Doll of Deserting

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斬花:前編(偽善との共鳴余話:第三幕 日乱)

2006-02-25 02:27:30 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
*日乱現世捏造編です。二人ともかなり性格が今と異なる上に夢みがちですので、充分ご注意下さい。
*前編~後編間は大人日番谷で進行しております。
*前編から後編に、後編からオマケへと飛べるようになっております。





 彼は、刀を振るう人であった。だからといって人を斬るでもなく―いや、場合によっては斬るのであるが―決して見境なく斬りつけるということはなかった。
 美しい髪の色は、どこから来たのかと聞いたこともある。すると、今度はあちらからならばお前の色はどうした、と聞き返される。あたしはああ、と頷いてから、曖昧にはぐらかした。
 刀の似合う人であった。刀というよりも、その鋭い切っ先がまるで彼のために造られたように舞うのである。 

  



 思えば不可解であったなと日番谷は思う。女は家を持たず、あるはずの名すら持たなかった。元よりとある呉服屋の長男坊が遠縁であり、二親が亡命した後そこで世話になっていたらしいが、その息子が後味の悪い死に方をしたために家を出ることとなったのだと女は話す。
 呉服屋では大した稼ぎにもならぬ下働きをしていたようである。しかしどうも女の口ぶりからすると、追い出されたわけではないらしい。むしろ伯母などは大変よくしてくれたのだが、昔馴染みの死した姿を目にした瞬間、わけも分からずに飛び出してきたのであると言う。
 その男に懸想していたのか、と、そう問うたこともあるが、女は容易くそうではないと答えた。ただ、男が独りではなく二人で死んでいるところを見て、安著したのやもしれぬし、恐ろしく思ったのやもしれぬと。孤独を絵に描いたような男が人と共に死したという事実を目の当たりにし、我を忘れてしまったのやもしれぬと、そう言う。
「男だか女だかあたしには見えませんでした。でもそんなことはどうでも良かった。絶対に独りきりで死ぬものと思っていたのに、そうでなかったことが奇跡だったんです。」
「…そうか。ところでお前、元々家があったんならどうして名がねえんだ?」
 なぜその話題から話を遠ざけようとしたのか、日番谷にも分からなかった。ただあまりに女が哀れな表情を向けながら唇を動かしているので、見ていられぬように思ったのかもしれない。しかし、女はその質問に対しても同じ顔をして笑んだので、不味かったかと日番谷は眉をひそめた。
「悪かった。」
「いえ、いいんです。…ただ、忘れているだけですから。」
 出てきた時の記憶もなければ、過去にどう呼ばれていたのかすら知らぬ女である。尋常な頭であるならば訝しく思うところであろう。けれども日番谷は、口を滑らせるかのように思わず言葉を紡いだ。
「それなら、うちで暫く暮らすか?」
 そもそも男女が二人きりで、ということを考える余裕などなく、日番谷からしてもそれは不思議な感覚であった。何事も裏まで推測した上で進めるのが常であるのに、どうしたことか、と。何にしろ、それが女の美しさによるものだと思いたくはなかった。





 隙間風が襖を抜け、女のうなじの辺りですう、と燃え尽きる。するとそれだけで日番谷は目を逸らしてしまうので、その度に女は訝しく思い、同時にくすりと苦笑を零した。日番谷は口を引き結んで不本意という風な表情を向けるが、濃い亜麻色の髪が紫電の着物を染め上げ、女が鋭い眼光で猫のように勝ち誇った笑みを見せると、眉を吊り上げて押し黙る。
「何でそうなんだ、お前は。」
「…何がですか?」
「男の性質を全て分かっているように見える。どういう仕草をして、どういう顔をすれば男が自分の方を向くか、知っているように見えんだよ。」
「嫌だ、何ですかそれ。」
 やめて下さいよ、と茶化すように笑うが、日番谷が強い視線で見据えると今度は女の方が押し黙った。すると日番谷はふとそ知らぬ振りをして視線を戻し、ぽつりと言い放つ。
「…お前、昔馴染みの男に拾われるまでは何をしてたんだ?」
「何も。両親を亡くしてからすぐに引き取られましたので。」
「…正直に話していいんだぞ。」
 日番谷が潜めるような声色で促すと、女は俯いて表情を翳らせた。亜麻色の髪が、暗がりに映え、けぶるように美しい。日番谷はその様を、先程とは異なった哀れむような瞳で一心に見つめている。女は暫くそうしていたが、視線に堪えられぬようになったのかおもむろに口を開いた。
「両親が亡くなった後、幼馴染のお家があたしを引き取ろうとして下さったんですけど…その頃には既にその…所謂廓とか、女郎屋とかいうところに売られてたんです。あたしの家、結構苦しかったから。だから幼馴染の家に身請け…と言っていいのか分かりませんけどされる前は、今お話した通りの場所で働いておりました。」
 すう、と、背筋に滑らかな悪寒が奔る。
 昔馴染みの母は生前の女の両親と大変親しく、自分の子のようなものであるからと女を引き取ろうとしたが、例え格子女郎であろうとも身請けには大層な財産が要る。下働きを幾らも抱える呉服屋とは言えど、資金を融通する期間が必要であった。けれども女は元よりの美しさと手腕で次第に売れてゆき、その間に大層な額を孕んだ女郎へと成長していたので、なお長い期間を有したのであると女は世間話をするような調子で語る。
「…お嫌ですか?」
 こんな話は、と続けた女に対し、日番谷は軽く首を横に振る。
「いや…悪かった。」
 その謝罪が一体何に向けたものであったのかは定かではない。詮索した彼女の過去にやもしれぬし、あるいはその話を挙げることにより、彼女の中の「幼馴染」を浅く呼び起こさせてしまったということに対してなのかもしれなかった。





 春に向かい忍ぶ気配を見せる霜の様子が窺えるが、未だ冬の粒子は幾つも辺りへと放たれている。今しがた任を終えた時分であるが、日番谷にしては珍しい類のものであった。日番谷の職といえば所謂よろずと表すのが正しい。よろずと言えども職種は限られているので、何でも屋というわけではないが、刀に関することならば大抵やる。
 時には鍛冶屋にもなるし、罪人を裁けと言われれば裁く。けれども時折受ける介錯の任は、決して後味の宜しいものではない。この時代、幾人殺めようともそれを罪と証明するものはなく、発覚することは僅かであった。
 当然役所などという正規の場所で日番谷を扱うようなことはない。日番谷を雇う先といえば、大抵が気位の高い裕福な商人である。中には細々と鍛冶を目当てに訪れる者もいるが、大概が豪奢な風体で現れては、用心棒やら何やらと好き勝手に申し付けて去ってゆく。
 仕事であるので用心棒などという依頼を断ることも出来ぬが、やはり本当のところは、本職である刀を扱いたいと常々望んでいる。けれども刀を振るう腕を見込まれ、その上で使われていることも確かではあるので、その点に文句はなかった。
けれども困りものなのは、時折訪れる非合法の客である。





 悪どい手を使い商業を営んでいる者も少なくはないが、そのため命を狙われることも常だ。けれども、生まれながらにして格式高い商家の嫡男とされ、生来より気位の高い者の中には、自分に危害を加えようとした罪人を役所などには任せておけぬとはた迷惑なことを口走る者もあった。
『是非この者に制裁を与えて頂きたい。』
 そのような人間は容易に言う。口と同様軽々しく目前を金の山で埋めながら、先日日番谷が捕らえ、あとは役所にでも突き出してくれと要求したはずの罪人を、どれ程拘禁していたのか背後に携えてお見えになった。
 積まれた金が非常に煩わしい。こんなものは黄金ではない。このようにさも豪奢である風な金は、黄金ではない。本物の亜麻色は既に見知っていた。他でもなくあの女の髪の色である。
『…お帰り願いましょう。』
『そう言わず、決して日番谷殿が罪人と明かされるような馬鹿は致しません。』
『そもそも罪人になるってのが性に合わないんでね。』
『これはこれは、結構な性をしていらっしゃる。』
 嘲るような素振りで袖を隠す仕草に些か眉をひそめ、再び『どうぞお引取り下さい』と促す。けれどもあちら側は全く退く様子がなく、むしろ先程よりもいきり立った風体である。男は、広い図体を踏ん反り返し、睨め付けながらいけ好かない口調で放った。
『…はて、日番谷殿に妻があるという話は伺っておりませぬが、そちらの女性は如何されましたかな。』
 はっと背後を振り返れば、客人に気付かなかったらしく女がさも申し訳なさげな表情を浮かべていた。日番谷は軽く女に頷き、いいから黙っていろと促す。
『…姉です。それ以外に何がございます。』
『ほほう、姉上殿。素性も知れぬ貴方様に、姉上殿、とな。』
『…生き別れであったのです。…何か?』
『いやいや、しかし…確たる証拠もなければ、さぞ悪評になりましょうな?質実剛健と名高いお侍殿が契りも交わさぬ女を連れ込んでいるとあっては…。』
 だらだらと聞き苦しい男の声に、ぎり、と口唇を噛み締める。男とて普段は廓やらで遊び呆けているのにも拘らず、米粒ばりに儚い他人の悪態を漁ることにかけては人一倍長けている。日番谷としてはどのような風聞を立てられようと構わぬと思うところだが、何分男には権力もあれば顔も広い。
 この男のことであるから、女の素性にも尾ひれはひれご丁寧に添えつけて広めてくれるに違いなかった。それは不味い、と日番谷は思う。日番谷は訝しげに瞳を上向けている女を一瞥してから、一度溜息を吐いて男に告げた。
『―…お受け致しましょう。』
『有難き幸せ。』
 掠れたような声音で覗き込まれた時の不快感は、今でもよく覚えている。日番谷はそれからじっと無言のまま顔を背けており、男が語っていた「段取り」というものの中身を少しも聞いていなかった。御託を並べたところでやることは変わらぬ。ただ殺めるだけだ。
 とにかく背後に佇む真の亜麻色と対比するように、目前に構えている品のない黄金色を打ち消したいとだけ考えていた。





