Doll of Deserting

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花籠。(ギンイヅ。捏造侘助+藍染)

2007-04-28 20:38:22 | 過去作品(BLEACH)
 やかましい翅の音に鼓膜を導かれ、ふと視界を定めればいとおしい顔がある。



 いとおしい、死に顔がある。



 ぞっとして瞼を開いた。よくあるまやかしだ。近頃はとりわけこのような夢に額を打擲され、はっと目を覚ますことがあった。眼前にじっと近付いてみる。常に痛々しい程細められた瞳は、暫しの休息か大人しく閉じられていた。口唇に迫り、思わず息の音を確認するが、危ぶむまでもなくそこからはすうすうと安寧が吐き出されている。
(今更何を懸念すると言うのか)
 幾世紀前より繰り返されてきたこの世界の決まりごとが、そう容易く崩れるわけもない。すたすたと響く耳障りな侵入者の合図、離散する人々、貫かれる、臓の匂い。その全てがただの夢物語である。莫迦らしい、と一言で一蹴して、銀糸を掻き分けると顔を傾け口付けた。
(大丈夫。ずっと一緒ですよ)



「……お前さ、一回医者に診てもらった方がいいんじゃねえの?」
「失礼な。至って正気だよ」
「そんなはっきりした夢見んのなんて、この世界じゃお前くらいだ」
「君にだってあるだろう。そういう突拍子もない夢を見ることくらい」
「そこまで血生臭えのは一度もねえな」
 嘆息した恋次の表情には、明らかに呆然とした色が見て取れた。イヅルはううんと僅かな同意を感じさせつつ、このところ日常的に垣間見せられている惨劇の一端を思う。確かに現在の死神からすればそれは単なる夢物語に過ぎぬであろう。けれどもイヅルには、どうしても夢として納得できない部分があった。
「そもそも考えてみろよ。藍染隊長が実は悪人だなんて、雛森に言ったら張り倒されるぞ。それともお前、『吉良君、藍染隊長のことそんな風に思ってたの?酷い!』とか何とか詰られたいのか?」
 いささか似合わぬ友人の口調に嘲笑を隠しきれずにいると、あからさまに気分の悪い表情を浮かべられた。
「ご免ご免。まあ普通に考えればそうだよね。普通に、考えれば」
 しかしてその紅は眼前で反射する。幾度も幾度も、思い知らせるように。その度に閃光は口走るのだ。決して離すなと。その白い手を、その白い背を、その白い眼差しを、決して離すなと。そうして己は頷くのだ。離すものかと、言われるまでもなく離すものかと。けれどもその閃光の正体も、留めるべき対象も、何も知らされぬままに夢は終わる。否、知らされぬままで幸せなのやもしれぬと思う。



