来月、JR岩見沢駅の新駅舎が半分完成します。
今作ってるのはJRの施設で、
2009年には岩見沢市の施設ができあがり、
そこで全て完成となるわけです。
1878年、幌内の石炭を運び出すために小樽~幌内間の鉄道工事が始まり、
1882年に幌内まで開通しました。
その工事期間中、幾春別川の川辺に工事関係者の休憩所ができて、
「湯浴み」をしていたのが起源で、
『岩見沢』と名前ができたと言われてます。
その後、室蘭までの線路もできて、
幌内の石炭を小樽と室蘭の港に運ぶ中継点として、
岩見沢は交通の要所として栄えていきます。
しかし石炭の歴史は永遠ではなく、
1975年に国鉄最後のSLが岩見沢に到着しました。
それとともに、国内エネルギーの転換により、
国内産の石炭の需要はなくなっていきます。
ほどなく、万字線や幌内線といった炭鉱路線は廃止され、
岩見沢の街は徐々に廃れていったのです。
石炭の全盛期、駅の職員が500人近くいて、
駅前にはたくさんの飲み屋があり、昼間から開いていた店もありました。
そういう駅前の飲み屋も今では数えるほどしかありません。
連動するかのように、街中には人通りが少なくなっていきます。
2000年12月。
漏電による火事のせいで、岩見沢駅は全焼してしまいます。
しばらくプレハブの駅で再建を待つことになるのですが、
2005年にやっと駅舎のデザインコンペが全国公募で実施されることに
なったのです。