神奈川県のある酒蔵の無濾過原酒を買いました。前回飲んだのは、21歳の時です。
そのころ、日本酒と言えば、大手の酒造会社の日本酒でした。地酒はいいものだという話は
出ていました。ある日新聞に大きな広告が出ていました。大学生が数人集まって座談会形式で
地酒のよさを語るというものでした。まだまだ普及していない地酒を世間に広めようという
広告主の意欲が感じられます。地酒は売っていなくもありませんでした。大学の同級生の
家が酒屋をしていて、「地酒売ってんの」ときいたら、同級生は「うち来たら買えるで」と
言っていました。私は京都にいて、友人の家は大阪で、地酒を買いに行くには遠くでした。
そこらかしこで地酒が手に入るという時代ではありませんでした。
このようなころ、冒頭の地酒を入手しました。それが私にとっては初めての地酒でした。
飲むや、衝撃的でした。日本酒は端麗なものという印象しかありませんでしたが、濃厚な
味わいでした。香りも濃厚でした。これも日本酒なのかと、常識が覆されるような驚きで
した。
味の記憶が頭に染み付きました。また飲んでみたいと思いながら、買う機会がなく年月が
過ぎました。数年前、仕事で酒蔵の地元に行ったので、買えないかと酒屋に入ったのですが、
原酒はありませんでした。この時は6月でしたが、原酒は寒い時期に売るものでした。その後、
寒い時期に地元に行きましたが、販売時期は1か月後でした。
調べてみると、酒蔵はオンラインショップをしていました。
ようやく、原酒が買えました。あの衝撃をもう一度と原酒を
口にしました。今も記憶に残る鮮烈な味と、今のこのときの
味覚を重ね合わせようとしました。全く重なり合いませんでした。
いい酒なのです。また次の季節も買いたいと思う味です。しかし、
普通に旨いという感想でした。
味というのは、気分や体調で変わります。待望の地酒を初めて飲みました。
その頃の私は若くて健康な体でした。下宿先から帰ってきて家族と年末を
過ごしていました。家族との再会も、酒の味に一味加えたのでしょう。
長年、記憶の味をまた体験したいと思い続けてきましたが、それは
かなわないことだとわかりました。
そのころ、日本酒と言えば、大手の酒造会社の日本酒でした。地酒はいいものだという話は
出ていました。ある日新聞に大きな広告が出ていました。大学生が数人集まって座談会形式で
地酒のよさを語るというものでした。まだまだ普及していない地酒を世間に広めようという
広告主の意欲が感じられます。地酒は売っていなくもありませんでした。大学の同級生の
家が酒屋をしていて、「地酒売ってんの」ときいたら、同級生は「うち来たら買えるで」と
言っていました。私は京都にいて、友人の家は大阪で、地酒を買いに行くには遠くでした。
そこらかしこで地酒が手に入るという時代ではありませんでした。
このようなころ、冒頭の地酒を入手しました。それが私にとっては初めての地酒でした。
飲むや、衝撃的でした。日本酒は端麗なものという印象しかありませんでしたが、濃厚な
味わいでした。香りも濃厚でした。これも日本酒なのかと、常識が覆されるような驚きで
した。
味の記憶が頭に染み付きました。また飲んでみたいと思いながら、買う機会がなく年月が
過ぎました。数年前、仕事で酒蔵の地元に行ったので、買えないかと酒屋に入ったのですが、
原酒はありませんでした。この時は6月でしたが、原酒は寒い時期に売るものでした。その後、
寒い時期に地元に行きましたが、販売時期は1か月後でした。
調べてみると、酒蔵はオンラインショップをしていました。
ようやく、原酒が買えました。あの衝撃をもう一度と原酒を
口にしました。今も記憶に残る鮮烈な味と、今のこのときの
味覚を重ね合わせようとしました。全く重なり合いませんでした。
いい酒なのです。また次の季節も買いたいと思う味です。しかし、
普通に旨いという感想でした。
味というのは、気分や体調で変わります。待望の地酒を初めて飲みました。
その頃の私は若くて健康な体でした。下宿先から帰ってきて家族と年末を
過ごしていました。家族との再会も、酒の味に一味加えたのでしょう。
長年、記憶の味をまた体験したいと思い続けてきましたが、それは
かなわないことだとわかりました。