 夢の果てを待てども待てども、同じところで覚醒する日々を送りながら考えあぐねていると、三席からどうされました、と問いかけられた。曖昧にはぐらかし、用件を問い返せば、どうやら客人らしい。はて、と思う。よくよく聞いてみると、客人でなく進物だという。とはいえ、疑問視するのは変わらぬのだが。
「差出人の名が書かれておらぬのです」
「ううん……ところで真に私宛てなのかい?」
「ええ、それは間違いございません。吉良副隊長殿、と確かに」
「それで、何を贈って頂いたのかな」
「あらかじめ不審物等のなきよう確認されているはずですが、そういった申告はございませんでしたし、吉良副隊長に宛てられたものとなれば私どもは関与できませんので、申し訳ありませんがこの場でご開封をお願い致します。……個人的なものでしたら、そのまま自室へお運び下さって構いませんので」
 失言でございました、と三席はあらかじめ付け加えた上で謝罪した。何しろイヅルには、故意に匿名で記された進物が時折贈られて来るのである。大抵が市丸からで、やましいものは一切ないがこの場で開封するのは気恥ずかしい。その点を三席は弁えているはずなのだが、つい口を突いてしまったらしい。
「構わないよ。どうやらこれはいつもの進物ではないらしいから……やけに可愛らしい大きさだし」
 面長の箱は市丸が贈ったものにしては軽く、容量も小さい。イヅルは、余計に緊張した様子でその紐を解いた。これが市丸からでなければ、誰からであるというのだろう。この世界においては、軽量なものをより恐れる必要がある。形状をもつものならば対処のしようがあるが、鬼道により何らかの術を施されたものであった場合は、何れかの死神が己を貶めようとしているという可能性もでてくるからだ。三番隊に在籍する限り、そういった悪意は付き纏う。己が定めた道を歩み切るためにも、このような際には適切な機微を見せなければならないのである。
「これは……やはり隊長からだろうか」
 封を開き切ると、イヅルは開口一番にそう述べた。三席が訝しく思い箱の様子を窺う。するとそこには、縦開きになった籠に、惜しげなく満たされた藤の花があった。それも藤色ではなく、紅と純白の二房である。
「……白い藤は存じておりましたが、紅の藤というものがあるのでしょうか」
「ああ……僕もこのような色は終ぞ拝見したことがない」
 やはり何らかの鬼道が成されているのだろうか。否、それにしても麗しゅうございますね。そのような会話を忍びつつ、イヅルは三席の言葉に重く頷いた。確かに麗しいが、贈り主の名がなければ花の美貌も忌避すべきものに変わってしまう。
「……これは一先ず、僕が預かることにしよう」
「しかし、何ぞ害が及ぶものであったならばどうなさいます」
「案ずることはない。提出を迫られるようなものではないようだし、君達に任せるより、普通は副隊長である僕が管理すべきだろう?それに、火急の際を考えれば、隊長に最も近しい者が預かった方がいいのではないかな」
 そこまで一息に申し立てると、イヅルは突如としてはっと口を押さえ押し黙った。驕っているつもりはない。隊長に最も近しい者となれば、誰しもが副隊長を挙げることであろう。けれども己の口振りにどうも別の意思が含まれているような錯覚を覚えて、ふと恥じ入ったのだった。その様子を、三席は微笑ましげに見つめている。
「でしたら、もし何か不都合がおありになるようでなければお願い致します」
「ああ」
 こくりと頷くと、互いに職務を遂行すべく翻る。それでもイヅルは、手中の籠をじっと注意せずにはいられなかった。
 その日はそういったことで事無きを得たはずだったのだが、花はその後も、幾度となく贈られてきた。初日の藤をかわきりに、梅、牡丹、百日草に曼珠沙華、木蓮の枝。定められたように紅白の色をしているのが酷く印象的であり、またそれが人為的なものであると思うと、ぞっと不気味でもあった。
 しかし、幾度目であったか、血色と雪色の椿が贈られてきた折に、贈り主が知れた。



