おっさんライダーでいこうぜ

FACEBOOKにはまり2年間このブログ放置してきましたが、再度復活。使い分けが重要なのですね。

昔のっていたバイク―ヤマハFZR250R

2007年06月28日 | バイク
毎日、新聞配達のアルバイトをしていたのですが、あるとき配達先のYSP(ヤマハのショップ)にこのFZR250Rが並んでいました。現行モデルでありながら、事故車じゃないかと思うほど破格の値段でした。夕刊の配達のときに見つけたのですが、配達が終わるとすぐにお店に行って商談に入ってました。季節は2月でバイクが一番安いときではありますが、ここのショップオーナーのバイクのために破格で出してるとの事。今日の夕方に店頭に出したばかりで、早い者勝ちだということだったので、CBR400Rを下取りに出して、追金10万円ぐらいで購入できたと記憶しています。短いサイクルで乗り換えてきた自分ですが、このバイクはその後3年ぐらい乗りつづけ、一番気に入ったバイクでした。15年前にバイクをやめたのですが、最後のバイクがこのFZR250Rです。最高速はリミッターがついていないのですが180キロでした。とにかくレッドが18000回転ぐらいからですので、ジェット機のような排気音でした。マフラーもすぐに換えたので、抜けるような高回転の音でした。北海道一周のツーリングにいったのもこのバイクで、思い出深いバイクです。マンションを転居する際に、バイク置き場が確保できず、無念にも手放した最後のバイクです。

昔のっていたバイク―CBR400Rエアロ

2007年06月27日 | バイク
スズキRG400γを手放して、ホンダVER400を手に入れようと、近所の中古屋を連日探し回りました。有名な●メダモータースには何台もおいてあるのですが、とにかく程度が悪い割には人気車種のため高いんです。RG400γを手放したことを後悔しながらも、探し回りましたがついにいい出玉には会いませんでした。なぜだかオイル下がりを起こして煙を吐くバイクばかりで、怖くて購入できませんでした。その時に、●メダモータースで勧められたのが、不人気車として今も歴史に残るCBR400Rでした。当時はレーサーレプリカ全盛のときで、どうみてもかっこ悪く絶対嫌でした。でも走行距離は5000キロで、新車同様のCBR400Rが程度の悪いVFR400の半額程度でいいから買ってくれ、と言われました。確かに試乗してみると、最高のふけ上がりのエンジンで、新古車といっても分からないほどの艶でした。このCBR400Rはアンダーカウルをはずすとレーサーレプリカのようになると、わさわざはずして見せてくれました。確かにアンダーカウルをはずしたCBR400Rはレーサーレプリカのような面構えになるんです。そして極めつけは、エンジン楽しむならV4ではなく直4でしか味わえませんよ、という言葉。将来的には直4はなくなりすべてV4に移行すると信じられていただけに、最後かもしれないと思い、この不人気車を購入したのです。購入金額は覚えていないけど、RG400γを売却した代金でほぼまかなえたように記憶しています。私はCBR400Rのアンダーカウルをすぐにはずしてしまいました。このバイクのエンジンは、この次のモデルのCBR400RRとほぼ同じだったものですから、RG400γには及ばないものの余裕で200kオーバーでした。そして何より直4のエキゾーストノートは最高ですね。マフラーも変えてみようかと思っていた矢先に、飲酒運転の車と衝突事故を起こして、CBR400Rは大修理となってしまいました。もちろんむこうの保険ですべて修理してもらい、ハンドリングにも癖がつかなくて幸いだったのですが、なんとなく気持ちが離れていきました。結局このバイクも半年程度で手放すこととなります。

昔のっていたバイク―スズキRG400γ

2007年06月26日 | バイク
VTを下取りに出して、神奈川で有名な●メダモータースで購入したのが、スズキRG400γです。高校のときからずっと憧れ続けていたバイクです。(写真はイメージであり私の所有していたバイクではありません) 確か格安の19万円ぐらいだった気がします。なぜ安かったかというと、塗装をすべて剥がして、エルフカラー(白黒のツートン)に自家塗装されていたからです。その塗装が汚かったために格安での処分となっておりました。私が高校生のときにあこがれたライダーといえば、ロケットロンことエルフを駆るロンハスラムでした。一目見て購入を決めたほどでした。汚い自家塗装も、コンパウンドをかけるとそれなりの艶も復元し、ワックスを塗ればそれなりのものとなりました。たぶんこのスズキRG400γは今でも中型免許でのれる最速マシンです。2スト4気筒の加速は、振り落とされそうなほど乱暴で、200kをオーバーしてもさらに加速を続けるのです。かといって低速で走っても太いトルクで安心して走れます。まあ燃費は車なみの大食いで、普通に走ってリッター10キロ、回すとリッター5キロといった具合。それでも本当に楽しいバイクでした。実は今回、ZRXを買うときに最後まで悩んだのが、このRG400γでした。本当はずっと乗り続けたかったのでしたが、是非譲ってほしいという人が現れ、半年後に購入金額とほぼ同じ金額で譲ることとしました。

