣いていたのはイヅルではなく、目の前に座っている乱菊だった。イヅルは瞠目し、どうしたのかと聞きたいと思うがそれも出来ない。乱菊は、ただ静かに真っ直ぐ目の焦点を合わせ、赤銅色の瞳を震わせて涙を流していた。その様は、もらい泣きをしてしまいそうな程に美しかった。
「幸せ、だったのねえ。ギンは…。」
 乱菊は、まるで母親のような顔をしていた。成長した息子を想うような、そんな表情をしていた。時たま発されるイヅルや乱菊の声と、二人が息づく音以外には部屋の中はしんとしている。ほろほろと流れる涙の雫が、窓の外の木立の光と対比してふわりと揺れた。
「幸せでいらしたのならば、良いのですが。」
「幸せだったのよ、彼は。…ねえ、吉良。」
「はい?」
「もう一度、幸せにしてやってね…。」
「……はい……。」
 頷く時には、既に目の焦点が合っていなかった。朦朧とした意識の中、白濁色の霧が目の前でゆっくりと揺れる。自分が泣いているのだと気付いたのは、随分と経ってからだった。乱菊は、それを慈しむように眺めていた。
「松本さんは今、誰かに幸せにされていますか?」
「勿論よ。今とても幸せだし…誰かを幸せに出来ていればいいとも思うわ。」
「ご心配なさらなくとも、日番谷隊長は松本さんといれば幸せですよ。」
 松本さんといる時だけは、雛森君といる時と同じくらい安心なさった顔をされております。そう言うと、乱菊は、「じゃあ雛森に勝てるように頑張らないとね」と言ってさも嬉しそうにして笑った。イヅルはその様を、凄絶なまでに美しいと思った。

 
 続きは下にあります。(ついに前項編に分けるまで長く…!汗)

月に舞う風。:後編(ギンイヅ。15000HIT御礼フリー小説)

2005-09-24 20:59:41 | 過去作品(BLEACH)
 宵闇が、朧に見える。窓の外には白い月がぽっかりと浮かび上がり、まるであの日のギンの肌の色のようだと思った。明日から二日、非番を取ってある。通常ならばこんな時に非番を取るなどということは許されないが、普段の功労や三席のはからいから、それも可能となった。全ては今のギンから逃げるためだと思うと気が引けるが、明日から知らぬふりをされるよりは…と考え直した。しかしそんな時だ。三席からある提案をされたのは。
「三席…もう一度言ってくれないか?」
「ですから、今日は市丸隊長と過ごされては如何ですか…と。」
「私がなぜこの日に非番を取ったのか、分からないわけではないだろう?」
「ええ、それはもう。しかし、私はどうしても貴方がご無理をなさっているように思えてならない。それならばいっそ市丸隊長が一日も早く記憶を取り戻されるようにはからわれるべきです。今日一日共に過ごされれば、その可能性も高くなるのではありませんか?」
「しかし…共に過ごすといっても、何をすれば?」
「市丸隊長には現世の記憶がおありになるのでしょう?それならばお二人で隊長の故郷にでも帰られたら如何ですか?」
 至って真面目な面持ちで、三席が言う。市丸隊長の故郷といえば、京の都だ。いつだったか、本人が話してくれたことがある。そこへ行けば何か思い出すのではないかと言った。なかなか良い考えかもしれない。記憶のないギンと行動を共にし、息が詰まるのではないかという懸念さえ除けば。
 三席はそのためにあらかじめ色々と手配してくれていたらしい。何の理由もなく現世に行くのは体裁が悪いからと、総隊長に許可を申請するなどしてくれたのだ。それを無下にするわけにもいかず、イヅルはギンの私室の扉を叩いた。するすると慣れた手つきで上品に襖を開けると、ギンが所在なげに座り込んでいるのが見える。
「失礼致します。」
「ああイヅルさん…何やの?」
「ええと…その、今日はお暇でしょうか?」
「見ての通り何しようもないから暇しとるけど。」
「それならば宜しければ…本当に宜しければ、なのですが…お出かけしませんか?」
「お出かけ、て…イヅルさんと?」
「ええ、ちょっと、京都にでも…。」
「京都!?」
 記憶のあった頃よりも落ち着いた印象のあったギンが、途端に子供のように無邪気に笑った。イヅルはそれにいささか頬を赤らめつつも、すぐに笑みを取り戻した。
「気に入られましたか?」
「当たり前やん、ボクの故郷やもん。格好はこのままでええかな?」
「本当は向こうの衣服を着られた方が宜しいのですが…。」
「せっかくの里帰りや。慣れた格好がええ。」
 あちらでも着物というのは特におかしな格好ではないが、それでもやはり目立つだろう。しかし、どうせ街の方には出ないだろうし、京都の雰囲気に任せてしまえばいいだろうか。そんなことを思いながら、着物のままで行くことを渋々許可した。
「では、私も少々用意して参ります。」
「ああ、ちょお待って。」
 これ着てくれへんかなあ。そう言いながらギンが取り出したのは、鮮やかな萌黄色の着物だった。綺麗な着物だとは思うが、それは明らかに女物だ。確かに死覆装は男女兼用の見た目をしているが、まさかギンが自分のことを女だと思っていようとは露程にも考えていなかった。
「あの、これは…。」
 女性が着るものでは、という声を遮るようにして、ギンが言葉を発する。イヅルはそれを聞き、何も言えなくなった。
「ああ、それなあ。ボクの母親がよう着とった着物に似とったから、つい買うてしもたんよ。でもボク奥さんとかおらんやろ?そんならイヅルさんに貰うてもらおか、て思うとったん。…何や、お母ちゃんっ子みたいで恥ずかしなあ。」
 でもきっとよお似合うで。ギンから与えられる言葉一つ一つに目頭が熱くなる。そんなことを言われてしまっては、ありがとうございますと答えるしかなかった。イヅルは着物を握り締めたまま、何度も何度も御礼を言った。
「そない言わんでええって。て、ああ、ボクがここにいたら着替えられへんよな。」
「いいえ、そんなことは…。」
 男と分かってしまったら多大な羞恥を覚えるけれども。そう思いながらも否定しようとすると、既にギンは扉の外に出てしまったらしい。少しばかり有難く思いつつ、イヅルは死覆装を畳の上にぱさりと落とした。女性用の着物の着付けは、一通り知っている。幼い頃はよく母に手伝わされたからだ。


