おっさんライダーでいこうぜ

FACEBOOKにはまり2年間このブログ放置してきましたが、再度復活。使い分けが重要なのですね。

長男のチームがで久々に勝ちました エースナンバーをもらいました

2008年08月30日 | ベースボール


今日は、小学校6年生の長男が練習試合で先発で投げることとなりました。父親としては心配で心配でしょうがないのです。小学校2年生の次男をバイクに乗せて球場に到着すると、すでに試合は始まっていました。2回の表に入っていて長男が投げているところで、0-1とリードしていました。なんと1回裏に長男がセンターオーバーの3塁打を放ち、打点1をつけたらしいのです。ピッチャーとしての長男は、スピードはないのですがコントロールがいいので、ストライクとボールの境界にどんどん投げ込んでいきます。相手チームは積極的に打ってくるのですが、ボール球につられて、ほとんどが内野ゴロで凡退。攻撃に回れば、ちょっとしたエラーを見逃さず積極的に盗塁を繰り返し、終わってみれば、14-2の圧勝でした。


練習試合とはいえ、久々の勝利でした。とはいえ課題もありました。最終回の相手チームの攻撃は、ボールをじっくりと選び始めたのです。1アウトは簡単に内野ゴロに仕留めたのですが、次の打者の内野ゴロをショートが暴投してしまいランナーを出してしまいました。ここからファーボールが続き、守備も乱れたために、2点をとられてしまったのです。長男の投げた球は、かなりきわどいコースなのですが、すべてボールに判定され、なかなかアウトにできなかったのです。ランナーが出て、打者がボールをじっくり見られると、崩れやすいかな。このへんは試合慣れしないと克服できないんだよなー。


いよいよ9/7からは秋季大会が始まるのですが、長男はエースナンバー「1」の背番号をもらいました。我が家は大喜びで大宴会。


高砂親方の指導能力について

2008年08月22日 | 芸能・文化


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大学生の入社面接試験のシーズンになると、話題となる都市伝説があります。真っ白なスーツで面接に挑み、「あなた色に染まって見せます」と言うと合格がもらえるという話です。本当は合格をした人はいないらしいのですが、大学生の間でまことしやかに広がる噂です。実際にほとんどの大学生は、紺色のスーツで身を包んで面接に挑みます。真っ白なスーツは、面接会場で目立つでしょうが、場違いな違和感から完全に浮いてしまうことでしょう。おそらく「あなた色」と言いながら個性の強い「自分色」を押し出すため、まわりから拒否されるはずです。それでは「自分色」というものを大切にし、かつまわりの環境と同調していける人とはどんな人なのでしょう。ひとりだけ思いつく人がいました。元大関朝潮の高砂親方がその人です。


この人のファッションは個性的です。昨年9月の朝青龍問題の時に高砂親方の着用していた個性的なパイロットシャツがマスコミで大きく取り上げられました。シャツを製造・販売していた衣料量販店「サカゼン」が再発売に踏み切るほどのフィーバーです。モンゴルから帰国した時に高砂親方の着ていたクレリックシャツも話題となりました。クレリックシャツとは、衿とカフス部分のみ白い衿を使用した格調高いシャツです。このシャツは基本的に長袖なのですが、高砂親方の着ていたシャツは、なぜか半袖なのです。おそらく高砂親方は、シャツの袖を落として縫製してもらったのだろうとの事。親方の独創的なファッションには脱帽なのですが、世間からは不思議と温かく受け入れられています。


一方でこの人の相撲人生もかなり風変りなものです。生涯の対戦成績からして決して強い力士とは言えませんが、対横綱戦では滅法強い力士でした。対戦した9人の横綱全員に土を付け、しかも通算の対横綱戦白星が40勝という金字塔を打ち立てたのです。引退後は、親方として後進の指導に専念してきましたが、弟子の筆頭は、なんといっても横綱朝青龍です。にくたらしい程の無敵ぶりで「平成の大横綱」と形容されますが、一方で問題児ぶりも大いに発揮し、横綱の品格が議論されるようにもなりました。この問題では、力士本人の責任もさることながら、高砂親方の管理能力と指導能力が指摘されました。


それでも文化の違った外国で育った人を横綱に育て上げた功績は多大です。モンゴル相撲は、古来より伝わる伝統的な競技ですが、軍事的訓練の要素も入った格闘技なのです。神事に奉納された武道である日本相撲とは根本的に違うのです。高砂親方の、弟子を縛らない自由な育成方針が、朝青龍の才能を大いに開花させたのです。選手としても指導者としても実績を残した稀有の人なのです。「人の色には染まりません」でも「人を自分の色に染めません」という生き方にヒントがあるのです。



風になった健太

2008年08月21日 | バイク


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 夜中にけたたましくなった電話は、健太の交通事故死を伝えるものだった。今から13年前の11月末の深夜だった。横浜市郊外の峠道で、父の車で激しくコーナーを攻めていたところ、運転を誤り電柱に追突したのだ。健太は即死で、形をとどめない程変形した頭と顔が、事故の激しさを物語っていた。