 名残雪が白く発光する。未だ春待ちの風情を絶やさぬ邸は、主人であるイヅルにとって密かな誇りであった。どのように美麗な精神世界を繰り広げる刀であろうとも、侘助ほど立派な邸を持つ斬魂刀はない。というよりも、屋敷らしい屋敷を持たぬ刀が大半であるという意味合いなのだが。
 この邸は、いかなる火急であろうとも緩慢とした時節を巡る。そのような性情が屋敷の主にも及んだのであろうかと考えてみるものの、瞬時に改めた。常ならばこのように回りくどい真似はしない。
 きしきしと軋む廊下を進み、冷えた邸の中を迷いなく歩いていくと、イヅルが顔を見せるより先に、奥から女性が二人歩み出でた。
「ほう、これはこれは……珍しいこともあるものだな、主よ」
「まあ、ようこそいらっしゃいました。けれども本当に……稀有ですこと」
「呼び付けた側がよくもまあ」
「呼び付けなどするものか。主が忙(せわ)しい身であるのは心得ている故、どれ程恋しさに苛まれようともお呼び立てなどせぬであろう?我等は」
「然様ですとも」
 わざとらしい口上を並べ立てる侘助を一瞥し、イヅルは重く息を吐いた。
「まあ、いいだろう……。僕も丁度顔を出したいと思っていたからね」
「それでこそ我が君」
「こちらとて、決して意図もなく行ったわけではない……参られよ」
 ああ、と返事であるような溜息であるような声を発し、後に続く。平素ならば主人に逆らおうなどとは露程にもない、従順な刀達なのだが、いざ意を決した際には仮にも男である自分が気圧されてしまう。元来女とはそういうものなのやもしれぬ、とも思うが。
 導かれた書院の間には、人ひとり映ったとしてもまだ余分であるような、広大な三面鏡が置かれていた。未だ足を踏み入れたことのない部屋で、イヅルは暫し立ち竦んでしまう。そこには、目にも鮮烈な世界が広がっていた。己ではない。三面全てに異なる風景が並んでいるのだ。
「これは……」
「昔日、現世、そうして将来。左方から右方へ、渡り歩く生の姿……当然ここは主の精神世界であるからして、主を軸に映し出されておるがな」
 成る程、それならば己は映し出されずとも当然である。イヅルは、じっとその先を見つめた。友が笑んでいる。父母が笑んでいる。そうして、やはりというべきか、左方ばかりに視線を向けている己を嘲笑いたい思いがした。
「それで、これがどうしたと言うんだい?」
「否、貴方様は近頃、頻繁に迷い込んでおられるようでしたので」
「迷うだって?僕が?」
「ええ、この先の、知らずとも良い可能性と頻りに通じて、毎夜魘されておられます……思い違いを致しましたか?」
 ぎくりとした。一体何をご覧になっているのですか、と暗に述べる白を見付りながら、事実と寸分違わぬ指摘に辟易する。安穏とした声音が酷く虚ろで、腹を抉られているような気配さえした。
「……可能性なんかじゃない。おそらくこれは夢なんだ。幻想でしかない」
「幻想などではない。この世界では起こり得ぬことだが……こちらとはまた別の尸魂界で、別の主が同様の目に遭っている」
「一歩道を違えれば、貴方様が歩むことになっていたやもしれぬ局面でございます」
 三者の瞼が一様に瞬きを止め、しんと静まり返る間で、息吹のみが嫌に生を感じさせた。胸が何かに怯えるように早鐘を打っている。目を見開きたいと思うが、それすらも出来ぬ状況であった。眼前の鏡を不思議と眩しく感じたのだ。しかし、同時にそう感じてしまったら終わりだ、とも薄っすら考えた。目も当てられぬ程に神々しいのは、他でもなく過去が輝いているからであろう。けれども、今の現実を映す鏡まで光輝に満ち溢れさせてはならない。現在の日常すら過去の輝きとなって、消え去ってしまうような錯覚を覚えるからである。
「道を違えれば……?ならばこれより先にも、こういった事態に陥る可能性が存在しているということかい?」
「存じません。……それは、貴方様ご自身の導きによるものですから」
「ならばどうして今日僕をここに呼び寄せ、突き付けるような真似をしたんだ。忠告のつもりかい?」
「そう思うか?……主よ」
 紅は、重い調子で呼び掛ける。決まって言及をする際の声だ、と思った。
「畏怖すべき未来を案じたのではない。このような道を歩まずに幸いであったと、安著させるためでもない。ただ知らせたかったのだ。主にとって最も優先すべき存在を、心に想う存在を、知らせたかった……少なからず、癪ではあるがな」
「失うか、失わぬかの決断を迫られる窮地の際にならねば、そういったことには気付かぬもの」
 そもそも花を贈られた時、誰の名を考えた?と呟かれ、憚らず苦笑する。進物を贈られた際、瞬時に名を思い浮かべるということは、それは即ち大事に思われている自覚があるのだと言う。愛されている自信がおありなのだろうとも迫られたが、それは違うと否定する間もなく眼前に薔薇が差し出された。
「……その顔を見る限り、こんなことをするまでもなかったようだが」
 白薔薇の女王を一瞥し、手で薔薇を飾るような繊細な仕草を見せてそれを受け取る。
「……今更だよ。優先すべきものも、愛すべきものも、随分以前から理解している。己の生よりも、むしろそちらの感情をより深く感じているくらいだ」
「それでも、認めて置きたかったのです。使命や義務といったものに乱された感情ではないのか。貴方様が真実にご決断なさったことなのか。……真摯に、あの方を想っていらっしゃるのか」
「まるでそうでなければ良いと言っているようじゃないか」
 二人は口唇を左右に吊り上げるばかりで、否定する様子も見せない。イヅルは深く息を吐いて再度鏡を見つめた。先程までの白光は既にない。
「真摯なんて、そんな感情じゃあない。僕は抉られたいんだ。いっそ砕かれて、飲み込まれたい。……壊して下さっても構わない。こんなことを言ったらあの人はきっと僕を詰るだろうけれど、孤独を強いられるよりは、殺して行って下さった方がどんなにか救われるだろう」