「市丸さん、行きましょうか。」
 ギンの私室から出てきたイヅルに、ギンは微笑む。着物に手提げも付属されていたため、財布などは全てその中に入れてある。どうか解錠するまでに誰とも出会いませんように、そう思いながらイヅルは手提げ袋の紐をきつく握り締めた。
「綺麗やなあ…。」
「お着物が素敵ですからね。」
「何言うてんの。こないな別嬪さん連れ歩けて嬉しいわ。」
 ふふ、と笑いながらも、とにかくさっさと解錠してしまいたいと思っていた。この姿を誰かに見られるととにかくまずい。とりわけ恋次や桃などに見られるわけにはいかない。そう思いながらギンの濃紺の着物の袖を軽く引くと、ギンは幸せそうな顔をして笑った。



 無事に瀞霊廷を後にし、暫く京の地を散策する。秋といってもまだ着流しで出歩けるほどの気候だ。周囲からは珍しいのか、着物をじろじろと眺める姿が見られる。京都といえど、特殊な職業に就いていない限りは、十代か二十代かそこらの年齢の人間が着物で出歩くことは少ない。しかしギンは何とも思っていない風にしているので、イヅルもあまり気にしないことにした。何か事情があると思ってもらえばいいではないか。どうせ今日が終われば、誰も自分達のことなど分からないだろう、と。
 雰囲気の良い店が並ぶ通りを特に何も思わず眺めていると、興味を惹かれるものがたまに見つかる。イヅルは外に並べてある時期外れの風鈴を手に取り、そっと表面をなぞるように見た。
「…珍しいですね、陶器の風鈴ですか。」
 ギンに問いかけると、ギンはうん、と頷いた。その風鈴は、白く焼いた陶器に淡い青で装飾がしてあり、イヅルにはえらく珍しいもののように感じられた。しかし丸く焼かれた純白の風鈴に、一色のみで色を付けられたそれはひどく上品で、魅力的なものに思えた。
「お越しやす。それ、長崎から仕入れたもんですけどね、京都もんに飽きてしもうたこちらさんにはよう売れとりましたよ。」
「長崎から…。」
 店の奥から顔を出したのは、品のある老婦人だった。柔らかなその口調は、長く京都に住まっていた証拠だ。老婦人ははんなりと微笑んで、イヅルの手に馴染んだ風鈴を見つめた。
「白い手やねえ。壊れもんがよう似合いなさるわ。」
「そ…そうですか?」
「白い手は儚げに見えますからねえ、永遠やないもんが、よお似合うんよ。えらい色の薄いお人やから、尚更や。」
「はあ…。」
「綺麗、いうことやろ。褒め言葉やて。」
「あら、お二人さんお江戸から下ってきはったかと思うたら、こちらさん、京都のお人ですの?」
 老婦人が、やんわりとギンに向かって言う。ギンはそれが嬉しいのか、同じように柔らかく笑って肯定した。老婦人がそのままの表情で続ける。
「ほんなら、東京からお姫さん貰うてきはったんですねえ。」
「ちゃいますよ。ボクが向こうでお世話になっとるんです。」
「あらあ、お婿さんやったんか。あかんやないの、折れてもうたら。」
 けらけらと笑う老婦人を、二人が微笑ましげに見つめる。イヅルは「お姫さん」という言葉を否定しようとしたが、ギンと老婦人があまりにも自然に笑い合うので、黙っていた。ギンの伴侶と思われたのを、少しばかり嬉しく思ったのもある。
「すみません、この風鈴を頂けますか?」
 イヅルが先程の風鈴をふわりと手で包み込むように持ちながら言う。老婦人は、その言葉にいささか驚いたようだった。しかしイヅルは、何らおかしなことを言ったつもりはない。
「ええんですか?風鈴やなんて、もう時期外れやのに。うちももう新しゅう仕入れたんを出そう思てたとこですねん。」
「いいんですよ、どうしても気に入ってしまったんです。―…」
 お幾らですか?という言葉を発しようとしたその時のことだ。イヅルの前に腕が伸び、イヅルが財布に手をかけようとするのを遮った。
「お幾らですか?」
 そう言ったのはイヅルではなかった。イヅルの傍らにいた人間といえば一人しかいない。他でもない、市丸 ギンだ。イヅルは目を丸くしながらも、「おおきに」と嬉しそうに微笑みながら勘定をする老婦人を見ていた。
「市丸さん、大丈夫です。私が払いますから…。」
「ええの、ここでイヅルさんに払わしたらあかんやろ。何かよう分からんけど財布にぎょうさん入っとったし…丁度ええわ。」
「でも…。」
「ええよホンマに。連れて来て貰うた御礼や。黙って受け取っとき。」
「…ありがとうございます。」
 記憶を失くす前も、イヅルに関しての支払いはギンがしてくれたものだ。とかくイヅルには金を払わせたくはないらしかった。女扱いされるのは頂けなかったが、確かに嬉しかったのは覚えている。そんなところは変わっていないのだなと思い、イヅルは頬を緩めた。