 任を終えた後は容易い。罪悪感に浸ることもなし、達成感を抱くこともなしに、ただ喪失したような目で刀の血を拭うだけである。殺めた者の表情など覚えていない。誰しも殺められた時の姿など―とりわけ男ならば―記憶されたくはないと思うものであろう。それは死者に対するせめてもの手向けであった。
 浅瀬の脇に、日番谷は険しい表情で佇む。女は今も待っているであろう。夕餉の支度をしているか、あるいはそれを終えて適当に暇を潰しているか、どちらかだ。日番谷の帰りが遅い時には先に夕餉を済ませているのが常であるが、どうしたことか、日番谷が気乗りせぬ面持ちで任へと出かけた日には、食事をせずに待っている。殊勝というよりも、一重に勘が鋭いのだ。
(…暫く、と俺は言ったな。)
 暫くこの家で暮らさぬか、と。けれどもここを出て、どこへ行こうという当てもないような女である。いずれは日番谷の言葉通りに姿を消そうとするやもしれぬが、ならば、その前に。
(…何考えてんだ。)
 そのような想いを取り違えるような歳ではない。けれども、溺れるような歳でもない。日番谷は清めるようにして水に手を沈ませる。それはどこか、目を覚まそうとしているようでもあった。





 帰り際に鬼のような顔をした魚を拾った。釣ったのではなく、拾ったのである。足元にばたばたとちらつくものがあったので、何事かと目を凝らせばどうも魚のように見えるけれどもひどく美醜の意見が分かれるであろうというような生き物が、べたりと地に這い蹲っていた。見目からすると、どうやら鰍らしい。幼い頃に顔も覚えぬ母が日番谷に食べさせたことがあった。鰍の旬は秋であるし、そもそもここいらで釣れる魚ではないはずなのだが、元より捨て置かれた魚である。
 大概の人間が生きた姿の醜さに退くが、じっと眺めていると何やら愛嬌が見られ可愛らしいとも思う。少なくとも日番谷にとっては、一概に醜いとは言い表せぬ魚であった。それも鰍というものは、見目に反して非常に美味いのだ。
「くすんだ色をしていますね?」
 持ち帰ると、日番谷の手に提げられた魚を見て女が興味深そうな目をしながら言う。不快ではなさげであったので、ならば料理をしてくれと頼むと、今度はさも嫌そうに顔をしかめた。
「可哀想に。」
 そうは言えども、元より土手の辺りに打ち捨てられていたものである。それを喰らおうと考える自分も自分だが、既に息絶えた魚を手の中でぐったりとしな垂れさせながら哀れむのもどうしたことか。
「大体、誰が落としたか分からない魚なんでしょ?食べるのは止めましょうよ。危ないわ。」
「鰍は毒を持ってるわけじゃねえぞ?」
「あら、誰かが仕込んでいるかもしれないでしょう。それに冬獅郎さん、鰍っていうのは普通秋にいる魚だって言ったのはあなたじゃありませんか。」
「…まあ、近頃は冬にしては暑いが、春にしちゃ寒いからな。秋みてえな気候だから鰍がいても可笑しくねえんじゃねえか。」
「まあ、嘘ばっかり。」
 くすくすと指で口元を押さえ、女が笑い声を上げる。日番谷はぐっと押し黙るが、話の主題を見失ったような気がして口を開いた。
「お前は女だからな、気に入ったもんを哀れむのは分かるが…何でも可哀想可哀想言ってちゃどうにもならねえぞ。」
「あたしが魚を食べたくないんじゃないんですよ。あなたに食べさせたくないんです。心配だもの。」
「なら肉だけ剥いで、きっちり清めてくれ。肉にまで染み入るような毒はそうそうねえからな。」
「…仕方ありませんねえ…。」
 そうまでして食べたいものかしら、と女は魚をまじまじと見つめる。日番谷が鰍を喰らおうと考えたのは、美味いからというだけではない。記憶の中にある母の面立ちが蘇るようで、ふと懐かしく思ったのである。
 以前知人から、鰍は刺身が一番旨いと聞き受けていたのだが、女が生で食うことを許さなかったので、渋々焼くことにした。
 それを箸で突付きながら夕餉を堪能する。女の作った夕餉はとうに出来上がっていたのだが、鰍もそれらのつまとして一品加えてくれた。酒は呑まぬ主義であるが、何を思ったのか女が用意していたので、軽く傾ける。女はにこにこと笑いながら同じように杯を傾けていた。
「…お前が幼馴染の話をした時、同じだと思ったんだ。」
 普段は口にしない話題すらも、酒精に敗れぽつりと出てくる。
「同じ?」
「ああ―…俺も、最近昔馴染の女を亡くしたばかりだからな。」
「冬獅郎さんも?」
「馬鹿みてえに優しい女だったんだが…惚れた男の墓にもたれ掛かりながら死にやがった。」
「そうですか…ご愁傷様です。」
「いや…。」
 宿命というものは何と非道で、何と美しいものか。時を同じくして同じものを失った人間を、さり気ない場所にて邂逅させる宿命というものは、何と。けれどもこれが宿命であるならば、決して悪いものではないと日番谷は思った。
 




 仕事のない休日に、出かけようと思うのは珍しいことであった。他でもない女の私物を購入するためである。着物一枚身に付けただけの状態で拾ったものの、やはりそれだけでは足りないだろう。女ならば二、三枚あっても足りぬかもしれない。本来ならばとうの昔に行っておくつもりであったが、思うように暇がなく、随分と日が経った後となった。
 女が強請れば金だけ渡していくところだが、女は決して着物などを欲しがらない。否、強請らずとも、女は日番谷が金を渡そうとすれば常に拒む。日番谷が貧しいと思っているのか、もしくは遠慮しているのかは分からぬが、たった一枚の着物を日に一度必ず清めて着用していた。殊勝なもんだ、と日番谷は溜息を吐く。
「…本当にお前は行かないのか?」
「ええ、行ってらっしゃいまし。」
 買出しに参ると日番谷が言うと、女は待っていると答える。とはいえ女の好みなど理解出来ぬので、ここは付いて来て欲しいところなのだが、どうしてか日番谷は女に着物を買ってやるから付いて来いと言うことが出来なかった。
 以前一度街中で女が簪を熱心に見詰めていたので、買ってやろうかと言ってみたところ、女は執拗に拒んだ。おそらく色町で女郎をしていた時分、そのようなやり取りが頭に植わったままなのであろうと考え、それからは女に対して何か買ってやるという風な物言いをすることを避けた。
 するとふと思い付き、日番谷は出かける直前に尋ねる。
「なあ、お前色は何色が好きだ?」
「色…そうね、あたしは赤が好きです。」
「赤か。意外と女らしいな。」
「失礼ですねえ。意外とってなんですか、意外とって。」
 背後でむっとしたような声をあげる女を尻目に、日番谷は「分かった」と一言発し家を出る。赤という色に、蜜色をした灯篭の片鱗を思いながら。赤という色は、日番谷に廓のような印象を持たせた。けれども日番谷は、赤といえど出来るだけ派手でない着物を買ってやろうと思う。その方が女に似合うであろう、と。




 斬花:後編へ。

斬花:後編(偽善との共鳴余話:第三幕 日乱)

