Chodzmy!!

Studiuje gre na fortepianie w Polsce
*アルバム更新 9/14*

Slub mojego kolegi

2007-09-09 | ・ポーランド生活記
語学学校のクラスメイト、ポルトガル人のレオナルドの結婚式がありました!お嫁さんはとても綺麗なポーランド人。行われたのは、旧市街際の大きな教会、聖アンナ教会。

ここはとても有名な教会で人気もあり、この日は次から次へと結婚式が行われていていました。予定時刻に行ったらもう式が始まっている模様・・。うーん、綺麗だなぁ☆素敵だなぁ☆そして遠ーくに新郎新婦が見える☆
って。ちょっと待てよ。
あれレオナルドかなあ。あんなに華奢だったかなあ。。。
最後に、パイプオルガンの結婚行進曲と共に二人が近付いてくる。一歩一歩近付いてくる。・・・レオナルドじゃないじゃん!!!
どうやら時間が押していて、前組カップルの式を見てしまったあたくし。ちなみに教会の結婚式、祭壇正面の扉は開けられたままで、通行人も中を見られるし、入ることもできるのです。でも上の写真は、前組のではありません☆

前組の式から出ると、そこではまさにこれから花嫁さんと共に祭壇まで歩く、という彼とばったり。
そんな状況でも「ありがとうね ;)」という笑みを何度も見せてくれて、ああ来てよかったな!と思いました。(一人で向かったから、ちょっとそわそわしていたのです。)

彼は、ペラペラ話すしバリバリ働いているし、絶対6、7コ年上なのだと思っていたのだけど、実は年の差はたった一つだけ。(だが、おそらく彼も私のことすごく年下だと思っている。なのでそれでいこうと思っている。)
友達の結婚式って初めて。いやあ、知っている顔があんなところに!!って、すごく幸せなのですね ;D いつものレオナルドが!いつもの笑顔で!あそこにいるーーー!!お二人ともキラッキラ。ラメかと思ったら笑顔だった。幸せのおすそ分けに与かりまくりです。

式は、ポルトガル語とポーランド語、二ヶ国語を交えて行われました。
書いたように彼はポーランド語がペラペラだけど、正式なものだし、ご家族や親族の為にも必要なのでしょうね。

新郎新婦のお二人はもちろん、そのご両親も、彼らに続いて教会を出るときにとても晴れやかな笑顔で手を繋いでいて、とても素敵でした。
いつもモリモリ授業してくれる語学学校の先生も、温かいだんなさまとラブラブだったり。
そんな光景にも何だか嬉しくなり、ほくほくのほわほわで帰りました ;)

式には、パイプオルガン、ソプラノやチェロの演奏が入り。。。教会で、パイプオルガンが二階の後ろ側にあるのは、音楽が天から降ってくるように感じさせる為なんだって。広く広く響いて、包まれるようで、とてもきれいでした。

いつまでもお幸せに☆



お野菜モリモリかりかり。

2007-08-14 | ・ポーランド生活記

ネギ、生姜、わさびなど、薬味が大々好きな私だけど、日本でいう“西洋わさび”も大好き。ポーランド語ではChrzan(フシャン)といって、どこのスーパーでもこんな風にビンに詰められて並んでいます。2ズウォティ弱(1ズウォティ45~50円)で買えるお手軽なヤツです。日本のわさびよりもマイルドだけど、ちょっとツンと来る新鮮な香りが何ともおいしい。ゴロンカなど脂っこいお肉料理、ローストビーフなどと相性抜群のフシャン(・・想像しただけでいい匂いがしてきそう)。
そういえば、おいしいゴロンカがポーランド人にも日本人にも評判の『PODWALE』という旧市街のお店では、確か、ペースト状のフシャン、刻みフシャン、黄色いからし、の3種類が小皿に添えられてきて、これがまたおいしいのです。ぎっとぎとの脂をさっぱりと緩和してくれるから、いくらでも食べられちゃうんだよね。(ちょっとオーバー。ゴロンカはいくらでもは食べられない。)

脂やたんぱく質たちとよく合うこのわさびくんだけど、私は赤いラディッシュとの組み合わせも大好き。最近、元気な赤ラディシュ(って赤いから勝手に呼んでいるけど正式名称は知らないよ)をよく見かけます。コリコリカリカリ本当にいい音がする。

