Chodzmy!!

Studiuje gre na fortepianie w Polsce
*アルバム更新 9/14*

キャンドル

2005-09-26 | ・あさみ絵日記
キャンドルをつけると部屋の温度も上がる気がする!
+ピアノから見えない位置にあるテレビを、消音でつけたまま弾いてたり。
ぬくもりです!

秋の街。

2005-09-23 | ・春夏秋冬
ちょっとずつ紅葉が始まってるみたいです。
ワルシャワは木がいぱーーーいあるので、その表情の移り変わりが良く感じられます。
いつも思うけど、葉っぱ+その背景の空、ってきれい。

今日はついにおうちのストーブつけちゃった。
ウチは坂の下だから寒いあるよ。
中央暖房はまだまだな予感なので。。。

初☆ネット振込み

2005-09-23 | ・ポーランド生活記
「電話代早く払ってけろ」

という電話がきた。
そ、そういえば、

ここんとこめっきり、電話代トカって払ってなかったような・・・

そして棚から登場したのは、7,8月分の請求書

いつもは郵便局から振り込んでいたのだけれど、
最近やっと、銀行のカード作成&そのネットバンクの登録をしたのデス
で、それだと銀行口座からネットで振り込めるというではないか!!
実家住まいで日本でもやったことなかったので、ホントに初

もう、郵便局へ行って番号札取って待って…ってしなくても、
お部屋でカプチーノ飲みながら振込みできちゃうぞなもし。
手数料も郵便局より安ーい。

2ヶ月滞納なんてまだまだあま子だけどね。
でも電話・ネットは止められちゃわないようにしなきゃね。 

文明の利器を感じたあさみであった。

秋です

2005-09-20 | ・春夏秋冬
ポーランド、だんだん冷え込んで参りました・・!
ワルシャワは10~15℃位かな。
今の空気って気持ちいい。
冴えたにおいを感じる度、山に旅行へ行った時に吸った空気を思い出す。

そして夜は結構冷えて、吐く息が白くなる!!
すでにマフラー・手袋・タイツデビュー済みのあさみだす。

しかぁし!
まだ時折Tシャツ姿のおにーさんも見かけたりしまっす。

問題は、
いつからカロリフェルがつくのか!!!
である。
建物の中央暖房のことです。
どうも、10℃以下の日が何日か続くとつくらしい。
ん~、微妙に10℃は超えちゃうんだよナ。

それにしてもきれいな空。
昨夜はシルバーの満月+澄んだ空気が、魔法みたいでした。



KOMPANIA PIWNA

2005-09-19 | ・Restaurant,Cafe
旧市街近くにある、ゴロンカがおいしいお店!
ゴロンカ以外にも…
1mくらいある?ような串刺しのお肉!!とか!
しかもそのプレートに、火がついたりんごも一緒に乗ってるのー!
ポーランドの名物スープジュレックも赤い小鍋に入って出てきたり!
それから屋外席には、バヨリンやコンバスやアコーディオン持ったおじさんも回ってきたりしマス!
アミューズメントだ~。

しかもおいしーのだ!酢漬けきゅうりはここのが一番好き!
ぼりぼりぼりぼり、いくらでも食べられちゃいますナ。
ブルーチーズのソースのサラダもおいしかった!!!
・・たまにゴロンカ、味が濃い時があるけど!

さらに、お誕生日には、ケーキとスタッフの歌♪のサービスがあり!
12月、たとえ一人でも行っちゃおうかな~誕生日~笑!

白いパイプ+傘みたいなのがついてるのはストーブ。
外の席には、もういっぱい配置してあります!

さみしい病!

2005-09-16 | ・ポーランド生活記
昨日、私にしてはすごーく珍しく、さみしい病になってしまった!!
珍しいっていうか、初めてかも。。。


そして。

私。

発作的につい。


ブタ買っちゃったわ、ブタ!!!



いやぁ、発病(?)したのが夕方だったため、こんな時に限って誰にも会えず・・・!こりゃ引きずってるよりも、外へ出て歩くなりお買い物するなり甘いもの食べるなりして、さっさと気分転換してやろう、と、夜出発。(→全部した 笑)
ほいで、本屋さんで目に留まったこの子。ほわほわなんだもーん!かなり癒し系。抱いて寝てやるわ 笑!!


Wczoraj,czulam się bardzo smutna!!
I kupilam świnkę!
To mój nowy korega

夏の終わりの夕日

2005-09-11 | ・春夏秋冬
ワルシャワの一番はじっこの橋に、夕日を見に行ってきた!
文化科学宮殿がこんな風に見えるなんて。
あのとんがってるやつです。

ワルシャワってやっぱりきれい!

今頃「ハウルの動く城」の試写会 :) 

2005-09-09 | ・ポーランド生活記
ポ友から、思いがけないお話!
なんと「ハウルの動く城」の、試写会のチケットがあるというではないかー!!

はい、ポーランド今頃試写会です。

でもですね。
予想はしてたんですけどね。

ポー語吹き替え版でしたから!!

始まって初めてそれを知った途端、私のスイッチ全開でON 
一回わからなくなったら終わりだ、粘ってやる 

だけど、私、こんにちはにケが生えた位なんです。。ポー語。。。

画の雰囲気からの理解率・・・70%
ポー語の理解率・・・10%

こんな感じ。

たわいのない会話はなんとなくつかめても、

ハウルとソフィーは一体いつから愛し合う仲になってたのか、
とか、
悪い魔法をかけたおばーちゃんが何でいつの間にか仲間になっているのか、
とか、
街に爆弾落としてるのは誰なのか!?
とか、
肝心なことの方がかなーり分かってないっス!!!