 健太とはじめて知り合ったのは、奴が16歳の高校生の時だ。素行の悪さに手を焼いた両親が、更正のために私の働いていたところに預けたのだ。寮に住み込みながら、高校に通いながら仕事をするのだ。私より6歳も年下のくせに、口の利き方も知らないただのヤンキーだった。仕事も手を抜くことばかりを考え、そのために職場に仲間もできず、一人浮いているだけの存在だった。勤め始めて二週間後に、健太はバイク泥棒で警察に捕まった。悪い仲間とバイク店に忍び込み、一気に数台を盗む悪質な手口だったため、少年院に2年の収監が決まった。当然、高校は退学となった。


 二年後に戻ってきた健太は、30キロの減量に成功し、80キロの引き締まった体となっていた。角刈りのした髪型からも、強い更正の意志が垣間見えた。そこから私たちは急速に親しくなっていった。健太は兄のように私を慕い、毎夜のように私の部屋に来て、悩みことを吐露していた。好きな女のこの事、いつか買いたいGTRの事、将来の仕事の事、そして迷惑をかけた両親への親孝行の事。多くの時間を健太と過ごした気がする。


 健太は18歳になっていたが、無免許運転の処分もあり、20歳まで免許が取れずにいた。バイクや車に乗りたい盛りなのに、かわいそうに禁欲の日々が続いていた。たまたま友人の金太くんが、モトクロッサーMTX125を譲るというので、健太のストレス発散用にもらった。もちろん公道では走れないが、近所にモトクロッサーを走らすことのできる空き地があり、毎週のように健太を連れて行っていた。健太は運転の才能があるようで、タイムアタックでは足元にも及ばなかった。どうすれば早く走れるかを健太に聞くと、力まずにコーナーリングすることがコツらしい。きれいなコーナーリングを決めれば、風をも追い越すらしい。


 20歳になった健太は、車の免許を取得した。それから半年後に、あの夜を迎える。健太は天国でも、風と競争しているだろうか。1年前にまたバイクをやり始めた私には、いまだに風を追い越すという意味が分からずにいる。


ひどい話だ 大井PAで置いてけぼりをくらった親子 ディズニー直行便

2008年08月11日 | その他


夜10時30分ごろですが、首都高速湾岸線を走って横浜方面に向かっていました。とても疲れたので、大井PAに休憩のため立ち寄りました。そしてPAで事件は発生しました。


なんと30歳ぐらいの若いママと5歳の女児が、ディズニーランドのバスに置いてけぼりにされて、憔悴していました。話しを聞くと、ディズニーランドから、家に帰るために、たまプラーザの直行便に乗ったそうです。途中でお子さんが腹が痛くてトイレに寄りたいと騒ぎ出したため、バスの運転手さんに大井PAに寄ってもらったとのことです。ところがお子さんがトイレで動けなくなったため、バスに置いてけぼりを食ったそうです。どういう状況で置いてけぼりになったのかはよく分からないのですが、その場でどうやったら高速道路の外に出れるかあちこちに電話して聞いていたそうです。PAに記載してある首都高速の問い合わせ番号などにも手当たり次第電話したのですが、対応時間をすぎていたためつながるところは一箇所もなかったそうです。ワタシが声をかけられたとき、ここから外に出られる入り口はないのでしょうか?と聞かれたのです。路線バス用の停留場でもない限り、外にでれるところはありません。もうここで1時間以上困り果てていたそうです。この若いママは今にも泣き出しそうでした。


見かねて、横浜駅までこの親子を送っていきました。途中、女の子が「トイレがそばにないともらしてしまう」とか「ここでもらしてしまいそう」とか大声で叫びまくっていました。「もらしてもいいからね」と、ワタシがいうと女の子は静かに眠りはじめました。おそらく断続的な腹痛があり、そのため漏らしてしまうという恐怖感から精神的に不安定になっていたのだと思いました。とりあえず横浜駅の東口で、その親子を降ろすと深々とお辞儀をされました。


それにしてもディズニーランドの直行便は対応が悪すぎると思います。おそらくディズニーランドから委託された民間バス会社だと思いますが、いくらなんでも高速道路のPAにおろせば、その親子がどうなるか考えが及ばないのでしょうか?この親子は、いまどこにいるのか、どうやればここから出れるのか、全く考えが及んでいませんでした。他にお客さんがいることを考えれば、やむを得ないことだったのは理解しますが、最低限つぎにどういう行動をとればいいかアナウンスをしていくべきです。もしこの親子が犯罪に巻き込まれたなら、ディズニーランドはどう責任をとるつもりだったのでしょう?