昔のってたバイク--新聞屋のヤマハニュースメイト

2007年06月25日 | バイク
ヤマハニュースメイトをご存知ですか?大学生のときに、新聞配達のアルバイトをしているときに乗っていたバイクです。ホンダのスーパーカブに対抗してヤマハが販売したのが、ヤマハのメイト。エンジンはカブの4ストとは対照的に、2ストエンジンを採用しています。そのメイトを新聞販売店用にスペシャルチューンしたのが、このヤマハニュースメイトです。大学生の5年間?このバイクで、新聞を配り続けました。新聞販売店のバイクのほとんどは、実はこのヤマハニュースメイトです。蕎麦屋や中華屋の出前のバイクのほとんどがカブなのとは対照的です。ヘッドライトを前かごの下方に移動して、新聞で光軸遮られないようになっています。一方のオリジナルのライトは、手元灯として使えるようになっていて、配達順路を確認するときなどに便利です。また、リヤキャリアも面積の大きな物を採用し、積載性を上げています。経済性の優れるカブが、どうして新聞販売店では採用されないのでしょう? 理由は簡単です。 一度に200部ぐらいの新聞を前後にのせると、新聞だけで80キロぐらい、配達員を70キロとしても150キロを積載するわけです。 私の担当していた地区では、一回の配達で30kmの道程でした。この30kmの道程で、配達件数は朝刊で250件くらいあっため、交差点などを含めれば300回ぐらいのストップ&ゴーをかけます。朝刊と夕刊で単純にこの2倍の酷使となります。そのような状況では、①4ストのバイクでは圧倒的にパワー不足、②フレーム、サスなどのすべての部品が強度不足のために、曲がらない止まらないのです。そんな訳で、新聞販売店では、ニュースメートがチョイスされるわけです。ですが、堅牢なヤマハニュースメイトといえども、一ヶ月に一度は大きなメンテナンスをしないと乗れたものではありません。各部の注油、チェーンの調整、ブレーキシューの交換、それにマフラーをバーナーで焼いてカーボン除去などです。さらに半年に一度は、タイヤ交換、フロントサスペンションのグリース詰めなどをしなければなりません。マフラーのカーボン除去で思い出しましたが、ガソリンスタンドで販売している当時の2ストオイルは品質が悪く、白煙をもくもく吐くし、すぐに熱ダレを起こしすし、そしてすぐにマフラーにカーボンがたまる最悪のオイルでした。ニュースメイトにはヤマハからニュースメート専用エンジンオイルが販売されており、販売店にもでっかいカンで専用オイルを用意してました。しかしメカに弱い人に限って、面倒くさがってスタンドでオイルを入れて、すぐに調子を悪くしていましたね。15年たったいま、新聞販売店の前を通っても、バーナーで焼いて変色したマフラーをつけているニュースメイトはありませんね。おそらくオイルの進化で、カーボンがたまりにくくなったのでしょうね。先日アドレスV100にのってたらオイル警告ランプが点灯して、しょうがなくてスタンドで2ストオイルをいれました。ところが全く白い煙は吐きませんでした。15年の間に、2ストオイルは本当に進化しました。


