おっさんライダーでいこうぜ

FACEBOOKにはまり2年間このブログ放置してきましたが、再度復活。使い分けが重要なのですね。

風になった健太

2008年08月21日 | バイク


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 夜中にけたたましくなった電話は、健太の交通事故死を伝えるものだった。今から13年前の11月末の深夜だった。横浜市郊外の峠道で、父の車で激しくコーナーを攻めていたところ、運転を誤り電柱に追突したのだ。健太は即死で、形をとどめない程変形した頭と顔が、事故の激しさを物語っていた。


 健太とはじめて知り合ったのは、奴が16歳の高校生の時だ。素行の悪さに手を焼いた両親が、更正のために私の働いていたところに預けたのだ。寮に住み込みながら、高校に通いながら仕事をするのだ。私より6歳も年下のくせに、口の利き方も知らないただのヤンキーだった。仕事も手を抜くことばかりを考え、そのために職場に仲間もできず、一人浮いているだけの存在だった。勤め始めて二週間後に、健太はバイク泥棒で警察に捕まった。悪い仲間とバイク店に忍び込み、一気に数台を盗む悪質な手口だったため、少年院に2年の収監が決まった。当然、高校は退学となった。


 二年後に戻ってきた健太は、30キロの減量に成功し、80キロの引き締まった体となっていた。角刈りのした髪型からも、強い更正の意志が垣間見えた。そこから私たちは急速に親しくなっていった。健太は兄のように私を慕い、毎夜のように私の部屋に来て、悩みことを吐露していた。好きな女のこの事、いつか買いたいGTRの事、将来の仕事の事、そして迷惑をかけた両親への親孝行の事。多くの時間を健太と過ごした気がする。


 健太は18歳になっていたが、無免許運転の処分もあり、20歳まで免許が取れずにいた。バイクや車に乗りたい盛りなのに、かわいそうに禁欲の日々が続いていた。たまたま友人の金太くんが、モトクロッサーMTX125を譲るというので、健太のストレス発散用にもらった。もちろん公道では走れないが、近所にモトクロッサーを走らすことのできる空き地があり、毎週のように健太を連れて行っていた。健太は運転の才能があるようで、タイムアタックでは足元にも及ばなかった。どうすれば早く走れるかを健太に聞くと、力まずにコーナーリングすることがコツらしい。きれいなコーナーリングを決めれば、風をも追い越すらしい。


 20歳になった健太は、車の免許を取得した。それから半年後に、あの夜を迎える。健太は天国でも、風と競争しているだろうか。1年前にまたバイクをやり始めた私には、いまだに風を追い越すという意味が分からずにいる。


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