2006-02-25 02:25:17 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
 辺りは喧騒で溢れ返っている。けれども商人達は至って穏やかに客人を出迎え、呉服屋などは新たに仕入れた絹織物を表に出していた。日番谷は深々と頭を下げる商人に軽く頷く。既製品を購入すべく訪れたのだが、流れるように立てかけられた絹織物を眺めているところで、一点に視線が集中した。
「いらっしゃいませ。そちらがお気に召しておいででしょうか?」
「いや…着物を買いに来たんだが、この織物は仕立ててくれるのか?」
「勿論でございます。では、そちらを?」
「ああ、これと…着物を二、三枚見繕ってくれ。」
「畏まりました。」
 その織物は、丹念に染め抜かれた真紅が非常に印象的なものであった。それを飾るようにして、品のある大輪の菊と雛菊が彩っている。その菊の零れんばかりに鮮やかな具合に引き込まれ、派手なものは買わぬと思っていたにも拘らず譲ることが出来なかった。
「それでは、仕立てが終了致しましたら、お届けにあがります。」
 織物から仕立てさせるような客は大抵裕福な人間であるので、店主の腰も幾らか低い。日番谷は家の様子を窺えば魂消るのではないかとふっと口の端を上げ、既に仕立てられていた着物のみを提げて家路を歩いた。
 ざりざりと小さく響く砂の音を捉えながら、手の中にある着物の包みをそっと開く。出来るだけ赤を、と思ってはいたが、はじめに見た紅の印象が非常に強くあったために気付けば淡紅、藤色、鶯と、全く関係のない色を並べてしまった。
(淡紅と藤色はともかく、若い女に鶯はどうだかな…。)
 それも淡い仕立てではなく、少しばかり色濃く造られており、若い女性に好まれる色とは思えない。けれどもおそらく女は、黙って着るのであろう。そう考えると、今にも挿げ替えてしまいたくなった。





「あら、お帰りなさいまし。」
「ああ。」
 軽く返事をすると、女がにこりと笑いとたとたと駆けてくる。見目はいかにもといった大人の女を想像させてならないが、時折仕草がほんの少しばかり可愛らしい。『大人』という世を誰より知る女のはずなのだが、時折大人であることを忘れ去ったかのように無垢な笑みを見せる。
 とどのつまり、日番谷はといえば時折女のそういうところを―いとおしい―と、そう思うのであるが、日番谷は女にとって最も大事なものを知らないままであった。知ることが出来ぬという方が正しいのかもしれないが―確かに日番谷は、女の名というものを知らなかった。
 気になりはするけれども、女のためにも聞かぬ方が良いであろうと考え、日番谷はそ知らぬ振りをして女の目前に着物を広げて見せた。女はあっと声を上げ、着物の傍らへと腰を下ろす。
「どうしたんですか?これ。」
「お前も着物一枚じゃ不味いだろ?」
「…綺麗。」
 女はうっとりと顔を綻ばせ、慈しむように裾を手に取ると、着ている着物の上から羽織った。どうかと思っていた鶯色の着物であったが、女が着ると不思議と若々しく思える。考えてみれば共に街へ出るより、何も言わず買い与えられることの方が遊女にとっては多いのではないかと今になって気付き溜息を吐いたが、女がどうとも思っていないようなので苦笑した。
「悪かったな。若草に近いならまだ良かったんだが―その、鶯。濃すぎたろ。」
「いいえ、すごく綺麗。」
 赤を買って来るつもりがないのならば、どうして好きな色など尋ねたのだと女は罵っても良いところなのだが、心底感謝するような面持ちで着物を代わる代わる合わせてみている。飾らぬ女だと思ってはいたが、これ程までとは、と日番谷は再び軽い笑みを漏らした。





 数日で仕立て上がると店の主人は言っていたが、待てども届けに来る様子がないので、仕事帰りに立ち寄ってみた。するとどうやら非常に丹念に造っているらしく、明日までにはと頭を下げられたので、急がぬとも良いと断りつつも、明後日辺りに引取りに来ると告げる。店の主人は客に赴かせるなど恐れ多いという風に拒んだが、是非女と共に訪れて見せたいと言えば渋々了承された。
 そのため仕事の合間を塗り、女を連れ出さねばならなかったのだ。女は訝しげに首を傾げたが、たまには付いて来いと言ったところ素直に従った。
 蓮華の花が軒を連ねる小道を抜け、穏やかに時を重ねる田園を掠めて通り過ぎると、あちら側には街が見える。女は一度どきりとしたように見えたが、ぎゅっと引き締められた手を引いてやった。
 呉服屋の前には立派な看板があるが、女の様子から見ればどうやらここは過去の住まいではないようで、僅かに安著する。それは女も同じであるので、ほっと一息付くと頬を緩めた。
「いらっしゃいませ。」
「先日仕立てを頼んだ者だが…出来てるか?」
「勿論でございます、少々お待ち下さいませ。ただ今…。」
「冬獅郎、さん…?」
 流石にここまで来れば事の次第を察知したらしく、女が見開いた眼で見上げてくる。日番谷は曖昧にそれを逸らし、主人が奥から出でるのを待った。するとすぐに主人が、淡い色の風呂敷に包まれた着物を労わるような手付きで運んでくる。
「この品で間違いはございませんか?」
「ああ―…これだ。」
「え…。」
 広げられた途端に、女が驚愕したような声を上げる。漆で塗られたように鮮明な深紅が視界を染め上げたかと思うと、すぐさま大輪の菊が襲う。滲むような具合に白く染め抜かれたそれは、克明な雛菊と対比するように交わりひどく美しかった。
「何分幅の広い模様ですので、最も映えるように仕立て上げるのが難儀でして…申し訳ございません。」
「いや、見事だと思うが。」
「お褒めに預かり幸甚の至りにございます。」
 傍らの女は未だ魅入られたようにして視線を外さない。見かねた日番谷が「合わせてみるか」と言うと、一瞬戸惑った後そろそろと着物に手をかけた。店の主人は女の風貌を見て、「さぞお似合いでしょう」と笑みを絶やさない。
「…似合いますか?」
「ああ…。」
 女から投げかけられた言葉に、思わず目を逸らす。幾ら見目の麗しい女であれども、似合うものと似合わぬものがある。とりわけこのように派手な風体の着物であれば、着物に着られる女も珍しくない。けれども元より長身なこともあり、軽く羽織るだけでもすらりと美しかった。
「ありがとうございます、本当に…。」
「いや、大したことねえよ。」
「大したことあります、だってあたしは男の人からこんなに嬉しいもの貰ったの初めてなんですもの。」
 笑みを見せる女の表情から、これまで彼女に貢いできた男達と同じようには思われていないのだと確認し、ひっそりと息を吐いた。同時に、何やらこの邂逅がこれまでとは異なった兆しを見せ始めたことを感じる。女にとっても、自分にとっても。
 背後で息を潜めるように揺らぐ影の存在を、日番谷は知る由もなかった。





 なだらかな風が、隙間の開いている指を掠める。風呂敷は自分が持つと言ったのだが、自分で持たせて下さいと女が言って聞かなかった。元より重量のある代物ではないが、女の繊細な手に乗せられているとひどく重苦しいものに見える。
「なあ…お前、結局自分の名前思い出せねえのか?」
「え、…ええ…すみません。」
「責めてるわけじゃねえよ。残念だと思っただけだ。」
「残念?」
「いつまでも『お前』じゃ格好つかねえだろ?」
 女が了承するならば、妻にしたいと考えていた。女と過ごす中で長らく思っていたことである。帰る家がなければこのまま住まってくれればそれが良い、と。けれども高価な着物を買い与えた後では、断りたくとも断れぬことであろう。日番谷は僅かばかり、そのようなもので彼女を捕らえようとしている自分に気付き、大層卑怯に思った。
「お前さえ良ければ―…。」
「冬獅郎さん!」
「…っ!?」
 油断した、と、頭で理解した頃には遅かった。