昔のっていたバイク―ホンダVT250FE

2007年06月24日 | バイク
上京して神奈川の大学に通い始めたころに所有したバイクです。当時結構人気があったバイクですが、知り合いのモリミツさんから購入した「訳あり」バイクです。当時中古でも30万円ぐらいしていたのですが、モリミツさんから8万円で購入しました。私の購入したVTは事故車の「2コ1」車両です。「2コ1」とは2台の事故車から1台のバイクを再生することです。モリミツさんは、バイクマニアで毎日のようにバイクをいじってました。そして当時の彼女のために、このVTを作ったようですが、その彼女にはやや大きすぎたようです。そのために私が格安で譲り受けたわけです。このVTは事故車だったため、ハンドリングに癖が残っており、直進安定性に問題がありました。まあそれでも慣れてしまえば気にならない程度に感じました。このVTは知っている人も多いと思いますが、軽い車体で、性能も燃費もスタイリングもよく、一方で車格もワンクラス上のものであり、ビギナーズや女性に圧倒的な支持をされていました。でもどうしても私のフィーリングには合わなかったのです。とくに嫌だったのは、Vツインの単調な排気音と、平凡なパワーの出方でした。たしかに毎日使うのには実用的なのかも知れませんが、気張って乗るということのないバイクでした。一度だけロングツーリングに行きました。関越で新潟に行き、山形まで北上して、宮城へ山越え、そして東北道で戻ってくる1000キロくらいの道程でした。でも覚えていないんです。どんな感覚のバイクだったのかということを。このロングツーリングを終えてから、すぐに手放しました。神奈川で有名な●メダモータースに下取りに出したところ、事故車なので高くは買い取れないとのことだったが、それでも6万円で引き取ってくれました。乗った期間は3ヶ月ほどでした。

昔の話--フクハラくんのヤマハRZ50

2007年06月23日 | バイク
高校の時の同級生、フクハラくんが乗っていたRZ50。規制前のRZで、最高速は90k出ていました。いろいろなことがあるたびに貸してもらっていました。当時の人気の原付スーパースポーツは、ヤマハのRZ50、ホンダのMBX50、スズキのRG50γでした。私が高校生のときに、原付バイクの60k自主規制というのが始まり、規制前のバイクは、中古市場でも異常に高騰しました。新車時20万円程度だったバイクが、中古で30万円前後で取引されていました。この自主規制は、様々な方法でパワーダウンがはかられ、60k以上はスピードがでません。RZ50とRG50γは、パワーダウンはしていないのですが、自動車と同様に一定スピードを超えると点火が制限されるリミッター方式を採用しました。そして最悪なのは、MBX50で、完全に馬力を落として、60k以上でなくしてしまいました。一時、中古車市場で異常高騰を続けていた中古スーパースポーツですが、 RZ50とRG50γのリミッターカット部品が開発されて、一気に値段が落ち着きました。今現在でもとられている方法で、スピード信号を騙すしかけです。
話はフクハラくんの RZ50に戻りますが、高校卒業間近の12月に、フクハラくんの運転でタンデムして走っていました。そこに対向車線から、CD80というバイクにのった警察官が通りかがったのです。警察官は止まれ、止まれと大声をあげましたが、フクハラくんは一気にアクセルをあけて逃走を企てたのです。当時50ccの最速スポーツなだけに、振り切れると思っていたようです。赤信号をいくつも無視して走っても、CD80の警察官はぴったり後ろにつき、振り切るどどころではありませんでした。2キロぐらい逃走したところでフクハラくんは逃走を断念し、RZ50を停車しました。後ろを走ってきた警察官は、赤い顔をして本当に怒っていたなあ。その後、後ろに乗っていた私は、すぐに解放されたのですが、フクハラくんは近くの交番まで連れて行かれ、何枚かの切符を切られたようです。翌日フクハラくんにどうだったか聞くと、フクハラくんの親父は結構エライ人だったので、何らかの要請をしたようです。どういう違反で切られたのか、何点減点だったのか、フクハラくんは教えてくれませんでした。そういう不思議な時代でした。