お野菜について・・・私の考え(根拠は全くない。)では、『根のもの』『葉のもの』『実のもの』をバランス良く食べるのが、きっと何かにいいと思うのです。大雑把なので、ざっと3つに分けてそれ以上のことまではあまり考えないけど^^;
スーパーで手軽に手に入る野菜では、根は、人参や大根、玉ねぎ、ポーランドでは、セロリの根も売られていてとってもおいしい。葉はレタスやキャベツでしょ、実は、パプリカやトマト。お買い物する時は、『ん、そろそろ根を・・・』という感覚で野菜を選んでます。赤ラディッシュは『根』だね。

一束0.99ズウォティ!になっていた赤ラディッシュ、そしてきゅうりを角切りにして(アイツは何気に実?)、{フシャン、マヨネーズ、隠し味程度にほんのちょっとお醤油}のソースで和えてみた。そして、カイワレと海苔をかけて、より和風にしてみました。これをカリコリ食べてうきうきするのです。アボカドや白ゴマを使ってもおいしいだろうな。

考えてみたら、野菜ってとってもカラフル。レゴみたい。ある日はナスやパプリカ、黄色いインゲンなどと、豚のひき肉を使って、具がゴロゴロの野菜カレーを作りました。にんにくやショウガもたんまり入れちゃいます。カレーってとっても元気になる。同じような具でトマト味のリゾットも。乾燥ポルチーニも投入して、バジルをいっぱい振ってみたよ。
それからナスを見ていたらナスの浅漬けを作りたいと思ったのだけど、すぐに全部使い切ってしまった。あ、こちらのナス、ニョキリと巨大なのです。日本のは確かもうちょっと小ぶりだよね。

ところで私は、煮たら煮っぱなし、ピアノを弾き始めたら、たとえ『煮こみ中である』って覚えていても、すぐに弾くのを中断出来ないクセがある。完全に忘れちゃうよりマシだけど。だからナスとかグデデとなることも。お野菜の風味を活かせるようにお料理できたらきっとかっこいいよなぁ。うん。




Polish pop music

2007-08-07 | ・ポーランド生活記
『The Best & The Rest』-2005年


*KAYAH*

1967年、ポーランド、ヴャウイストク生まれのアーティスト。

ポーランドのPop Music、欲しいけど何がいいかなぁ。と長いこと思っていたのだけど、友人にお薦めを聞いて、KayahのCDを入手。日本ではあまり知られていないけれど、ポーランドを始め、ヨーロッパで人気のあるアーティスト。初めてなので、ベスト盤を選んでみました。お店やラジオなどでよく流れていたあの曲この曲がいっぱいダ。彼女の声や歌い方、かっこよくて大好きです。民族調のものからポップなものまで、幅広い顔を持つところも魅力的。日本からこの盤を入手できるのかは不明です。。。

 





Jutro rano
彼女がいない間におばあちゃんがパーティー開いてるらしい。









Teststeron
テストステロンて、辞書にないから何かと思ったら、
"強力な男性ホルモンの一種"らしいw










Supermenka
文化科学宮殿・・・?
"Gdyby mogla byc mezczyzna jeden dzien~"
"もしも一日男になれたら~"という歌い出し。
最後の方のコーラスに、(I just call to say I love you)って入ってるw


カラリ。

2007-05-27 | ・ポーランド生活記

涼しい日陰で31℃だよ!どうする!?




アジュイのはやっぱり苦手です。
ううん、気温ていうか、この日射の強さには即伸びる冬生まれ。
今日は雑用で街を回ったのだけど、鋭い日を浴びるとグデデーーー。
皮膚が、カンベンして・・って言います。
出来る限り日陰を通って進むんだ。
日陰はとっても気持ちいいの。

大工事していた、ul.Krakowskie Przedmiescie クラクフ郊外通り、は着々と整備されてるよ。以前は、だだーっぴろい、かつ、ガタガタで、それはそれは舗装の甘すぎるコンクリートの道路でありました。しかも、歩行者用信号もないときた。歩道はとても狭く、有名な聖十字架教会の景観も、近すぎる車道のせいで何だかアンバランスなものだったのだ。これでコペルニクスもうきうきだね。
今後は、一般車両は通行禁止、と交通規制もされるそう。




写真だと、涼やかに見えるね。
あついよ!!!