 短刀を深く腹に宿したままで向かって来た者の腕を掴んだが、刺された後ではやはり少しばかり遅い。けれども足は地に縫い止めたまま、必死に佇んだ状態を保っていた。女は歯を食い縛る日番谷を支えるようにして肩に触れている。
「冬獅郎さん…冬獅郎さん…!」
 呼びかけられるが答えることが出来ず、肩で息をしながら腹から刀を抜く。瞬間どくどくと激しい血の巡りに襲われ、口の端からも僅かに血液が零れたが、構っている暇はなかった。目前の女には見覚えがある。先日殺めた男の―…妻だ。
「…仇のつもりか。」
「何の話だい?」
「旦那を殺した男、の、仇だろ…?」
「あたしはあんたなんて知らない。用があるのはそこの女さ。」
「女、だと…?」
 朦朧とした瞳で女を見つめると、女は青白い顔付きで目前の女を凝視している。男の妻と名乗る女は、狂わしい顔をして口を開いた。
「元は商才も人望もある人だったのに、あんた目当てに遊郭に通うようになってからあの人は変わったんだ。終いには店の金にまで手を出して…あんたが何を貰っても喜ばないんで、もっと高いものを、もっと高いものをってね…。あんたに身請けするのを拒まれた後には頭も狂って…どこかのお偉いさんを殺し損ねておっ死んじまったけど、あたしはあんたの顔を忘れやしなかった。生前あの人が見せてくれたあんたの顔をね…。信じられるかい?妻に向かって遊女を迎えに付き合えだなんてさ。」
「よく覚えております。何の前触れもなしに車を用意して来られて…でもあたしはどうしてもお受け出来ませんでした。身内との約束がありましたから…。」
 涙を堪え切れそうにないという風な顔をし、女がぽつりぽつりと呟く。男の妻ははっと鼻で笑い、未だ意識を保とうと必死になっている日番谷を一瞥すると、女に向かって吐き捨てるように言った。
「そうだねえ、結局あんたはその後易々と親戚の家に貰われたんだもんねえ?…でもさっき呉服屋の前でその男に向けてる顔を見たら許せなかったんだよ。何であんたばっかりのうのうと生きてるのかってね。」
「…こいつが今までどうやって生きてきたか、あんたは知らねえだろうが…。」
 搾り出すような声を出すと、女は再び嘲笑する。
「だからその女は殺さない。お前も一度くらいは大事な男を失くす思いを味わったっていいだろう?」
 ははは、と気味の悪い笑いを響かせる女が煩わしく、これ以上話を聞く必要はないと言わんばかりに腰に挿していた刀を抜き、女の胸に突き刺した。左胸を一度に狙ったのはせめてもの情けである。女は、突如として笑い声を途切れさせ、そのまま事切れる。死に顔だけは何とも整っていた。
 日番谷は再び口から血を吐き出すと、その場にくず折れた。女は慌ててそれを抱きかかえ、幾度も名を呼ぶ。このような時でさえも女の名を呼べぬ自分が、ひどく切なかった。
「冬獅郎さん、冬獅郎さ…。」
 日番谷は、傍らに無造作に置かれている風呂敷を一瞥し、それに手を伸ばした。着物は変わらず美しいまま端正な容貌を保っている。日番谷はそれを広げると、視界を埋めるように緋にかざした。艶かしい深紅は、緋色を浴びて一層際立って見える。
「冬獅郎、さん…?」
 着物の端に、女の表情が重なった。はらはらと、緋色の空間から雨が流れる。日番谷は着物の模様を無心に眺めながら、狂うように咲き誇る菊の花を視界に留め、女の表情と照らし合わせてぽつりと呟いた。
「…乱菊…。」
「え…?」
「名がなければお前にやろう。乱菊、それが…お前の名だ…。」
「乱菊…。」
 慈しむように、女―乱菊は呟く。一文字一文字、なぞるように、乱菊は己の名を繰り返した。日番谷は乱菊の姿にか声にか、もしくは目前に広がる鮮やかな深紅にか―振り絞るようにして、最期に一言消え入るような声で残した。

「ああ―…綺麗だ。」

 日番谷の表情は、何かをやり遂げたかのように美しかった。乱菊は名を呼んだのと同じように、繰り返し繰り返し日番谷の死に顔を撫でている。周囲の風は、凄惨な殺戮を無きものにするかのように緩慢であった。





沈む愚かは 狂気のあぎと
浮く愚かさは 叶わぬ慕情




斬花:余編へ。

斬花:余編

2006-02-25 02:22:48 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
 はて、どこへ訪れてしまったのやらと適当に足を進めていくと、僅かに佇む光があった。自分が命を落としたという意識はあるが、感覚は少しも存在しない。可笑しなものだと苦笑すれば、目前に漆黒の袴を履いた男が見えた。無造作に手入れされた金糸が、先程闇に堕ちた者には眩しくてならない。
「…誰だ?」
「大したもんじゃあありませんよ。どうもアナタは普通の人間が行くべきところに行き着いていないようなんで、アタシが迎えに来て差し上げたんです。」
「行くべきところ…?」
「普通の人間ならこんなとこで立ち往生なんてしないもんなんスけどねえ…珍しい人だ。」
 馬鹿にするような口調に、少しばかり口の端を下げる。すると男はくつくつと笑い、全てを見透かすようにして口を開いた。
「良いことを教えてあげましょうか…あの魚、アナタに感謝してましたよ。」
「魚…?」
「鰍っスよ。アナタが生前食べたでしょ?実はねえあの魚、喰われることが望みだったんスよ。」
「喰われることが望みだと?そりゃ可哀想な奴だな。」
「人間にもいるでしょう?『人の役に立つことをしたい』なんて望んでる人がね。あの魚は何もないところで死んでいくよりも、誰かに喰われるのが本望だと思っていたんスよ。…生きる者の望みなんて、長年死人と向き合ってきたアタシにも未だによく分かりませんからねえ。」
 男は、今度は自嘲するような笑みを浮かべる。これ程までに笑顔を使い分ける人間は初めて見た、と日番谷は思った。
「その証拠に、自分の姿を見てみて下さいよ。」
「何…!?」
 男から渡された鏡のようなもので自分の姿を確認すると、日番谷の体躯は成人から幼児へと変貌していた。あまりのことに目を瞬かせると、男はさぞ面白そうな表情を見せて日番谷の前まで歩を進める。
「どうです、目線が低いでしょう?…ここではね、自分が一番幸せだった時の姿に返るんスよ。」
「幸せだった時…?」
「肉体的、精神的に最も満たされていた時期にね。ああ、心配しなくても成長はしますから大丈夫っスけど。」
「…可笑しいもんだな。」
「まあ、確かに可笑しなことではありますけどねえ。」
「違ぇよ。…自分の意思によってこうなるのかは分からねえが…生前の俺を見てたんなら、俺が一番満たされてた時期なんて一目瞭然だろうが。」
「ああ…成る程。」
 父もなく母もなく、生きてゆく術を四六時中探していた。自由という言葉で一括りに出来るのならば、確かに幼い頃の自分は満たされていたのであろう。けれども最も幸福であった瞬間といえば、それは限られた時間の中にしか存在しない。
「彼女…死にましたよ。」
「何?」
「後追いっていうんですか、アレ。まあでも…記憶が戻らないままでしたから、このまま乱菊って名で生きていくことになるんスかねえ、ここでは。」
「そう、か…。」
 ならばいずれ、自分が彼女を迎えに行かなくてはならぬであろうと、一種の使命感のようなものに苛まれる。けれどもどっと疲労が押し寄せ、日番谷はその場に倒れこんだ。
「アレー?どうしたんスか?」
「身体が言うことを利かねえ…。」
「まあ、急に幼少時に戻っちゃ使い勝手も悪いでしょうけど…幼児はすぐに眠っちゃいますからね。」
「…なら少し休ませてくれ。」
「いいんですかあ?彼女に追い抜かれちゃいますけど。」
「ああ―…すぐに追いつく。」
 呟くと、徐々に意識を手放してゆく。男はやれやれと肩をすくめ、踵を返した。時が来れば然るべき場所へと送られるであろうと確信し、「オヤスミなさい」と息を吐き出すような調子で言う。けれども日番谷の耳には、既に生前に聞き覚えのある声のみしか聞こえていなかった。





 終ぞ叶うことのなかった逢瀬が、今もしこの場所で叶うというのならば、転生も、希望すら捨て、走り寄ることが出来るのであろうか。それまでに彼女がどれ程の邂逅を交わし、どのような想いに苛まれるかは分からぬが、再び時を同じくする日が訪れるならば、その時には。



『お帰りなさいまし』



―笑顔を護れますように。




*あとがき*
 ここまでご覧下さった方々、ありがとうございました…!
 乱菊という名を日番谷君が与えたんなら「松本」はどうなるのよという感じですが、きっとあの世で貰ったんですよということでご容赦願います。(汗)
 何が書きたかったかって「冬獅郎さん」です。それだけです…orz
 先のギンイヅ、藍桃より更に夢見がちになってしまいましたので(しかも喜助さんとか…汗)出すか出すまいかで非常に悩んだシロモノです。(笑)
 宜しければ感想など頂けると安心します。(笑)

鮮花:前編(偽善との共鳴余話:第二幕 ギンイヅ)

2005-10-27 20:32:04 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
*この小説は、連載「偽善との共鳴」にリンクした内容となっております。イヅルと市丸さんに現世時代に面識があったなら、という捏造小説です。イヅルに現世時代などないということは重々承知しておりますが、半ばパラレルという形で読んで頂ければ幸いです。(汗)


