京都市平安京創生館には、平安京の1000分の1のジオラマが
展示されています。平安京は東西4.5km、南北6,2knです
から、その1000分の1のジオラマは大変に迫力があります。
平安京の中央には、南の端に位置する羅城門から大内裏にまっすぐ伸びる
朱雀大路があります。実際の道幅は、80m以上あり、1000分の1
模型においてもその道幅の広さが際立ちます。朱雀大路の両側には高い塀が
続き道幅が広いにもかかわらず圧迫感のある光景です。朱雀大路の両側には
碁盤目に東西南北に通された道で整然とした対称な町が見えます。
ボランティアの方の解説がありました。朱雀大路の西側の右京は湿地で
あったために、人がいなくなり左京だけが都としての機能を持ちました。
朱雀大路は、人々の敷地に取り込まれ、今の千本通りが朱雀大路に対応する道
とは言え、細くなり、道も曲がってしまいました。平安京にあって今に
伝わるものは、東寺と神泉苑だけであり、「他はなんにも今に残っている
ものはありません」。
創生館を後にして、錦市場に行きました。京都に行くと、毎度のことです。
コロナがあり、7年ぶりの京都であり、錦市場です。錦小路通に足を踏み入れると、
大勢の外国からの観光客がいました。錦市場は、その場で食べさせたり、飲み物を
飲ませたりする店が増えました。前回来た時にはあった、学生時代に来たことのある
肉屋がなくなってそのような店になっていました。飲食店目当ての観光客の多さに
前に進むのもままならず、目当ての店を見つけることができませんでした。
余りの変化に、「私の知っている京都はなくなった」と思いました。そして、
ボランティアの方の平安京にあったものは何も今に伝わらないという言葉が
頭に浮かびました。平安京の建物は今に伝わりません。現代京都の碁盤目の道は
いかにも平安京の道を伝えるようですが、道幅が変わっているのは朱雀大路に
限りませんし、同じ名前の道がずれて走る例もあります。ボランティアの方の言葉は、
都市は変化するという事実を述べたに過ぎないかもしれません。しかし、その方は昔から
京都にいるような年齢の方でした。「京都は昔も今もすっかり前とは変わってしまった」と
いう寂しさを表しているように思えてなりませんでした。
展示されています。平安京は東西4.5km、南北6,2knです
から、その1000分の1のジオラマは大変に迫力があります。
平安京の中央には、南の端に位置する羅城門から大内裏にまっすぐ伸びる
朱雀大路があります。実際の道幅は、80m以上あり、1000分の1
模型においてもその道幅の広さが際立ちます。朱雀大路の両側には高い塀が
続き道幅が広いにもかかわらず圧迫感のある光景です。朱雀大路の両側には
碁盤目に東西南北に通された道で整然とした対称な町が見えます。
ボランティアの方の解説がありました。朱雀大路の西側の右京は湿地で
あったために、人がいなくなり左京だけが都としての機能を持ちました。
朱雀大路は、人々の敷地に取り込まれ、今の千本通りが朱雀大路に対応する道
とは言え、細くなり、道も曲がってしまいました。平安京にあって今に
伝わるものは、東寺と神泉苑だけであり、「他はなんにも今に残っている
ものはありません」。
創生館を後にして、錦市場に行きました。京都に行くと、毎度のことです。
コロナがあり、7年ぶりの京都であり、錦市場です。錦小路通に足を踏み入れると、
大勢の外国からの観光客がいました。錦市場は、その場で食べさせたり、飲み物を
飲ませたりする店が増えました。前回来た時にはあった、学生時代に来たことのある
肉屋がなくなってそのような店になっていました。飲食店目当ての観光客の多さに
前に進むのもままならず、目当ての店を見つけることができませんでした。
余りの変化に、「私の知っている京都はなくなった」と思いました。そして、
ボランティアの方の平安京にあったものは何も今に伝わらないという言葉が
頭に浮かびました。平安京の建物は今に伝わりません。現代京都の碁盤目の道は
いかにも平安京の道を伝えるようですが、道幅が変わっているのは朱雀大路に
限りませんし、同じ名前の道がずれて走る例もあります。ボランティアの方の言葉は、
都市は変化するという事実を述べたに過ぎないかもしれません。しかし、その方は昔から
京都にいるような年齢の方でした。「京都は昔も今もすっかり前とは変わってしまった」と
いう寂しさを表しているように思えてなりませんでした。