“だってゆくゆくは必ず、あの人はどこかへ行ってしまうんだからね”


 そのための覚悟はあるつもりなんだ、と嘯くと、侘助は複雑な瞳をして黙り込んだ。
「……いけません、貴方様がそのようなお覚悟でいらしては」
「死神の言霊はまやかしのように緩く、また広がり易くもある。確かに声は幻想だとも言えるが……真になるぞ。殊に、今のような脆い状態では」
「だからって、他にどうすればいいというんだ。心からあの方を信頼して、寄り添って、依存した後に斬り捨てられてしまったら?」
「今の主はただの自暴自棄だろう。何も人と人との間に美しいものばかりがある訳ではない……それは誰よりもご存知ではないか」
「そうなればいいと思っているのではないよ。僕は……突如として眼前の幸福が損なわれることもあるのだと、幼少より知っている」
 ずく、と息を呑む。捻じ込むようにしてそれを嚥下させると、剣呑とした表情を崩さぬ刀達を見やった。怯えさせたいとは微塵も思わない。けれども知らせたい。己がどれ程までに夢心地になることを戒めているのか。どれ程までに、愛情というものを穢しているのか。
「道が別たれること、棄てられること、棄てること、ふと消えてしまうこと、どちらかが堕ちてゆくこと、斬り合うこと、殺されること、殺すこと、もしくはその他何らかの状況で死別すること……全ての可能性を、常に思い描いていなければならない。一瞬たりとも酔ってはならないんだ。己が殺し殺される立場であること、既に死んでいることも、考慮に入れた上で人を愛さなければならないんだよ」
 己のギンに対する愛着や情愛の類は真実だ、と断言することができる。それでも、身の内に宿る疑念は拭えない。そのうち内包されたどちらかの狂気が染み出して、現在のような幸福は紛い物になってしまうやもしれぬ。けれどもそれは、誰にとっても言えることである。この世界に、息衝く限り。