*後編は裏にあります。隠しではありませんので、ご入室なさる際には充分お気をつけ下さい。




 彼は、その職業に就いている人間からすれば重々しさの感じられない男であった。僕の家に訪れる時は、決まって着物を売りに来る時であったが、時折彼は僕を連れ出したがった。
 男として育てられた僕を、儚いものに触れるようにして接したのは彼のみであった。彼の売る着物や扇子は、鮮やかな色を残しつつもどこか儚い印象を持たせた。あれは僕であるのだと、彼は見たこともないほどに一際悲しげな顔をして言った。


 
 イヅルは、公家の出身であった。幼い頃からお前の血は気高く、美しいものなのだと教わってきたが、イヅルはいっこうにその考えに順ずることが出来なかった。父と母は死に絶え、そういった教育をするようにと申し出たのは祖母である。何としてでもイヅルに吉良家を継いでもらう必要があるのだと、あからさまに吹聴されているようでもあった。
 常日頃そんなことばかりを耳に入れているためか、近頃は耳鳴りがして仕方がなかった。ともすれば鼓膜すら破られるのではないかと思うほどに、その言葉は険しかった。
「ああ、痛い。」
「…どないしはりました?」
 思わず声を漏らしたイヅルに、誰かが問いかける。おそらく京からこちらへと上ってきたのだと思われる心地よい訛りが耳に優しい。飄々と細められた目は見覚えがある。ここ最近よく見かけるその男は、確か呉服屋だったはずである。そういえば今は新調する着物を吟味している途中であった、とふと思い出した。男は特徴的に整ったかんばせを綻ばせ、慈しむような視線を向けている。
「いえ、あの、何でもありません…。」
「何でもない、いうことはあらしまへんやろ。うちの着物、気に入りませんか。」
 訝しく、というよりも、むしろ不安げに男は尋ねる。その様子が好ましく、イヅルは花が綻ぶような笑顔を浮かべた。男はそれを見ると、やや安心したように表情を戻した。
「いいえ、とても素敵です。ただその…近頃気分が優れませんもので。申し訳ありません。」
「謝られることやありまへんよ。ご気分が宜しないんやったら、外の空気でも吸いに出はったらどないですやろ。せやったらボクが付き添いますよ?」
「え、でもそんなご迷惑をおかけするわけには…。お忙しいでしょうし、お時間の程もありますでしょう。」
「今日はもうボクの仕事は終いや。店の方は若いもんに任してあります。時間なら気にせんでええですよ。」
 それは男がいささか無理に決定したものであるということを、当のイヅルは知る由もなかった。
「それなら…宜しくお願いします。」
「はいはい。」
 そう言いながら、男はイヅルに手を差し出す。まるで女子を扱うかのように振舞うので少しばかり不本意に思ったが、黙ってその手を取った。すると男は、満足そうに笑みを深めた。
「あの、お名前は何と仰るのですか?」
 ふと思い出し、イヅルが尋ねる。手を引かれながらも、男の名を知らぬことを疑問に思ったのである。男は美しい銀糸の髪を風に揺らしながら、尚も柔らかい口調で答える。
「市丸云います。市丸ギン。」
「市丸さん…ギンとは、銀(しろがね)と書きますか。吟遊の吟と書きますか。」
「どっちもちゃいますよ。ただのギンです。まだ誰もよう知らん字やけど…。」
 ギンは、突如として座り込むと、庭の石を使って地面に文字を描いた。おそらくそれは彼の名であると思われたが、それで「ぎん」と読むらしい。しかしイヅルは、その文字に見覚えがあった。イヅルの名と同じ種の文字であったからである。少しばかり嬉しくなり、イヅルは自分の名をギンの横に書き出した。
「僕の名前も漢字ではないんですよ。…あなたの名前とおそらく同じ類のものでしょう?」
 イヅルが微笑みながら言うと、ギンはさも嬉しそうな顔をして同じく笑った。互いに何か通ずるものが出来たようで、またそれが互いにとって何か抜きん出た感情であるかのようで、居心地が悪くなり曖昧に顔を背けた。



 それからというもの、ギンは度々屋敷へ赴いては、着物を売るついでにイヅルを連れて出歩くようになった。はじめは商人と客の立場では、と遠慮していたようにも思うが、最近ではそのような態度も見せなくなっている。イヅルはむしろそれが嬉しかった。特別な魂を持つと教えられてきた自分の全てが、初めて覆されたように思えた。
 ギンはそのうち、敬語を使うなと言い出したイヅルのことを今度は名前で呼び出した。突然のことにイヅルは驚いたが、自分に対してやはりどこか一線引いていたギンが一歩近付いてくれたように思えて、歓喜した。



「市丸さんのお家へ、是非お邪魔したいのですが…。」
「…は!?」
「あ、いえそういう意味ではなくて、是非そちらへ赴いてお着物を拝見したいと…。」
「ああ、ええよ。いきなりそないなこと言うもんやから驚いたわ。」
 いつものように庭を歩いている時イヅルが発した言葉に、ギンが瞠目する。イヅルの方が上の身分であるというのに、決してギンに対する言葉遣いを改めることはなかった。ギンは何度もおかしいと思いそれを指摘したのだが、イヅルは慣れないので、と聞き入れようとはしなかった。
「しかし、着物はボクがここに持って来よるんやからええやん?わざわざうちに来んでも。」
「いえ、やはり一度はお店にお邪魔してみたいと思いまして。それに…市丸さんがどのようなお家でこれまでお育ちになられたのか、興味があります。」
 ああ、またこの子は可愛らしいこと言うて。イヅルがまるでギンに懸想しているかのような言葉を漏らす度に、ギンの中の何かが総毛立つ。しかしそれは恋と呼ぶにはあまりにも儚い。それはむしろ、同属愛とでも言い表した方が正しいような気がした。それでも確かに、自分がこの子を想っているということに変わりはないのだが。
「ええよ、おいで。」
 今すぐにでも、と手を引くギンに、イヅルは逆らわなかった。まだ日は高い。口うるさい祖母も今は出掛けていることであるし、もし行くとするならばこの好機を逃す手はないであろうと思ったのだ。



 檜の香りが鼻先をくすぐる。品良く造られたその店内は、数ある呉服屋の中でも高尚であるということを感じさせた。出入りする客は皆高い身分であるといった風で、連れられた子供すらも嫌に落ち着き払っている。ギンは絹織物を扱う女性に向かって茶を、と言うと、イヅルを奥の間へと案内した。イヅルは「お構いなく」と退いたが、ギンに押し切られ部屋へと入る。
「市丸さん、僕は普通のお客様のようにお着物を拝見させて頂くために来たのであって、決してこのようにもてなして頂くために来たわけでは…。」
「分かっとるよ。せやかてイヅルはただの客やないやろ?」
 ぐ、とイヅルが押し止まるのを見て、ギンが苦笑する。そういった意味で言ったのではないのだと軽く訂正してから、新たな言葉を紡ぎ出した。
「イヅルは大事な友達やもんなあ?」
 はっとしてイヅルが顔を上げると、ギンが所在なげに茶を含んだ。何と言い表そうもなく友人と言い放ってしまったことに、照れ臭さと気まずさが入り混じりどうしようもなかった。
「ありがとうございます…。」
 普通の友人として扱ってもらったことを嬉しく思い、イヅルは礼を述べた。しかし内心では、友人、という言葉にいささか疑問を覚えたのも確かである。友人や知人というものとは違う気がした。いつしか離れてしまうような、しかし繋がっていけるような、不確かな存在であるような気がしていたのだ。
「ここには、お着物の他にも色々なものがあるんですね?」
 掠めるような沈黙が流れ、その場の重苦しさに絶えられずにイヅルが辺りを見回す。そこには売り物ではない小物類が置かれていたが、この店にはそういったものも出してある。余程高価なものなのか、それともこの店のものではないのか、それは分からなかった。
「扇子に巾着、何でも置いてあるで。ここにあるもんはボクが趣味で作ったもんやけど。」
「え、そうなんですか?」
 うん、とギンが尚も茶を啜りながら頷く。素人が作ったにしては精巧に出来ているそれらは、鮮やかな色合いをしているがその色は淡く、どこか儚い面影を残した。聞けばこれらは、最近作ったものであると言う。衝動的に、作らずにはいられなかったのだと。
「これはな、全部イヅルなんよ。」
「僕、ですか?」
「かようにイヅル見よったらな、綺麗やなあ思うて、何かに残したなるんよ。そんで出来たのがこれや。」
 相変わらずまるで女性に言うような口振りでギンが言うので、軽く憤慨したくなったがやめた。ギンの表情があまりに優しかったのもあるし、自分がこれまで培ってきた不安がここで一掃されるような気がしたので、黙っていた。
「市丸さん、お聞きしても宜しいですか。」
「うん?」
「これはあなたの造ったものでしょう。ならばあれは何です。」
「ああ、あれはなあ、ボクの副業や。」
 貼られた髪に描かれているのは、おそらく刺青の下絵であると思われた。艶やかに咲き誇る葉牡丹に、勇ましい龍の様。それは、彩を持たせればどんなにか美しいであろうと想像するだけで身震いしそうになるほどのものであった。
「たまにな、人の背なんかに落書きしとるんよ。」
 茶化すようにギンが言う。刺青まで彫るのか、と感心せずにはいられないイヅルを見つめ、イヅルには紅い花なんかが似合うやろなあ。青でも白でもええけど。と笑った。イヅルは曖昧に笑んでいたが、あのように美しいものが我が身にあればどう思うのであろう、と誘われるような思いで下絵を眺めていた。

