こちらは中央郵便局
3月は素晴らしいコンサートにたくさん行ったのだけど、全然書かなかったよ。その一つがKrzysztof Jablonskiの学校でのコンサート。プログラムはショパンのバラード1番、ソナタ3番、リストのリゴレットパラフレーズ、スクリャービンのエチュード、ラフマニ、リストのスペイン狂詩曲、でした。
えっとね、いまでも鮮明に覚えているのが、ペダルの並外れたきれいさ。そこに感動。ごまかさないし流されない。即ちクリアでキレイな音である、って単にそういうことではなくて、取り繕わない、フィルターなしの、何か真実味のあるものに繋がっているっていうところ、そこがものすごくものすごく心に響いたんだ。首を伸ばしてペダルに注目しちゃった。
それから、包容力、許容力、強さと繋がってる優しさ。自分に厳しくても、痛みを持ってても、他人には温かさを向けられる感じ。色んな意味で、あったかかった。なんだかね、先生の人間性とも繋がるのかな?、聴いてるうちに、自分が受けてきた人からの優しさをいっぱいいっぱい感じてしまって、涙をこらえるのに必死になってた。近くにいた人には、ちょっとうるうるしてたのばれちゃったかなぁ。
落ち込んだり傷ついたりしたときこそ、そんなぼろぼろのくっさい雑巾みたいな私をもだよ?心配したり相手したり声を掛けてくれる人が周りにいたってことは、本当にありがとうなの。そういう優しさを感じるためなら、そして、自分も人に伝えたいって思えるようになるためなら、そこになら、雑巾になった意義があったのかもって、初めて思える。全ては私が経験すべきことだったんだねって。優しさは持ち物じゃなくて、人の間を移ろっていくものなのかもね。人の間で反応して発生して、でも維持するんじゃなくて流すもの。流すべき部分と流されないべきである部分、両方大事にできたらな。むずかしそ。。。
悲しんだり落ち込んだりして人前で泣くことはほぼないのだけど、ほろって安心して心がほどけたとき、誰かがわかってくれたとき、そんな瞬間は勝手に涙が出てくる。なぜ泣いてるんだか自分でも分かってない。ただほわってなって、溶けちゃうとき。温かさを感じて、すごく沁みたとき。
さて、やりたいこと、聞きたいこと、話したいこと、読みたいもの、行きたいところ、会いたい人、いっぱい。もっともっと語学を頑張って、ちゃんと使えるようになりたいな。もう読み書きはやめー!(いや実は書き書きスキなんだよね…)
話す特訓と聴く特訓に力を入れまーす