「またご夫婦でどうぞ。」
 最後にぺこりと頭を下げた老婦人に微笑み返しながら、その店を後にする。先程の風鈴は繊細な箱に入れられ、薄い袋の中にある。そしてそのままイヅルの腕に提げられた。イヅルはその袋を見つめ、ふともう一度笑みを浮かべた。
「そないに気に入ったんか?」
 傍らでギンが苦笑する。しかしイヅルは、それに曖昧な返事をするだけで、確かな答えは出さなかった。そして思案した後、言った。
「どちらかと言えば、あなたが買って下さったことの方が嬉しいんですよ。」
 ふふ、と呟くように言うと、ギンは愛しそうな顔をして笑みを返した。ギンの中で確かに何かが変わりかけていたが、それが何なのかはよく分からなかった。ギンはふと思い出したようにはっとしたような表情を見せると、突如としてイヅルに問いかけた。
「イヅルさん、ちょお行きたいとこあんねんけど、付き合うてくれはる?」
「勿論です。どこですか?」
「ボクのご先祖の―…墓や。」
 イヅルの眉が、不安げにひそめられた。



 それは、街から大分離れたところにひっそりと佇んでいた。石の表面には、「市丸家之墓」と文字が彫り込まれている。元は黄金色に輝いていたであろう文字は、今や既に色が剥げ、痛々しい姿へと変貌していた。ギンはそれを見て、上げていた口唇をそっと下げる。
「まだ、ここにあったんやなあ…。」
 ギンが死んだのは、まだ幼い頃であった。もう何年前かも分からないが、確かに遠い昔であったといえる。それなのにも関わらずまだ墓が移動もせず、消えてもいないというのは奇跡に近かった。ギンは、切なげに閉じていた目を開き、そのまま細める。
「ボクが死んだ時はな、まだ父親も母親も生きとったんよ。でも多分、みーんなこん中に入ってしもたんやろうなあ。」
「…お寂しい、のですか?」
「生きとった頃は、こん中に入れてもらうんが一番の夢やった…。」
 ギンの過去は、聞いていた。神鎗から聞いた話ではあるが、ひどく悲痛で、残酷な一生であったと説明され、今のギンの状態を理解することが出来たと同時に、目頭が熱くなったのを覚えている。両親から虐げられることは、どんなにか恐ろしいものだっただろうかと。
「家族と一緒の墓に入りたい思うとった…けどなあ…。」
 結局最終的には、ギンが共に一族の墓に入ることはなかった。市丸 ギンという人間は、誰からも看取られることなく、孤独に死んでいったのだ。連れる者もなく、連れられる者もなく。
「市丸…さん…?」
 この墓に来るのが、恐ろしかった。結局ギンは自分と共に同じ世界で生きるべき人間なのではなく、他に故郷を持つ人間なのだと自覚させられたくはなかった。ギンはどこまで共に歩こうと、最期までイヅルのものにはならないのだと言われているようで。ギンを生み出したこの地に束縛されているようで、ひどく虚しかった。
「なあイヅルさん、聞いてくれはる?」
「はい…。」
「今はな、イヅルさんと…同じ墓に入りたい思うんよ。」
 風が止んだ。静かに慟哭していた風が、ギンの言葉によって妨げられた。イヅルは自分の涙腺の緩さを呪った。誰が自分のものにならないなどと言ったのだろう。否、正しくそれは自分だ。彼は、市丸隊長は、いつでも自分のものになってくれていたではないか、と恥ずかしく思った。
「市丸さ…市丸隊長。僕も、同じお墓に連れ立って下さいませ…。」
 