 気が付けば夕刻を過ぎ、切なげに光る紅い陽が花や龍を一つの色合いで染め上げている。夜になれば蒼く光るのであろうか、とイヅルはふと思った。
   



【後編(裏)へ】

*充分ご注意下さい。




□あとがき□
 この二人は出会いから書かなければ何が何だか…と思い出会いから書いてみれば、やはり長くなり過ぎて前後編に…すみません。(汗)
 続きは明日にでもUP致しますので、もし読んで下さる方がいらっしゃれば幸いです。

残花(偽善との共鳴余話:第一幕 藍桃)*死ネタ注意

2005-10-25 22:38:24 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
*現世捏造となっております。また、死ネタや後追い自殺などの類が苦手な方はご覧にならない方が宜しいかと思われます。



 彼は、花屋といえば花屋であった。穏やかな目尻を更に少し下げ、よく私に花を持ってきてくれた。彼は多忙な身であったので会うことは難しかったが、私は合間を縫って彼のところへ走ることもままあった。彼は、花屋ではあったが教職にも就いていた。むしろそちらが本職である。それなのにも関わらず時折庭でさながら美しく咲いた花があると、私に贈ってくれる。
 私にとっては、正しく彼は花屋であったのである。


 自分の中で何かが生まれ、また壊れていっているような気もするがそうではない。もしくはただ傷口がじくじくと膿んでいっているような気もするがそうでもない。ただ、ただ胸を突く音は鳴り止まず、自分独りがどこかへ、いやむしろあの人に取り残されていっているような気がして、それがまた胸を打つ。
「惣右介さん。」
「おや、雛森君。学校は終えたのかい?」
「ええ、今終えたところです。」
 桃は女学校を今年卒業する予定であった。惣右介は学校帰りの桃を穏やかに迎えてくれる、いわば兄のような存在であった。花屋でも教員でもある、とは言うものの、実際には旧家の嫡男だということは知っていた。彼は隠しているらしかったが、苗字を偽っていないのですぐに分かる。彼は知らないのかもしれなかったが、『藍染』という苗字は珍しく、この辺一帯では一家しか存在しない。それがまごうことなき華族の末裔である藍染家だということは、周知の事実であった。
「はい。」
 ふと惣右介が桃の髪に花を挿す。桃は少しばかり照れくさそうにしたが、惣右介はそれを微笑ましげに眺めていた。売り物である花を、惣右介はよくこうして桃に分け与えてくれた。お代を払おうとしたこともあるが、財布に手をかけるその手を制されてしまった。
「もう、桃の花が咲く季節だからね。」
 幸せそうな顔をして惣右介が言うので、桃も頬を赤らめて微笑む。惣右介は、幾歳も自分の方が年かさなのにも関わらず、桃のことを下の名で呼んだことがなかった。そのことを桃は少々物足りなく感じていたのだが、そんな自分がいやらしいように思えて、黙っていた。
「…惣右介さんは、どうして花を売ろうと思ったんですか?」
 当然のように、「人の喜ぶ顔を見たいから」だのという言葉が返って来ると思っていた。しかし惣右介は、一度険しい顔をしてから言う。
「花屋になりたいわけではなかったんだ。だからといって教職に就きたいわけでもなかった。むしろ僕は、生きていたいとさえ思っていなかったんだ。強いて言えばそうだな、僕は昔からどうもおかしくてね、他人の傷付くところばかり楽しんで眺めてきた。だからね、いわば…許しを請っているのかな。何かに対して、ただ無心に。僕が売る花は、贈る花ではなく手向けの花なのかもしれない。」
「手向けの…。」
 その言葉は桃が十数年間聞いてきたどの言葉よりも重く、狂おしかった。桃が少しうつむいて目を伏せると、惣右介が「ご免」と謝罪する。どうして謝るんですか、と桃が涙を流した。なぜ自分が泣いているのか、それは理解出来なかったが、彼の印象を崩されたことよりもむしろ、人を蔑むことしか出来ない彼が、ただ悲しく思えたのである。
「可哀想に…。」
 そう、可哀想に、と。
 彼は残酷であったが、非道ではなかった。まだ人間として生きることの出来るほどの意識を保っていたのである。桃が呟いた言葉に少し苦笑してから、惣右介は桃の髪に挿してある薄紅色の花を撫でた。そのまま花に口付けると、桃はやや不本意であるというような顔をしている。その表情がとても可愛らしく見えたので、惣右介は一度戸惑ってから今度は口を合わせた。
「雛森君、ご免。」
 何のことを謝られたのかはよく分からなかったが、桃は「はい」と一言返事をした。拭うこともなかった涙は既に乾いている。春を待つ風が、ふと頬を掠めて寒々しかった。
「これを、君に渡そうと思っていたんだ。」
 惣右介の手のひらに乗せられていたのは、小さな鉢植えであった。大層可愛らしく芽吹いているその葉はどんな花を咲かすのかと思わせた。これは、と桃が問うと、秋桜というんだ、と惣右介が答える。
「まだ日本では珍しいんだけどね、元は墨西哥の花なんだ。秋になると、薄い桃色の花弁が幾重にも開くんだよ。」
「コスモス…。」
 メキシコ、という国は聞いたこともなかったが、何やら不穏なものを思わせた。そんな異国の花を、なぜ惣右介は自分に託したのであろうか、と。
「僕はこれから、多分君に会うことが出来なくなる。」
「そんな…。」
「だから、これを君に育てて欲しいんだよ。この花が開いたら、また会おう。」
 言い残して、惣右介が何とも言えない笑みを浮かべた。この花が開けば、本当に逢瀬が叶うのであろうか、と不安にもなる。惣右介に何が起こるのか、それは分からなかったし聞くこともしなかったが、なぜか彼が桃にとって手の届くことのない場所へ行ってしまうような気がしていた。


 惣右介が花屋の二階で死んでいる、と連絡が入ったのは、翌日の夕刻のことであった。桃の両親は惣右介と昔から面識があったので、発見されてから間も置かずに連絡が届いた。桃は泣くことも焦ることもなく、呆然として現場へと向かった。
 
 血溜まりに、横たわっているのは彼ではないように思えた。彼の持っている花の方が、鮮明に見えた。その花は、正しく桃の花である。薄紅色の花弁が血で紅く染まり、椿のようになっている。桃は、それでも泣くことはしなかった。彼がどこかへ行ってしまうことは、分かっていた。惣右介が遠い、どこかも分からないような異国の花を持ってきたことから、暗にそれを示しているような気がしていた。
 そして、おそらく秋桜が咲こうとも、もう二度と会うことはないであろうということは、当然のように思っていた。惣右介の親族の声などは、世界の外から聞こえて来るように感じた。



 秋が訪れ、気付けば蝉しぐれの声も随分前に聞こえなくなっていた。周囲は紅く染められ、鮮やかに惣右介の墓を彩っている。定期的に家の者が訪れているであろうその墓は、丁寧に手入れが施されていた。
 墓前に、桃の小さな手が何かを差し出す。
「惣右介さん、お花、咲きましたよ。」
 ささやかに花を付けたそれは、温かい土の上に慎ましやかに佇んでいた。艶やかなものではないが、その花は、どこか人を安心させるような印象を含んでいる。桃は鉢植えを墓前に置いたまま、懐から短刀を取り出す。

 桃のふわりと笑った顔が、紅に消えた。

 残されたものは、ただ一輪の秋桜のみであった。遠い、遠い遥かな場所から訪れた、秋の名残である。紅葉と血でいよいよ紅く、生々しく色づいたその場所に、唯一血にも塗れず薄紅色の花が首をもたげていた。


次章:鮮花(ギンイヅ)

 