歩道が今までの4,5倍(あるよねぇ?)
になったよ




で、今日は、なんだろうコレ。
イベント?何かの撮影?知らないけど、20世紀初頭??の服を着た老若男女、車、馬車、などがウロウロしていました。絵になっていました。タイムスリップしたみたい。何だったんだろう。



おじさんは通行人 向こうの3人の女性と車は昔風。






手すり付近の人々
と観光客のギャップが。。。
誰かクツ脱いでるし






車も~






一輪一輪増えていくお花ちゃん、今日も元気です♪



Cmetarz stare powazki

2006-11-02 | ・ポーランド生活記
11月2日は、ポーランドのお盆といえる、死者の日。
前日の1日は聖人の祝日で、学校や会社もお休みなので、一般的に1日にお墓参りへ行く人が多い。

故人の死について、もちろん悲しみはあるけれど、嘆くのではなく、思いを馳せる日なんだろうな。

その日、ポーランドへ来てから初めて墓地へ行ってきました。

ポーランドには、古くて由緒のある霊園が3つ程あり、その一つがWarszawaにある、Cmetarz stare powazki(ポヴォンスキ)。

ここには、昔の貴族や、文化的著名人、蜂起の時の戦没者、昔の大統領など、歴代の尊敬される人々のお墓もある。中には1830年代の古いお墓も。

土葬の霊園を訪れたのは、私、初めて。

この日は、皆キャンドルやお花をお墓にお供えするので、墓地は特別な雰囲気になる。人も灯りも多く、幻想的な光景。
まずは門から、大きくて重厚な石の彫刻。日本では、“大きな石製のもの”を見かける機会はあまりない。石造りで天井の高い教会もそうだけれど、見上げるほどに大きい石製のものには、いつも何か感じる。

中は、青みがかった薄暗い灰色の空のもと、葉の落ちた木の細い枝先や、お墓の彫刻のシルエットが黒く浮き立つ。更に辺りが暗くなると、キャンドルケースの赤や黄色の温もりが強まっていく。

ポーランドのお墓は、日本の墓石と異なる。十字架や、故人についてのプレートがあるのは一般的だが、中には故人に因んだ色々なモチーフの彫刻が施されているものもある。
操縦士のお墓には飛行機のプロペラ、ヴィニアフスキのお墓にはヴァイオリン。

有名な墓地なので色々な人が来るけれど、特別な思いを持って訪れる人々がもちろんたくさんいる。

露店で買ったキャンドルを持って墓地を周る。キャンドルはどこにお供えしよう、音楽家か、もしキャンドルが全然置いてないようなお墓があったらそこに、と思ったけれど、全く何も置いてないお墓はあまり見当たらなかった。途中でふと、ショパンの家族のお墓もこの墓地にあるって聞いたことがあるような…と思い出したけれど、周った中では見当たらなかったので、ヴィニアフスキのお墓に置こうかな、と思ってそこへ行ったら、友人達に遭遇。ショパンの家族のお墓ってこの墓地だっけ?と聞いたら、すぐそこだよ!と教えてくれたので、たどり着くことができた。

ショパンの家族が眠っているこのお墓。
私はまだ知らなければならないことだらけだけど、この場では素直に感謝させてもらってきました。
私、音楽をやっていて、ショパンだけが特別大好き☆という訳ではないし、ポーランド=ショパンとしてしまっては、ポーランドに対してちょっと浅はかだと思っている。ポーランドあってのショパンだし。ショパンの本当に“ピアノ的”なピアニズムは興味深さこの上ないし、敬意を持ってるのはもちろん。ただ、何事においても、私が知っているのはまだほんの一握りであるという可能性を無視したくない。『無知は無垢ではない、犯罪である』~by Robert Browning といったら大袈裟だけれど、謙虚さを忘れないでいなきゃな、と日々思わされてる。

その後、墓地の教会のミサへ行き、ア・カペラのコンサートを聴きました。
考えてもわからないことってたくさんあるけれど、考えるのは、答えを出すためだけではなんだろうな、とちょっと思いました。




墓地の教会




こんなにステキなキャンドルも。




そして見事な菊たち。




墓地の門。





ヴィニアフスキのお墓。




ヴァイオリンの彫刻です。




大きい墓石です。




著名な人のお墓。




灯りが向こうまで。



Zelazowa Wolaへの旅。

2006-09-04 | ・ポーランド生活記

お庭のバラ。きれいでしょ。


今日は、ショパンの生家のある、ジェラゾヴァ・ヴォラという村へ、夏の講習でお世話になった先生のコンサートを聴きに行ってきました。

ジェラゾヴァ・ヴォラは、ワルシャワから西へ54km。電車でも行けるけど、今回私は長距離バスで。1.5時間強で、たったの5.3zl(≠210円)。

コンサートはもちろんオールショパン、約1時間のプログラム。先生にはお花を絶対あげたい☆と思っていたのだけど、ワルシャワで買う時間がなく…。ま、村だけど、頑張って探せばお花屋さんの一件くらい…