昔の話--フジサワくんのRG50E 3型

2007年06月22日 | バイク
私が高校のときの話です。同じ高校にフジサワくんという友人がいました。私の中学時代の友達のマツキくんが、RG50Eの3型(私のと全くの同型)を所有していたのですが、バイクが増えすぎたので誰かに売りたいとのこと。それではということで、フジサワくんを紹介し、たしか1万円ぐらいで話がつき、その仲介をしたのです。それまでフジサワくんはバイクに興味を持っていなかったのですが、人がかわったように毎日そのRG50Eをいじってました。シリンダーがおかしいということで、すぐにボーリングにだしてピストンなどの部品も交換しました。(いまバイク屋でボーリングサービスはやっているんでしょうか?) またタイヤのグリップが気に食わないと、当時最高級だったプロファイヤーなども装着してました。当時のバイブル、モトチャンプを熱心に読み、ポート研磨(鏡面仕上げ)、シリンダーヘッド研磨による圧縮比アップ、まあいろんなところに手を加えていきました。まあ所詮は素人のチューンですので、それほど最高速があがったようではありませんでした。ところがある日、ミッションから異音を発するようになり、走ることは走るのですが、明らかに異常な状態となりました。そこでフジサワくんは、私に、いらなくなったエポのエンジンをくれないかと言ってきました。エポはハスラーのエンジンに換装してましたので、快くエンジンをゆずりました。フジサワくんは、エポとRGのエンジンのシリンダーとピストンを交換し、エポのエンジンに換装しました。エポとRGのシリンダーは、排気口の方向さえ違う全くの別物でした。当然、シリンダーから下の部分も相当違うだろうと思ったのですが、見事にエンジンがかかり、何事もなかったかのように復活しました。ギヤレシオも相当違うのではないかと思ったのですが、フジサワくんいわく、それほど違和感はないとの事。昔はいろんな部品を共用していたんでしょうね。前にエポにハスラーのエンジン換装の事を書きましたが、おそらくシリンダー交換とキャブのメインジェット交換程度でも、エポは相当パワーアップしたのかもしれません。

昔のってたバイク--ホンダパルホリデー

2007年06月21日 | バイク
ホンダのパルホリデーをご存知ですが?これも高校生のときに、親戚のヤスオちゃんからモラッタバイクです。たぶんロードパルの兄弟者車だと思います。高校生の私にとってこのバイクは、かっこ悪いの極みで、絶対もらいたくなかったのです。でも親戚にも気を使うのが、田舎の生き方であり、田舎に住むものの宿命なのです。しかし乗ってみて、乗り心地のよさと取り回しのよさに、本当に驚きました。直線を基調としたシンプルなフレーム構成で乗り降りがしやすく、厚みのあるシートは、ホールド性にすぐれたものでした。アメリカンバイクのようなポジションで、車重も54キロしかないんです。でもホイールは14インチあるから、そこそこ直進安定性もいいんです。(横風には弱かった) 2馬力ぐらいしかなく、最高速は50kぐらいしかでないのに、ゆっくり走るととにかく気持ちがいいんです。バイクって速さだけじゃないんだなあと初めてしりました。クイックスターターというゼンマイじかけのようなスターターもついており、本当に変なバイクでした。

昔のってたバイク--スズキエポ

2007年06月20日 | バイク
スズキのエポという50ccのバイクをご存知ですか?ヤフオクでも希少不人気車ということですが、ぽつりぽつりと出展はあるようです。高校生のときにフトシおじさんからもらい、かなり改造して早いバイクに仕上げました。(写真はイメージであり、私のバイクではありません) このエポ、1979年デビュー、1985年まで生産され、その後1993年にリバイバル生産されました。ホンダのモンキー、ゴリラに対抗して作られたバイクですが、2ストローク5速エンジンを搭載していました。私のエポの改造点は、外装では、フロントライトを丸型に変更、リヤサスをロング化しヒップアップ、フレームのブラック塗装、リヤタイヤのサイズアップです。この外装から、「モンキーやゴリラに似ているけどなんというバイク?」と聞かれたものです。このバイクの面白かったところは、エンジンの換装が楽だったことです。いろんなバイクのエンジンが載りそうでしたが、私は空冷ハスラー50のエンジンを載せました。たしか6.5馬力ぐらいは出ていたのではないでしょうか。たまたま友人から廃車した空冷ハスラーをもらったので、エンジン、キャブ、マフラーを取り替えたのです。マフラーはサイレンサーの部分が多少加工が必要でしたが、ほとんどポン付けでした。またエンジン交換により、タコメータもつくようになり、RG50のものをつけました。このハスラーエンジンのエポは、90kの最高速度がでました。タコメーターがついたおかげで、峠も攻められるようになりました。当時、ゴリラ、モンキーのボアアップ車にも負けない加速と最高速でした。当時警察にもよく止められましたが、マフラーが静かなため一度も切符を切られたことはありませんでした。