□あとがき□
 ええとこの現世パラレル(?)シリーズは、といえば、もしこの人達に現世時代があったらどういうもんかなーという捏造のもの書いたものでして、大概最後は心中だったり後追い自殺だったりで終わります。(汗)
 内容は結構暗いと思いますので、もしこれを読まれて苦手だと思われた方は次作もご遠慮頂いた方が宜しいかと。…すみません。(汗)
 ちなみに次はギンイヅです。老舗呉服屋の旦那市丸さんと、箱入り息子イヅル。(笑)

偽善との共鳴:余章予告

2005-10-18 22:43:03 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
*ギンイヅ、日乱、藍桃で、全三篇に渡り死ぬ前の現世での二人を書く予定です。イヅルにつきましては現世時代など存在しないということは百も承知ですが、パラレルとして読んで頂けると幸いです。
*この予告は全て混在しておりますが、本編では三話に分けて発表させて頂きます。




 彼は、花屋といえば花屋であった。穏やかな目尻を更に少し下げ、よく私に花を持ってきてくれた。彼は多忙な身であったので会うことは難しかったが、私は合間を縫って彼のところへ走ることもままあった。彼は、花屋ではあったが教職にも就いていた。むしろそちらが本職である。それなのにも関わらず時折庭でさながら美しく咲いた花があると、私に贈ってくれる。
 私にとっては、正しく彼は花屋であったのである。


                   「惣右介さん、お花、咲きましたよ。」

「花屋になりたいわけではなかったんだ。だからといって教職に就きたいわけでもなかった。むしろ僕は、生きていたいとさえ思っていなかったんだ。」



 血溜まりに、横たわっているのは彼ではないように思えた。彼の持っている花の方が、鮮明に見えた。





 彼は、刀を振るう人であった。だからといって人を斬るでもなく―いや、場合によっては斬るのであるが―決して見境なく斬りつけるということはなかった。
 美しい髪の色は、どこから来たのかと聞いたこともある。すると、今度はあちらからならばお前の色はどうした、と聞き返される。あたしはああ、と頷いてから、曖昧にはぐらかした。
 刀の似合う人であった。刀というよりも、その鋭い切っ先がまるで彼のために造られたように舞うのである。



「お前がそうしたいなら、そうすればいい。」



                  「…これは、刀などではございません。」



 彼は、その職業に就いている人間からすれば重々しさの感じられない男であった。僕の家に訪れる時は、決まって着物を売りに来る時であったが、時折彼は僕を連れ出したがった。
 男として育てられた僕を、儚いものに触れるようにして接したのは彼のみであった。彼の売る着物や扇子は、鮮やかな色を残しつつもどこか儚い印象を持たせた。あれは僕であるのだと、彼は見たこともないほどに一際悲しげな顔をして言った。



           「これはあなたの造ったものでしょう。ならばあれは何です。」


   

     「どうにでも、なるもんやねえ。」






*藍桃*「残花」
*日乱*「斬花」
*ギンイヅ「鮮花」


 どれから更新出来るかは分かりませんが…とにかく最終章を書く前にこれを書き上げてしまいます。(汗)


                   
    




偽善との共鳴:七(ギンイヅ)

2005-08-01 13:28:57 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
七:ラスティングメロディー
「好きです。」
 突然イヅルの口から出た言葉に、ボクは一度目を見開いた後、通常より更に細めた。何を言うとるんやろう。この子は。ボクからこの子に気休めの言葉を囁いたことは、幾度もあった。しかしこの子の口からこんな甘ったるい言葉が出たのは、初めてのことや。
「愛してます。聞き流して下さって構いません。ただこれだけは言っておきます。誰があなたを捨てたとしても、僕だけはあなたを捨てたりはしません。あなたが僕を捨てても、僕はあなたを捨てません。」
「えらい怖い言葉やなあ。そないにボクを殺したいん?」
 イヅルが言うてることは、そのまま束縛やと捕らえて良かった。ボクから捨てたってもええんやけど、駄目や。こんな従順な子ボクには他におらん。しかしボクの自由奪ういうことは、ボクを殺す、いうことや。そないなことはボクが一番よう知っとる。自由の中でしか自分が生きられんいうことは、ボクが一番よう知っとる。
「いいえ、殺したいわけではありません。ただ、あなたが僕を捨てるおつもりならば、今ここで、早々に殺して頂きたいのです。」
 イヅルが、胸に咲いた花を撫でる。そして続いて、ボクの胸の椿にも指を這わせた。あまりにも自分勝手な子や。死ぬいうんも生きるいうんも少しも分かってへん。ボクがどんだけお前に生きててほしいかも。
「あなたが僕を想っていらっしゃらないことなど分かっています。それならばいっそ、別たれるその時ではなく、今すぐにでも、僕を殺して頂きたいのです。」
 それとも、殺す価値すらありませんか?無表情に言うイヅルの頬を、無性に張り飛ばしてやりたくなった。想ってへんやと?笑わすわ。
「殺す価値ないんやない。生かす価値があるから殺さへんのや。ボクにここまで言わしたんお前が初めてやで。ええか、覚えとき。」
 お前は当分、離さへん。そう言ったると、イヅルは何でか知らんけどぼろぼろ泣いた。いつやったか、乱菊が『はっきり言葉で離さないって言ってもらえることは、最高に幸せなことよ』言うとったんを思い出す。ただし、信用出来る人が相手の時だけね。とも。どう考えてもボクは信用でけへん男やのに、イヅルは何で泣いとるんやろう。嘘でもええやなんて言うんやろか。
「い…ちまる、隊長っ…!」
 泣きながら、イヅルが必死に搾り出した言葉がそれや。嗚咽にまみれて最初何て言いよるか聞こえんくらいやったけど、確かに、ボクの名前を呼んだ。
「馬鹿やなあ、お前は…。」
 どうせボクは、こんなこと言うとってもいつかお前を捨てるやろう。ボクは永遠にお前を捨てたないのに、捨てなあかんようになるやろう。それでもお前はそれを当たり前や思うんやろうな。ただ、最後にまた、お前に名前呼んでもらえたらそれでええんや。好きだの愛しとるだのそんなんやのうて、ただ、最後に、ボクの名前呼んでくれたら、それで。


 え?アレ?始めはもっと日乱を混ぜるつもりだったのに…。(泣)ちなみに乱菊さんの言葉は多分、「日番谷隊長はアンタとは違うのよ」というイヤミだと思います。(笑)ていうか無駄に甘いんですけど、これでもまだ出来てないんですと言い張ります。藍桃はかろうじて出来てるかもな感じですが、日乱とギンイヅはまだです。(全開の日乱をお読みになった方でアレのどこが出来てねえんだよとお思いの方がいらっしゃるかもしれませんが、そこは管理人の文才不足ということで…。(泣)5000HITアンケートのコメント返信を致しております。心辺りのおありになる方はスクロールをお願い致します。

偽善との共鳴:碌(藍桃)

2005-07-22 16:00:30 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
碌:センサリーガーデン
 桃は、五番隊舎の外にある庭にいた。美しい花々がそこいら中に散乱していて目に麗しい。しかし桃は、ある一点で目を止めた。この庭の花達は枯れることがない。一年中時期に関わらず同じ花が咲き乱れている。その中で同じように咲き続けていた花が、ある日突然枯れた。それは牡丹と、矢車菊だった。それが何を象徴するものなのか、桃はあえて気が付いていない振りをしていたが、それももうする必要はない。
 牡丹は、あの人の花。あの美しい銀髪の、ああいうのを現世では何て言うんだっけ。アルビノ、そう、確かアルビノと言っていた。桃は思う。結局藍染隊長は彼のことを忘れてはいないのだ。藍染隊長は、決してあの男性に恋愛感情を抱いていたわけではないけれど、誰よりも信頼していたことは確かなのだもの。そう、あたしなんかよりもずっと。桃は考えながら、ふと自嘲的な笑みを浮かべた。
 そしてこの矢車菊と牡丹は、彼が三番隊の隊長となるべく五番隊を離れると同時に枯れていった。矢車菊は、三番隊の隊花だ。ここには十三隊の隊花が全て植えられている。ギンが五番隊を離れたのは桃がまだ真央霊術院を卒業する前だったので、桃はこの花が開いていたところを見たことがない。枯れた理由だけ、古株の隊員に聞かされたのだ。
「またここにいたのかい、雛森君。」
 背後から、穏やかな声が聞こえた。それはここにいたことを咎めるような口調ではなかったが、なぜか桃は僅かに震えを覚えた。
「…ここは、あなたの心と同じですから。何かに迷うと、ここに来るんです。」
「僕の、心か。」
 藍染は優しい目をして桃の方を見つめた。出会った頃から少しも変わらずに、ともすれば男よりも強いかもしれない意志を持っている。そんな彼女がふと弱さを見せるのが、自分の心に投影したこの庭なのかと思うと、自然に笑みが零れる。
「でも、今ここの花が全て咲いていないところを見ると、隊長は満たされていないんですね。」
「…うん、まあ…。随分昔の話だけどね。」
 信頼していた。それこそ背中を預けられるほどに、彼は、ギンは強かった。しかし新たに配属されてきた副官は、幼さの残る少女だった。そのことに、不信感を覚えなかったと言えば嘘になる。
「私じゃ、駄目ですか隊長。誰よりも信用する副官には、なれませんか。」
 女として見られるよりも、むしろそんな存在になりたかった。恋人でもなく、ただの上司と部下でもなく、友人でもない。そんな存在になれば、いつまでも型にはまった理由で別れたりはせずに済むと。
「何を言っているんだい、雛森君。後ろを見てごらん。」
 それを見れば、今の僕の心なんて分かるはずじゃないのかい、と藍染はうそぶく。桃が後ろを見ると、大きな桃の木に、これ以上ないほど桃の花が満開になっている。桃は、何を言っていいのか分からず、そっと頬を紅くしてうつむいた。この庭に、この上ない癒しを感じながら。