というのが甘かった 

ショパンの生家の入り口のおじさん、
「ここでは全く買えないよ。2,3km先の隣の町まで行かないと。バスで行けるよ。」

とな。でも、バスは1時間先までない。
別に時間が迫っていたわけではないけれど、1時間も、何もないココで待っているのいや 



なら歩いたる。



2,3kmなら、Glucholazyの講習で、宿舎からレッスン場まで毎日往復した距離じゃん?行けるじゃん?と、Sochaczewという町まで歩いちゃった。歩ける距離だけれど、車通りが結構あるので、保険に入っていない人にはおすすめできないよ 笑。


さて。
Sochaczewの町の人って、ご親切なのかしら。


隣町へ着くちょっと前に、日曜日でもやっているお花屋さん発見そこでかわいいバラの小さなブーケを買いましたそしたら、お花屋さんのおばさん、 これはあなたによ と、1輪でもプレゼント出来るような真っ赤なバラを、私にくれた!これがもしおじさんだったらちょっと「きも」かもだけど、おばさんだったから嬉し~~~!と喜んで頂いちゃった 

帰りは絶対に歩かない!と、固く決意。一度、隣町の駅まで出ちゃったほうが、バスに乗りやすいかな…?と、駅へはこの道で合ってるか、通りすがりの親子に確認。そして、そのまま進んでいると・・・。後ろから、さっきの親子の女の子が、思いっきり走ってこっちへ。
「さっき聞かれたときは気付かなかったけど…もしジェラゾヴァ・ヴォラへ行くなら、こっちからバスに乗ったほうがいいよ」ってわざわざ言いに来てくれたの。
そして、親子揃って、「この人を送ってから帰ろうね♪」って、バス停まで連れて行ってくれたのでした。

そして、バス停でチョコレートを食べながら待っていたら、突然車が止まり。今度はおじさんが送ってくれるって。綺麗な車、品のいい初老のおじさん、カンで絶対大丈夫、と来たので、ジェラゾヴァ・ヴォラ通ります?って、送ってもらっちゃった。この人はコンサートへ行く訳じゃなかったけれど、トランペットを吹いていて、ワルシャワのアカデミーの何とか先生とお友達なんだってさ。

そんな訳で、スムーズに戻ることが出来たのでした

そしてコンサート
といっても、ここで行われるコンサートは、ピアノは生家の中で、聴衆は外で…という形態、しかもスピーカー音なのです。だから先生ならではの音質を味わいきれなかったのだけれど。。。でも、シンプルなメロディーのノクターンの中にさえも、魅惑的なドラマ性を含ませてしまう先生の演奏、かっこいいなぁ、って思ってしまいました。ワルツにしても、マズルカにしても、ショパンの音楽の独特の味があって…スピーカーなのは残念だけど、聴けて嬉しかったです☆






















隣接する庭園も広くて緑がいっぱい。
またそのうち写真載せまーす。


ワルシャワ蜂起博物館

2006-08-31 | ・ポーランド生活記
最近とっても寒い。半端なく寒い。珍しく雨と風も強いし。
ヘタすると、体感温度は冬とそう変わらないんじゃ…!?って思うのは大袈裟ですか?

今日は、ワルシャワ蜂起博物館-Museum Powstania Warszawskiegoへ一人行って来たの。この蜂起が起きたのは8月だったし、漠然と、8月中に行きたいなって思ってたので。(入場料は学生2zl≠80円。一般は通常4zlだけど、8月は2zlになってた。)
ここは比較的新しい博物館で、とても充実してる。内容は重いけれど、近代的な造りで凝っているせいか雰囲気は暗すぎないので、ワルシャワに来ることがあったらおすすめ。場所は ul. Grzybowska 79 だよ。私は一人で行動するとかなりマイペースなので結構じっくり周ったけど、たっくさん書いてあるポーランド語を把握しきれないし(あ、英語もあるけど。)、蜂起前後の動きももっと知りたいし、また行きたいな。

