今年は日豪交流年ということで『ボーイ フロム オズ』はその記念イベントの一つなのだそうですね。第二次世界大戦では戦闘を交えたふたつの国が、こうしてひとつのステージを見守るのだと思うと、戦争を知らない世代であっても、ある種の安堵感を感じます。
その戦闘の中にピーター・アレン(坂本昌行さん)のお父さん、ディック・ウールノー(団時朗さん)もいたかもしれません。第二次世界大戦中、オーストラリアはヨーロッパやアジア太平洋域での連合軍勝利に大きく貢献したということですが、終盤になると兵士が不足し、たくさんの市民兵が派遣されたそうです。第一次世界大戦のとき40万人中6万人が死亡したのに比較して第二次世界大戦では55万人中3万人だったので、国としては勝利し、払った犠牲も減少したことになりますが、約18人に1人が死亡しているのですから、兵士一人一人の恐怖は大変なものだったと思います。
いくつかの映画や、ミュージカル『ムーヴィン・アウト』でも語られているベトナム帰還兵の精神障害は、イラクに派兵される現アメリカ兵士にとっても大きな問題となっているそうです。戦場の悲惨、特に武器を持たない一般市民の死に遭遇した場合、任務はおろか、社会生活に戻る事ができないほど良心の呵責にさいなまれるといいます。
偶然見たテレビのインタビューで、ある帰還兵の方が「イラク独特の窓の少ない建物に入ると暗くてよく中が見えない。毎日のように仲間が亡くなっていく極限の緊張状態では、物音がするだけで発砲しそうになる」と語っていました。除隊することでやっと自分の心と折り合いをつけることができたとも話していましたが、それは同時に「失業」という彼と彼の家族にとって大きな出来事をもたらしました。それでも、というほどに苦悩は深いのだろうと思います。
『ボーイ・フロム・オズ』には、ピーターの音楽の才能は父親譲りだと母親(今陽子さん)が語る場面があります。音楽を愛し、妻と子どもを持つ男性が、戦場で何を見たでしょうか。戦後、兵士達は尊敬とともに迎えられ、国は好景気に沸き、オーストラリアは豊かになっていったといいます。そんななか、ディック・ウールノーをアルコールに溺れさせ、引き金を引かせた記憶を癒すかのように、ピーター・アレンの音楽はどこまでも優しくなっていったのかもしれません。
その戦闘の中にピーター・アレン(坂本昌行さん)のお父さん、ディック・ウールノー(団時朗さん)もいたかもしれません。第二次世界大戦中、オーストラリアはヨーロッパやアジア太平洋域での連合軍勝利に大きく貢献したということですが、終盤になると兵士が不足し、たくさんの市民兵が派遣されたそうです。第一次世界大戦のとき40万人中6万人が死亡したのに比較して第二次世界大戦では55万人中3万人だったので、国としては勝利し、払った犠牲も減少したことになりますが、約18人に1人が死亡しているのですから、兵士一人一人の恐怖は大変なものだったと思います。
いくつかの映画や、ミュージカル『ムーヴィン・アウト』でも語られているベトナム帰還兵の精神障害は、イラクに派兵される現アメリカ兵士にとっても大きな問題となっているそうです。戦場の悲惨、特に武器を持たない一般市民の死に遭遇した場合、任務はおろか、社会生活に戻る事ができないほど良心の呵責にさいなまれるといいます。
偶然見たテレビのインタビューで、ある帰還兵の方が「イラク独特の窓の少ない建物に入ると暗くてよく中が見えない。毎日のように仲間が亡くなっていく極限の緊張状態では、物音がするだけで発砲しそうになる」と語っていました。除隊することでやっと自分の心と折り合いをつけることができたとも話していましたが、それは同時に「失業」という彼と彼の家族にとって大きな出来事をもたらしました。それでも、というほどに苦悩は深いのだろうと思います。
『ボーイ・フロム・オズ』には、ピーターの音楽の才能は父親譲りだと母親(今陽子さん)が語る場面があります。音楽を愛し、妻と子どもを持つ男性が、戦場で何を見たでしょうか。戦後、兵士達は尊敬とともに迎えられ、国は好景気に沸き、オーストラリアは豊かになっていったといいます。そんななか、ディック・ウールノーをアルコールに溺れさせ、引き金を引かせた記憶を癒すかのように、ピーター・アレンの音楽はどこまでも優しくなっていったのかもしれません。