これがキーワードかな、ってものは感じても、
終わりの方は、みんな何がしたいんだかもうちんぷんかんぷんだったね。
くるくる世界が変わるし。

犬の名前はヒンというのか。
とか、終わる頃になって気付いてるしね 

それでも泣けてきちゃったし。

あさみも年だね。

日本語版も公開されるんだろか。だったらもう一回見に行きたいけど、アメリカ版が回ってくるんだったら、英語&ポー語の確率が高い。日本語がいいよぉ。

あ、そっか、10月までにポーランド語わかるようになればいいのか
なーんてね。うは。

記憶力。

2005-09-07 | ・ポ人との対話
ある日、日本学科生と話していたところ。
ある日本語の単語が思い出せなくて、妙に気になりだした様子。

どんな言葉??と訊ねると。

なんだっけな、

手がツボの中から象を引っ張り出してるイメージなんだけど・・・!!


え、えぇ!?
それは何系のイメージ!??

・・・・・・・。

そしてやがて頭の奥から復活してきた二字熟語。




抽象.。.:*・゜☆.。.:*・゜


てへんに、“由”はもともとツボをイメージして覚えたそうで、
だから“手がツボから象を引っ張り出してる”と覚えたそうだ。

なるほどぉ、妙にたくさん漢字・歴史などの知識がある皆・・自分の覚え方があるんだなぁ。

私も、
家ジョーロ・・・湖
寝るボビー・・・神経質な
とかって覚えるっす!!

うっす!!!

アウシュビッツ

2005-09-07 | ・ポ人との対話
あまりに有名な、アウシュビッツ強制収容所。ガイドブックにも必ず載っている。
有名な観光スポット、クラクフの街と同じ方面なので、そこと合わせて訪れるプラン、というのがよくある。

ある日。

「クラクフに行くから、アウシュビッツにも行きたいんだ」
って日本人に言われたポーランド人が、
「なんで皆行きたいんだよ・・」と言ってたことがある。

「行ったことはありますか?」
って、同じく日本人に聞かれていた別の子は、
「私は行ったことないけれど、私のおじさんが小さい頃入れられていた。
今は無事だけど、その時は信じられない位がりがりになったって。」
と答えていた。
その答えを横で聞いたとき、ハッとしてしまった。

アウシュビッツというのもドイツ式の呼び名であり、ポーランド語の地名はオシフィエンチム。日本学科の子たちが、自然なポーランド語の地名ではなく、わざわざ日本人に合わせてアウシュビッツ、って言ってくれるのも、なんだか微妙な感じがする。

遠い日本からポーランドに来たら、訪れることは大切だし、必要だと思うけれど、あくまでもそこは観光名所ではない。特にポーランド人にとっては、日本人よりもずっと近寄り難い場所なのだと思う。そのことを意識することもまた必要だな、と思う。

ちなみに私は、まだ行ったことない。いつかは行くつもりだけど、当分無理かな。

1939.

2005-09-01 | ・記念日,祝日
今日9月1日は、ポーランドにドイツが攻め込んだ日。

1939年の9月1日、朝4時45分、ヒトラー政権下のナチス・ドイツは、ポーランド・ドイツ不可侵条約を破り、宣戦布告なしにポーランドに侵入。第二次世界大戦が勃発した。

クラクフの西の方に、Gliwice/グリビツェという町がある。
当時この辺はドイツ領。ポーランドへ戦争を仕掛ける機会をうかがっていたヒトラーは、ドイツ兵をポーランド兵に変装させ、この町のラジオ塔に侵入させた。スタジオからポーランド語で放送が流された後、ドイツ兵は証拠隠滅の為にポーランド人を殺害し、ラジオ塔を破壊。
同じ夜、ドイツのラジオでは、「ドイツがポーランドに攻撃された」という放送が流れた。この事件をポーランド兵の仕業と擦り付け、攻撃のきっかけとしたのである。

同月17日には、独ソ不可侵条約に基づいてロシアがポーランドの東半分を占領。
ポーランド人はロシア人との仲間意識があり、初めのうちはあまり戦わなかったという。しかし、ロシア人は次第に占領下のポーランド人を虐殺し始める。アウシュビッツの強制収容所は有名だが、それ以外にも悲劇は存在したのである。
翌1940年には、スターリンの命により、ポーランド将校数千人もが、当時のソ連支配下のKatynという場所に集められ、秘密裏に虐殺された。「カチンの森事件」である。ロシアはずっと、今も、この事件の真相を完全にはっきりさせていない。また、普通の軍人をも、Łagryという場所で虐殺した。
「大々的に虐殺を行ったドイツ」の惨さは周知の事実だが、「水面下で卑劣に虐殺を行い、認めようとしないロシア」もまた、反感の対象となった。

ドイツやロシアに侵攻され、西側には裏切られ、苦渋の道を歩まざるを得なかったポーランド。時代は遡るが、ショパンもポーランドが地図上から消えた時代を生きた。この国の人々が、卑屈でもひねくれたものでもない、真っ直ぐな愛国心と強さを持っていなければ、あまりに重い事実を経ての根強い復活は遂げられてこなかったかもしれない。