そして、ずっと欲しいと思っていた、ワルシャワの記念碑・慰霊碑のマップを入手。ワルシャワの街には、数々の記念碑があり、歩いているだけでそれらをいくつも目にする。ワルシャワ蜂起のマークや、1944、とあるから、蜂起や戦争関係なのだとは分かるけれど、何の碑なのかずっと分からずにいたの。
住んでいるところから一番近くにある、何なのか気になっていた記念碑は、この地域で犠牲となった国内軍のグループのための慰霊碑でした。
だんだん重い話になってしまうけど、でも事実だから書いてみようと思うんだけど、このマップの中には、「この場でナチスにより、○人のポーランド人が射殺された」とあり、その数は、7人だったり、20人だったり、56人、350人、510人…。爆撃の死傷者ではなく、銃殺による死者が?自分の読み間違いじゃないか?と思う数。ワルシャワ中心にある碑の数は300を超える。具体的だし、博物館で色んな写真を見てきたのもあり、信じられなすぎて書きたくなかったけど、書いてしまった。正直言って、どうやって考えたらいいのか分からない。
祖国への想いの強さ、必死さ、そして犠牲にならざるを得なかった人々。

このポーランドの地が、ずっとずっと明るく平和でありますように。











蜂起の期間が、一日ごと日めくりカレンダーみたいになっていて、全部もらえる。
7月23日~9月5日まで66日分(多分。見逃してなければ。)ある。
子供はきゃぴきゃぴと集めてた。












地下通路を真似て作られたもの。
懐中電灯を渡されて入る。
すごーく迷っていたけど「長くないデスか…?」と確認してから入った。
上下左右狭くて暗くて、他の人も入っている時じゃないとこわいよ。。。



コルベ神父

2006-08-14 | ・ポーランド生活記
ポーランドへ来てから初めて知った聖人の一人に、 Sw. Maksymilian M. Kolbe、聖マクシミリアン・コルベがいる。1918年に24歳で司祭となり、『聖母の騎士信心会』を創立。1930年から6年間は、ゼノ修道士と共に日本の長崎でも布教活動を行った。

コルベ神父は、アウシュビッツ強制収容所において、妻子ある一人の男性の身代わりに飢餓刑を受け、1941年の今日亡くなった。

その際に助けられたFranciszek Gajowniczek(フランチシェク・ガヨヴニチェク)氏は、数々の困難や死線を奇跡的に乗り越え、1995年3月、93歳まで生き抜いた。彼はフランス、イタリア、そしてドイツ等、ヨーロッパ各地でコルベ神父の愛を語り、証言者としての使命を果たした。

コルベ神父は1982年10月、前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。

助けられたGajowniczek氏。自分の『生』と向き合わずにはおられない状況に置かれた彼は苦しんだ。自分などより、コルベ神父という立派な司祭が生きた方が、よほど世に恩恵がもたらされたのでは、という失望。そしてそれと交差する、人間として、家族を持つものとして抱いて当然の、死を免れた安堵の気持ち。その気持ちを察する者からは、「神様のお導き」と慰められたが、それは容易に受け入れられるものではなかったはずだ。

しかしこれは、彼だけにおけることだろうか。
彼だけが向き合わなければならなかったことだろうか。
私達は皆、同じように生きている。生かされている。

『生』に対する迷いや悩みを放棄できない。

『身代わりの愛』-聖母の騎士社 の中で、著者、小崎登明氏は、コルベ神父が答えたであろう言葉を想像し、こう述べている。

「人間に―、あの人は尊い、この人は貧しい、そう言う生き方はないのだよ。すべての人間は、同じように神が愛しておられる。神は、普通の人間を愛される。どの人も、あの人も、神の豊かな愛に生かされているのだから。」



日差し、キツっ!

2006-06-23 | ・ポーランド生活記
ようやく、あつあつに暑いワルシャワです!

気温は30℃近くまで昇るし、日差しも強い!

夜明るい!