あまりにも腹がたったので東京ディズニーリゾート・ゲスト相談室に電話したのですが、「ごもっともです」「今後このようなことがないように対処します」と紋切り型の答えのみ。別に保障をしてくれという話しではないからいいけど、なんか納得いかないですな。


会津若松 飯盛山にファシスト党とナチスの紋章が

2008年08月07日 | 芸能・文化


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SPAN style="FONT-FAMILY: ' MS 明朝' ; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century"> 長男が小学6年生となり、小学校としては最後の夏休みとなった。3人の息子は夏休みだというのに、毎日野球ばかりに明け暮れ、親としては勉強が心配だ。そんなわけで、福島県会津若松に白虎隊や野口英世を視察する旅行を組んだ。ちょうど私が小学校6年生の時に修学旅行で訪れた地であり、歴史の勉強には最適の地である。(昨年もオヤジライダースでも来ているが、正直歴史には全く興味がなかった)


 子どもたちが最も関心をもったのは白虎隊であった。白虎隊は、会津戦争に際して会津藩が組織した、15歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。少年ながらに果敢に戦うも、近代的な戦力に押され白虎隊も各所で苦戦を強いられた。白虎隊20名が、負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びた。ここから眺めた市中火災の模様を見て、若松城が落城したものと誤認し、総勢20名が自刃した。自分とそんなに変わらない少年が、国のため、故郷の親兄弟のため、藩主のために命を懸けて戦ったのだ。終始、長男は神妙な面持ちでガイドさんの話しに聞き入っていた。


 飯盛山にて驚いたのが、数多い中でもイタリアとドイツから贈られた記念碑である。1928年にイタリアのムッソリーニ首相から、1935年には元駐日ドイツ大使館政治担当外交官エッツドルフ氏より碑が寄贈されたそうだ。ムッソリーニ首相から贈られた碑を支える支柱は、古代宮殿の柱が使われ、イタリア本国では同種のものはすべて国宝に指定されているらしい。第2次世界大戦で三国同盟を結んだ盟友からの、白虎隊の武士道に対する賞賛なのだ。驚くことに碑にはファシスト党紋章やナチスのシンボルであるハーケンクロイツが刻まれているのだ。よく戦後に破壊されずにのこったものだ。世界広しといえども、こんな碑を見ることが出来るのは、この場所以外には存在しないだろう。イタリアファシスト党とドイツナチス党は、藩主のために命を懸ける日本の武士道を賞賛し、自国でも積極的に教宣活動に利用してきた。もちろん戦時中は日本でも奨励されたが、多くの悲劇を生んだことは歴史の事実だ。そして愛国心がまるで危険思想のごとく喧伝される時代もあり、若者は自分の国を愛することを止めてしまった。


長男は、国を想って自刃した白虎隊の生き様に深い感銘を受けたようだ。私たち大人は、純粋に国を想う子どもたちに、どのような未来に対する視座を示せるだろうか。少なくとも、子どもたちが自分の国を愛せる環境を整えるのが大人の責務である。そして子どもの純粋な気持ちを、国や権力が利用しないように監視するのも大人の責任なのだ。白虎隊が今の世に蘇ったら、彼らはこの国を見てなんと叫ぶだろうか。子どものために企画した会津旅行だったが、実は一番勉強になったのは自分だった。


避暑のため山中湖にツーリング

2008年08月03日 | カワサキZRX400



 関東は異常に熱いのです。我が家も34度を超える猛暑となっています。ところが今日は、ボランティアの研修ということで山中湖にお泊りです。ここんとこ何日間も熱帯夜が続き、睡眠不足で夏ばて気味です。避暑がてら山中湖は最高だなあ、ということでバイクで飛び出したものの、外は熱い、熱い。強烈な紫外線で腕は痛くなるし、ラジエターのファンで熱風が股にあたり、ヤケドすんじゃねぇのかと思うほど。市街地を走っていると、汗が止まらず、バイクで来たことを後悔しました。それでも厚木から道志村を通っての一般道ルートを選んだのですが、道志村に入るとやっと気温も低くなってきたようです。さらに山中湖まで来ると涼しい、涼しい。富士山が見えるので、湖畔で写真を撮ってみました。夏の山中湖ははじめてなのですが、スポーツの夏合宿のメッカなんですね。野球、テニス、ソフトボール、剣道、サッカー、ラクロス、ありとあらゆるスポーツの合宿訓練が行なわれています。そのため道志村から湖畔にぶつかる道路は大渋滞となっていました。ラクロスの練習している大学生がいたのでしばらく眺めていました。28度ぐらいで乾いているから、快適でしょうね。





さて友人がとってくれた保養所です。バブル期に建造したものらしいのですが、中は非常に豪華です。そのうえ涼しいから快適そのもの。10時に寝て、7時30分まで完全熟睡でした。余談ではありますが、なんとホワイトリバー氏が、念願だったジャガーを購入しました。ボディーはブリティッシュグリーンで、シートが純白の本皮シートでした。とにかくジャガーは品があります。前に見えるのが、カワサキライムグリーンのワタシのZRXなのですが、同じ緑でもだいぶ違うものだと関心しました。