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近所のコンビニに立ち寄ったら、「実録ノリック 阿部典史伝説」というコミック雑誌がありすぐに買ってしまいました。阿部典史とは、世界GPライダーで、ニックネームは「ノリック」と呼ばれていました。2007年10月7日、川崎市の市道をスクーター型バイクで北上中、左側車線から突然Uターンしてきた4トントラックと衝突し、搬送先の病院にて32歳の若さで急逝しました。ワタシも非常にショックでした。
ワタシも「ノリック」は1994年世界選手権ロードレース第3戦日本グランプリではじめてみて、すぐに大ファンになりました。このレースは、今でも伝説となっていて、DVDビデオでも販売されています。それほど日本人にとっては強烈なレースだったのです。
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(ノリックはゼッケン56番です。下の写真の一番前は周回遅れのマシンで、ノリックがトップを独走しているところです)
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第3戦日本グランプリを見るために鈴鹿サーキットに集まった観客は、ディフェンディング・チャンピオンのケビン・シュワンツ (SUZUKI ゼッケン1)、ミック・ドゥーハン(HONDA ゼッケン4)、ルカ・カダローラ(YAMAHA)の走りに注目していました。このレースにワイルドカード参戦(主催者の推薦によるスポット参戦)したのが、18歳のノリックこと阿部典史でした。ノリックにとっては世界選への初めての挑戦でしたが、スタートでいきなり4番手をとって、そのままトップ争いを演じたのです。しかもマシンは前年型落ちの93年型NSR500を駆り、シュワンツやドゥーハンをブレーキングで交わす走りは驚異的でした。ワタシも手に汗を握りながらテレビを見たことは忘れられません。 バイクのゼッケンというのは、前年度の総合順位をあらわします。通常一ケタのゼッケン番号に、50番台の、しかもワイルドカード参戦の選手がからむことはありえません。結果は、苛烈なトップ争いを繰り広げながらも残り3周で転倒してリタイアでした。しかしそのセンセーショナルなデビューは多くの人に熱い記憶を焼き付けたのです。
翌年の1995年よりWGPフル参戦し、総合順位は9位でした。1996年の世界GP第3戦日本GP(鈴鹿)では、1975年の金谷秀夫、1982年のスウェーデンGPでの片山敬済以来の日本人ライダーによる優勝を飾りました。写真は優勝してウイニングランに入ったところですが、このあとすぐにガス欠になって止まりました。
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いまだにF1では優勝者がいないことからしても、この優勝のすごさが分かるのではないでしょうか。本当に残念ですね。