昨日は、試験のリハーサル的なレッスンの後、その部屋は午後まで空いているから自由に使っててもいいよ、とのことだったので、3時間位そのまま練習。が、そのレッスン室は直射日光ガンガンで、窓を全開にしても温室の様に暑いのだ。夏、特に猛暑の時期など短いポーランド、クーラーはあまり設置されていないしね。(猛暑でも日陰は涼しいんだよね。)

そこに弾きこもること、3時間。。。

350ml(ピンクグレープフルーツジュース)

500ml(リンゴとモモのジュース)

をぐびぐび飲み干しました。
そしてその日の夕方はすっかりバテてしまった。



今は、食べられるものは頑張って食べて、体力つけます。
太ります。
肥えます。
溜めます。




祈り

2006-05-30 | ・ポーランド生活記
ローマ教皇ベネディクトⅩⅥは、28日にポーランドを後にされました。
その最終日28日には、アウシュビッツ強制収容所跡、その近くのビルケナウ強制収容所跡を訪問。

たまたま、家電売り場のテレビコーナーを通りかかった時、ちょうどテレビでその様子が。生放送だ。

その時、ビルケナウの碑の前で祈る教皇の後ろに、とても大きな虹が出ていました。
その光景は、とても印象的だった。
ドイツ出身の教皇としての訪問。
その表情は、想像できる以上に重いものでした。

懇々と祈る教皇と、静かに見守る大勢の人々、収容されていて生き残った方たち、晴れた空に大きな虹。
私になんて、思いの及ばないところだらけだろうけれど、思わず涙が出そうになりました。

ポーランドのニュースのサイトの見出しには、Cud(奇跡)と出ていました。


Onetニュース:教皇ポーランド訪問関連

Onetニュース:教皇のビルケナウ訪問の写真集

Onetニュース:教皇のアウシュビッツ訪問の写真集

ミサの日

2006-05-29 | ・ポーランド生活記
ミサの前の新世界通り。
カメラがたくさん通り過ぎて行き・・・




ミサのために広場へ向かう教皇。




用意周到。




傘の海!




私は隣にいたお姉さんの真似をして、
青い柵の上に座ってました。





あ、みんな旗持ってたんだ。。。




見えるかな?左下の方に。
ポーランドとドイツの国旗が一緒に付けられた旗が、
なんだかとても印象的でした。




キリストの身体とされる、「ホスチア」を配る様子。
たくさんの司祭たちが、
20万人以上集まった人たち一人ひとりに配っていました。



この札が目印。



この時は雨天で、2時間近くに及んだミサ、
腕も肩もガクガク痙攣してしまう程に、本気で冷え込みました。
10℃なかったんじゃないかな。


雨にもかかわらず、お祈りの時には、濡れた地面にきちんと跪く人々もいました。

あと、演奏しているオーケストラの上に、屋根、なかったと思うのよね。
指揮者は、レインコート姿で舞うように振っていました。
楽器は・・・大丈夫だったのかなぁ。すごく気になったんだけど。。。

最後の「ハレルヤ」の合唱は、晴れ間が差して来て、きれいな光景でした。




聖十字架教会

法王がワルシャワに

2006-05-26 | ・ポーランド生活記
25日から、現ローマ法王ベネディクト16世が、ポーランドを訪問されています。

街は大変なことになってるよ。
数日前から、法王が移動の際に使う道路に鉄柵が設けられ、
仮設トイレが並び。

そして、ポーランド国旗と、バチカンの黄色い旗が、色々なところに掲げられています。

ちなみに今日と明日は、スーパーでもレストランでも、アルコールの販売は一切禁止。

法王は、まずワルシャワに滞在、26日の朝ピウスツキ広場で御ミサをあげた後、ヤスナ・グラのあるチェンストホーヴァ、クラクフ、オシフィエンチム(アウシュビッツ)などを訪れるそうです。

法王のご訪問関連の記事:Onetのニュース

国立博物館

2006-05-24 | ・ポーランド生活記
これは昼。



 
14~15世紀の、キリスト教の像や聖壇などは圧巻。
美しい聖母子像から、グロテスクに痛みが表現されたキリストの受難の像まで、
カトリックの国ポーランドならではといえる数々の品を、
間近で見学することができます。





 
絵画のゾーンは、進んでも進んでもまだ先が。
またゆっくり観たいな。

Noc Muzeow♪

2006-05-23 | ・ポーランド生活記
先週の土曜日は、“Noc Muzeow”→博物館の夜、19時~深夜1時まで、ワルシャワの博物館に無料で入れる!という日でした。無料!というところもだけど、深夜にお散歩!というところも魅力的!私は民族博物館と、国立博物館へ行ってきました。両方ともすっごくおもしろかった!ショパン博物館にも行こうと思ったんだけど、1時過ぎちゃったんだ。
小さい頃から美術館って大好き。絵が大好き。
またそのうち行こうっと♪レッスン後とかに♪