昔のってたバイク--スズキRG50E 3型

2007年06月19日 | バイク
スズキのRG50Eというバイクをご存知ですか?実はRG50で1型と2型、RG50Eとなって3型から6型まであるのです。私が高校生の時、所有していたのは、RG50Eの3型であり、ヤフオクなどでも滅多にお目にかかれない希少バイクとなってしまいました。皆さんが一般的に思い浮かべるRG50Eは、1980年以降の4型以降のスタイルだと思います。いろいろこの3型の写真を探したのですが、このパンフ写真しか見つけられませんでした。このバイクは、中学の同級生のコッペオ君から5000円で買ったものです。当時、Γ50、RZ50 MBX50というスーパースポーツが販売されていた時であり、3型は2世代以上も古いバイクでした。コッペオ君のお兄さんが乗っていたものであり、家で邪魔となっていたので格安で譲り受けました。空冷2ストローク単気筒 6.3psで最高速は、85キロぐらいでした。フロントブレーキが油圧ではなく機械式だったので、まったく効きませんでした。またタイヤも縦線の自転車のようなタイヤで、グリップなどまったくしませんでした。Γ50、RZ50 MBX50にはまったくついていけませんでしたが、そんなバイクを親が買ってくれるはずもなく、RG50Eをせっせとメンテナンスするしかありませんでした。たぶんタイヤをプロファイヤーあたりに交換すれば相当早くなりそうだったのですが、私の関心はスズキエポに移っていくのです。

ZRX400の最高速と経年変化

2007年06月18日 | カワサキZRX400

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/85/7080eeb1f0c97b467b38faaff2e11786.jpg


ZRX400をBASの品川デポで受け取り、自宅まで帰ってくるときに第三京浜を使うこととしました。品川から玉川インターまでは下の道で走り、やっと慣れてきたようなので、高速に入って最高速トライアルと思ったのです。まあ今のバイクはリミッターがあるから180kが限界かな。でも12年の経年変化でバイクも調子を落としてしまってるから、それに届かないかな、などと安直に考えてました。大学生のときに乗っていたγ400、そしてCBR400Rは軽くオーバー200kで、そのような状態でも直進安定性もばっちりでした。メーターが180までしか刻んでないので、それから先は手描きのメーター読みで、210キロぐらいまでさしておりました。当時のレーサーレプリカは、スピードが出れば出るほど、道路に強く押し付ける力が増して安定してました。12年前のバイクとはいえ、レーサーレプリカ以降のZRX400もかなりのスピードが期待できます。第三京浜の玉川インターから入り、すぐに始まる下り坂で、アクセル全開。タコメーターはレッドの手前でシフトアップ。ZRX400のエキゾーストノートは獰猛なうなり声にかわり、前方の獲物を狙うチーターのような加速を続けます。さて結果の最高速度は、驚くなかれ150k。笑い話ですが、ZRX400の経年変化ではなく、私自身の経年変化により、恐怖のためそれ以上のスピードが出せませんでした。考えてみればネイキッドのバイクで100k以上を出すのははじめてて、その凄まじい風圧と、狭まる視界が恐怖なのです。ZRX400の猫の額ほどのビキニカウルに頭を入れても、全く効果はありませんでした。私自身の経年変化により最高速トライアルは断念することとし、これ以降は、「スピードはいつでも出せるんだけど、スピードに溺れるケツの青いガキとは違うぜ」という高飛車なオヤジライダーとなることを宣言します。


ZRX400(95年式)買ったどー

2007年06月15日 | カワサキZRX400

どうしてもまたバイクにのりたくて、先日ヤフオクでZRX400(95年式)のライムグリーンを購入してしまいました。本当に衝動買いで、15年ぶりにバイクに復帰した「まもなく中年ライダー」です。静岡の方からの個人売買で20万円で購入しました。車検が8月まで残っていたので、最初に名義変更を行い、BASのデポ止めで受け取り、自宅まで自走で帰ってきました。バイク輸送のBASの安さには驚きました。浜松デポから品川デポまで、9345円ですぜ。先方が、無料でデポに入れてくれたので、この値段で受け取れました。オークション期間中に現物確認はせず、写真と人物評価などを考慮して購入しました。ですのでZRX400とは品川デポで初対面でした。感想は、ちょっと傷が多くやれているなという感じで、正直がっかりしました。やっぱりバイクや車などの売買の時は、現物を確認したほうがいいですね。でも後悔しても始まらないので、改造するからいいかと、気持ちを切り替えました。とりあえず直進安定性は大丈夫なので、レストアと改造をすれば、それなりのバイクになることでしょう。