 何じゃこりゃあああ!!恥ずかしい。藍ギンとかではありません。藍染隊長を頑張って白く白く書こうとしたら、無駄に甘い話になりました。庭は捏造です。思いっきり。ただこういう庭があったら面白いのではないかなあ、と。三番隊の隊花が合っていますように…!(・Д・*)ガクガクブルブル牡丹が一番ギンに似合うと勝手に思っているのですが。(痛)

偽善との共鳴:伍(日乱)

2005-07-06 23:00:31 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
伍:プラスティックエリカ
 花は例え人工物であったとしても美しい。乱菊はエリカの花のホワイトディライトという品種を現世で見た時、まるで生きていないようだと思ったのを覚えている。花弁は他の花とは違い柔らかそうではなく、何だか硬そうに見えた。この世に花というものはありふれているから、自分がなぜそのエリカの花を見てそう思ったのかは定かではない。しかし何かが、自分の感情を突き動かしているように感じた。
「そういえば、五番隊の任務はどうなった、松本。」
 日番谷は訝しげに尋ねた。乱菊はその質問に呆れるかのように、ふうと一度息をついて何ともなしに答える。予想していた質問だ、と遠回しに言っているようにも見えた。
「それはもう、…滞りなく。」
「…そうか。雛森は無事なんだな?」
「ええ、勿論です。そのように心配なさらなくとも。」
 相変わらず桃の話になると、乱菊の返答にはいちいち棘があった。いつもならば桃と朗らかに談笑を交わしたりして、どう見ても桃を蔑んでいるようには見えないのに、なぜ日番谷が桃の話題を出すと急に機嫌が悪くなるのか日番谷には理解出来なかった。自分はここまで女心の分からない男だっただろうか。こんなことだからまだ子供だと言われるのだろうか、と悶々としていると、乱菊の方から再び声がかけられた。
「…隊長、大丈夫ですか?良かったじゃありませんか。雛森が指揮を取るって聞いて一時はどうなることかと思いましたけど、貴方がおっしゃった通りにあの子は強い子でしたよ。あたしみたいに見るからに小生意気そうな見た目じゃないからか弱く見られがちですけど、あれでいて強い女なんだってあたし関心しちゃいました。完璧じゃないですか、強くて可愛いなんて。」
「見るからに小生意気そうって、お前あんまり自分を虐げるんじゃねえよ。」
「あら、じゃあ隊長はあたしと初めて会った時派手だって思わなかったって言うんですか?」
「そりゃあ派手だとは思ったが、小生意気そうとは誰も思っちゃいねえだろ。」
 ふふ、と乱菊が微笑む。日番谷は、先程乱菊が「強くて可愛いなんて完璧だ」と言ったことに対して少しばかり疑問を覚えた。確かに雛森はその通りだと思うが、本当に才色兼備なのは乱菊なのではないか、と。
「だってあたし、花に例えられると決まって薔薇だとか百合だとか豪奢なものばっかりで。それはそれで綺麗だし嬉しいんですけど、あたしもっと可愛い花に例えられてみたかったんです。」
「薔薇や百合か?考えたこともなかったな…。」
「じゃあ隊長はあたしのこと、どんな花に見えます?」
「そうだな、白くて小せえのでいいんじゃねえか?…答えにしてはありきたりすぎるか。」
 ふうと息をついて顔を背けてしまった上司を見つめ、乱菊はあの時現世で見た花のことを思い出していた。白く小さな、エリカの花。豪奢ではないが、幾房もの花弁が連なった姿は、美しい生命力を連想させた。外見に柔らかさがなくとも、強く生きるその姿は大地に根を張る美しい女そのものだった。


何ていうか、ありきたりな答えですみません。でも何か日番谷君は、必要以上に乱菊のことを派手な女とは思ってなさそう。外見云々でなくて、中身の可愛さを理解してそう。(夢)これだけラブい雰囲気を作ってますが、くっついてませんよ、まだ。(笑)

偽善との共鳴:四(ギンイヅ+三番隊第三席)

2005-06-30 18:54:34 | 偽善との共鳴(過去作品連載)
四:フラワーシナプス
 三番隊第三席には、今も夢に見る程に後悔していることがあった。彼は吉良イヅルに次ぐ実力者であり、市丸ギンに対して意見することが出来る数少ない隊員のうちの一人だと言われている。しかし彼には、誰にも言えない秘密があった。
 吉良イヅルが副隊長になったばかりのある時、ギンがイヅルを呼び出した。三席は何ともなしにその様子を眺めていたが、二人が奥の間に消えた後、すぐに悲鳴が上がった。そしてそれに気付いたのは彼だけだった。その部屋はもともと下級席官が入れるような部屋ではなかったし、周囲には誰もいなかった。
「ちょお、お前こっちきい。」
 ギンが三席を呼び出した。三席は息を呑んでその様を見つめる。そこには彼が敬愛する吉良イヅルが、しびれ薬を嗅がされて苦痛に顔を歪めていた
「暫く誰も来んようにしとけ。」
 ギンは尚も、言い放つ。命令されるのはいつものことだったが、今日は何か常軌を逸していた。三席はこの日のことを思うと、なぜここで断らなかったのだろうと思う。いっそここで副隊長を連れて逃げる度胸があればよかった。
 彼がこれから何をされるのか分かっていた。そして今日が最後ではないことも。きっとここでギンの行動を許してしまえば、この先も彼は吉良副隊長を慰みものにするに違いない。
「…はい。」
「三席っ…助け…。」
 苦しみながら言うイヅルを、三席は見ていられなかった。ただ目を背けてことが終わるのを待つしかなかった。
「…では、私はそこで待っております。」
 脳細胞が、狂う。にやりと笑ったギンの笑顔によって、全てが何の思考も持たない花か何かに変えられていくようだ。すみません。すみません。申し訳ありません。私は弱い人間です。あなたを攫っても行けないような臆病な男なのです。
 扉に背を向けて立つと、耳を塞いだ。何も聞こえないように。しかし三席の耳には、高すぎるイヅルの悲鳴がしっかりと届いた。その声が更に高まっていく。どうやら身体を傷付けられているようだ、とそのくらいしか理解出来なかった。
 行為は数時間も続いた。三席は悲鳴が止んだのを感じて耳から手を離す。あまりにも強く耳を塞ぎすぎて頭が痛い。
「ごくろうさん。」
 出てきたギンの目が開いているのを、三席は初めて見た。顔自体はとても美しいが、目の色が狂気に満ちている。イヅルのことは直視出来なかったが、何か胸に彫り物があるのは分かった。
 あの時のことを思い出すと背筋が凍る、と三席は思う。自分はイヅルが副隊長に就任した時、彼のためならば命もかけようと思った。それならあの時なぜ彼を救うことが出来なかったのか、未だに分からない。もしかしたら自然と、彼の目の色が恐怖だけに満ちているのではないと感じたからかもしれない。


 何だかんだ言いながらUPですよお嬢さん。(誰だよ)話的に流石にヤバイかなーと思ったのですが、こんなサイトでも一応閲覧者の方々がいて下さるようなので、あまりに連載を更新しないと申し訳ない気持ちになり…結局UP。大した小説ではありませんが、一度でも見て下さった皆さんありがとうございます。感謝の意で一杯です。
 というかこの彫り物をしたのはこの展開だとギンに…。(汗)いやきっとしれっと職人呼んだんですよきっとそうだ!!(どこにそんな奴が)