「僕達に安息はない」


 悲痛となって流れ出た言葉を最後に、侘助は言葉を発さなくなった。しかしそれは見限ったのでも、発す言葉を捜していたわけでもなく、離れた我が子を懸念するかのような面差しであった。
 そこで目を覚ました。はて、と思う。確かに今の今まで精神世界で侘助と言葉を交わしていたというのに、覚醒した場所は自室であった―否、自室かと考えたそこは、見知らぬ邸であった。鬱蒼としているように見えたものは縁側を境にした杉の枝で、あたかも夢想していたかのような錯覚を覚える。仰臥の体勢からおもむろに上体を起こし、傍らを見た。すると、そこには信じられぬ顔がある。
「やあ、起きたかい」
 柔和な鳶色を輝かせた頭部が、ふとこちらを振り向いた。眦も髪と同じく穏やかな風情を湛えている。この頃常にイヅルの瞼の奥で不敵に笑んでいた顔が、深い眼差しでこちらを見付かった。
「藍染、隊長……」
「驚いたよ。雛森君と一緒に隊舎に帰ったら、廊下に君が倒れていたのだからね」
 まさか、という言葉も続かせぬまま、藍染が続ける。
「吉良君、近頃疲れているんじゃないかな。彼女も気遣っていたよ。君の様子がおかしいと」
「雛森君が……?」
「うん」
 ただの幻影であるはずはなかったが、侘助が自室に座していた自分を隊舎の前に放り出すとは考え難い。それも自隊ではなく五番隊の、だ。むしろ己が精神世界に訪れている間、夢遊病のように場を移したと推測した方がそれらしかった。
「あの、申し訳ございませんでした。ご迷惑をお掛け致しまして……」
「いや、自室に連れ帰って、後は寝かせていただけだ。魘されるでもなく、君は眠り込んでいたのだから、何も世話をすることはできなかったよ。これくらいのこと、迷惑のうちにも入らないさ」
 にこりと人好きのする笑顔を見せる藍染には、疚しい点など少しも見られなかった。恋次の言っていた通り、むしろ疑心暗鬼に駆られていた己の方が可笑しくなってしまったような気がして、僅かながら恥じ入ってしまう。
「それにしても、妙なことを言うものだね」
「え?」
「目覚める前、君がぽつりと呟いたんだよ。寝言と言った方が正しいかな。『覚悟はできてる』『安息はない』って。それから何度も『行ってしまう』と、何かを追いかけるみたいに……魘されている様子ではなかったけれど、やっぱり仕事で何か思い詰めていることがあるんじゃないのかい?」
「……決して、そのようなことは」
「僕で良ければ聞くよ。それとも信用できない?」
「いえ、無論そういう訳ではありませんが……藍染隊長だけでなく、どなたにも申し上げることはできないのです。市丸隊長には、特に」
 意志の強い眼差しに、藍染は嘆息するようにそっと苦笑した。聞き出すのは諦めたようだったが、洗い浚い打ち明けてしまおうかという気持ちもあった。藍染は、元来他人にそういう意識を持たせる男である。けれども幻想の中での藍染の行動を説明しようにも、それは憚られた。たかだか夢の中での事象を打ち明けることで、印象を下げたくはなかったのである。
「藍染隊長、一つ伺っても宜しいでしょうか」
「うん?どうぞ」
「己が命を捧げたお方と生き別れてしまったら、どうすれば良いのでしょう」
 あまりにも断定的であるという自覚はあったが、尋ねずにはいられなかった。何の覚悟もなく突然に姿を消されれば、どうなるものなのであろう。そういった覚悟もなしに他人を愛して、果たして救いはあるのであろうかと、それが知りたかった。
「……そうだな。どうするか、それは状況にもよるけど……ただ一つ言えることは、少なくとも別れというものはそう悪いものじゃないってことだ」
「悪いものではない?」
「そう。確かにできるなら経験したくないことではあるけど」
 藍染は、でも、と一息ついて続ける。
「『然様なら』という言葉には、『そうならねばならぬなら』という語源もあるんだ。思いの深さを感じるじゃないか。別れの際になってその人の重みを知るというのは、あながち嘘じゃない」 
 諦めたようなその言葉は、今の己の心情に近しいとイヅルは思った。例えば今、ギンとの別れを強いられたならば、その言葉で己を締め括るやもしれぬ。別れを享受しながらも、共に在りたいという思いは永遠に、腫瘍を残してゆく。おそらくは心臓の中心に、重苦しい毒を残してゆく。
「実に、美しい話だと思うよ。もし僕が愛する人と別れることになったら、その言葉を残したいとも思う。どのような状況になったとしても、『然様なら』と、それだけは伝えていきたい」
 きっと叶うでしょう、という言葉を差し出しかけて、そうっとしまった。未だに差し掛かった痞えがそうさせたのである。
「そうですね……本当に。僕も是非それが良い」
 うん、と藍染は笑みを深くする。イヅルは複雑な心持ちであった。こちらとはまた異なる世界で、ギンや藍染との離別を余儀なくされている吉良イヅルは、このようにして藍染と談笑することができないばかりか、尊敬の念まで悉く踏み躙られているのである。
「可笑しな話をしてしまったね。君ももう戻った方がいい。皆心配しているよ」
「ええ。では失礼致します。お気遣い有難うございました」
「いや、またいつでも来るといい。今度は是非美味しいお茶を用意して待っているよ」
「痛み入ります」
 二度とこの男性の悪辣な顔を見ることがないように、イヅルは祈りながら隊舎を後にした。