あなたと、同じ生を共にし、同じ場所で死に、同じ場所へ行きたいのです。


 搾り出した声が、果たしてギンに正しく届いたのかは定かではない。ギンは袖で顔を隠したかと思うと、イヅルに背を向けた。何をしているのかは分かっていた。泣く姿を見せたがらないところも全く変わっていない。そう思い名を呼ぼうとしたその時のことだ。
「イヅルはホンマに唐突やなあ。…殺し文句やで、それ。」
 耳がおかしくなってしまったのかと思った。しかし、それは確かに自分の奥底に届いている。自分を呼ぶ言葉も、声も、全く変わりはしない。そこにはかつての、市丸 ギンが存在していた。イヅルはまた嗚咽を鳴らしそうになり、歯をきつく食いしばった。
「市丸、隊長…!!」


「ただいま、イヅル。」


 ギンの言葉を慈しむように頭の中で反芻し、イヅルもそれに応える。


「お帰りなさいませ、市丸隊長。」


 
 京都から帰った二人への反応は強いものだった。それもそのはず、イヅルと二人で現世へと赴いたギンは確かに記憶がなかったのにも関わらず、いざ帰って来てみれば何事もなかったかのように土産袋をかかげて「帰ったで~。あァ、これお土産。隊の皆で食べえ。」などと悠長に言っているのだから当たり前だ。
「市丸隊長…記憶がお戻りになられたのですね?」
「ああ三席、おおきに。お前が手配してくれたんやろ?」
「ええまあ…こんなにも早く吉良副隊長と仲良くご帰還されるのでしたら提案もしなかったのですが。」
「…何か言うたか?」
「いいえ、何も。」
 穏やかではあるものの、微かにではあるが確かな殺意を二人の間に感じた隊員達は、隊長のお土産を片手にそそくさと仕事に戻っていった。


 
 時刻は既に深夜ともいえる。イヅルとギンはギンの私室で、今日のことを思い返していた。共に一つの布団に入ってはいるが、そういった行為は一切ない。今日は、と言ってもいいのだが。ギンは僅かに開かれた窓の外を見ながら、イヅルが放った言葉を思い出す。しかしすぐに泣いているイヅルの顔を思い出して、眉をひそめた。
「しっかし、記憶なかった頃のボクが恨めしいわ。イヅルを泣かしてええのはボクだけやのに、何度も泣かしたんちゃうの?」
 ご免なあ、と言うギンに、イヅルは微笑みながら否定の言葉を返した。
「いいえ…記憶をなくされたあなたも、とてもお優しかったですよ…。」
 そう言って、イヅルはギンの腕に頭をもたれかけ、身を委ねる。ギンはふっと笑い、イヅルの髪に口付けを落とした。

 僅かに開かれた窓には、陶器で造られた風鈴が、静かな音を立てていた。穏やかな風が、風鈴と共に柔らかく月を揺らしていた。

【完】





 うわあ相変わらず恥ずかしい人達ですね!(汗)しかもこれ400字詰め原稿用紙に換算すると実に60枚程度の長さに…。(泣)そしてこんな無駄に下に長いのをフリーとかにしちゃうんですか桐谷さん。(汗)
 ていうか京都でのシーンを書きたいがためだけに…京都弁についての間違いは突っ込まないで頂けると助かります。(汗)しかも女装とかね。若旦那っぽい市丸さんとかね。
 今日一日中かかってコレを書いていましたが、結局日乱や藍桃はロクに出せずじまいで、微妙にギン乱で藍ギンっぽく…!いやそんなことはありませんよ神様!(どこに弁解してるんですか)

 この小説はフリー配布となっております。コピペするのも疲れそうな程下に長くて申し訳ありません。(汗)報告は特に不要ですが、して頂けると喜んでお邪魔させて頂きますvv(迷惑)