 三番隊の隊舎に到着すると、ギンが扉に凭れていた。そうしてイヅルの姿を見るや否や、待ち構えていたように視線を動かし、眉を顰める。けれども霊圧は畏れなければならぬものではなかったので、ほう、と一つ息を吐いた。
「市丸隊長、申し訳ございません。ただ今戻りました」
「うん、ええけど。けどな、確かに人のこと言えた義理やあらへんけど、休憩中に一旦自室に戻ったまんま帰って来おへんて。それも部屋に行ってもおらへんかったし。そういうんはどうかと思うなあ」
「真に申し訳ございませんでした。時間内に戻るつもりでいたのですが、手間取りまして」
「何に」
「侘助に、呼ばれたものですから」
 本来ならば、非番の日に赴くつもりであった。けれども職務が思うようにいかず、已む無くの逢瀬であったのだ。イヅルは、侘助との逢瀬、藍染からの配慮を、包み隠さず打ち明けた。隠蔽しようとしたところで、何れは知れることだと分かっていたからである。けれども、夢の話や、精神世界での出来事は広言を控えた。何にしても、ギンにはとるに足らぬことである。
「ふうん、そらまたえらい大事になったんやなあ。まあはじめからイヅルが職務を放棄したとは考えてへんかったけど」
「恐れ入ります」
「それで、倒れてたんやろ?身体の方はええの?」
 言いながら、イヅルの頭をぽんと長い指で覆う。ギンのこういった気遣いは、傍目にはお遊びにも映りやすいが、心からの行為であるということをイヅルは知っていた。
「ご心配有難うございます。ですが、元より意識のない状態での行動でしたので、別状はございません」
「ほんならええわ」
 イヅルにしか見せぬやんわりとした笑みを浮かべ、そこで漸く「お帰り」という言葉を聞いた。
 仮にこれより先の世界で、二人目の己に出会うことがあったならば、その時には籠に言霊を提げて贈りたい。『然様なら』と、一見怜悧にも思えるその言葉に込められた熱が、幾重にも咲む花となり、そうして実になればいい。豊かな実に込められた思いが更なる種を成し、その時こそ己の想いを形成したならば、また再び、それは花開くのだから。





*あとがき*
 かぐや姫に切羽詰りつつ、「せめて今度こそお誕生日更新だけは……!」という思いから、本当は一月前、イヅルのお誕生日記念に更新しようと思っていたもの……。(汗)『然様なら』が昇華されると、『愛している』になると思ってます。恋でなくとも、例えば親愛や友愛であったとしても、『お誕生日おめでとう』に込められている意味と同程度の意味が、『然様なら』もとい『そうならねばならぬなら』には込められていると考えているのです。因みにこの語源の話、とある演劇で聞いた話を簡潔化したものです。初めて聞いた時からいつか使おうと思っていて。意味などはほぼ主観ですので、正しいのかどうかは分かりません。突っ込まずにいてやって下さいませ。(汗)それにしても市丸さん甘い。相変わらず市丸さんじゃない。(今更)「人に厳しく自分に甘く、吉良イヅルにはとことん甘く!」がうちの市丸さんの心情かと…。(いや、むしろ自分にも厳しいかも。汗←それこそ市丸ギンじゃない)

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