そういえば、ダンナさんが最近ハマりにハマってるバンドで、私はELOの香りがするといい、ダンナさんはジェネシスっぽい~~と言っていたスウェーデン出身バンドMoon Safariのことを、(全身全霊をかけて60年代ロックに愛とオマージュを捧げるジェリーフィッシュと同じく良い意味で...)「オマージュバンドなのかな。。??(パッチワークのように万華鏡のように歴代の色々なバンドの要素を感じるから...)」って無邪気に言ったら「オマージュバンドじゃないよ だって、ちゃんとムーンサファリとしての唯一無二な個性が出てるもん」とちょっとムッとされてしまった。。。(けして悪い意味じゃなかったんだけど言い方むつかしい~~~ まだまだ修行が必要だな。。。 安易な“レッテルばり”は良くないかもね。。。)
Moon Safari A kid called panic
一曲一曲が長いのよ~~~(そんなところも70sプログレを彷彿。。。)&スペイシー&ドリーミー 今年来日するみたい(ダンナさん、必ず行くそうです)
ラヴァーズ・エンド(コンプリート・エディション) | |
クリエーター情報なし | |
マーキー・インコーポレイティド |
ダンナさん、最近憑かれたように。。??聴いとります... (ジョイス・クーリングの時と同じく... 多分ダンナさんの今のところの“呼吸器”なんだろうな.....)
9月22日に夫婦の日割引を使って、渋谷東急シネマに注目中の美少女(そしてうちのダンナさんも大好きな元ジェネシスのフィル・コリンズの愛娘である...)リリー・コリンズちゃんと、今や大御所、90年代のシンデレラ(プリティウーマン)女優ジュリア・ロバーツの『白雪姫と鏡の女王』を観に行きました
それはそれはリリーコリンズちゃんの旬の輝きと石岡瑛子さんデザインのバロキシカル(←この言葉って無いのかな?? バロック的 バロキシズム 時代背景への確かなリサーチと細部へのこだわりその大胆で思い切りのよい創造的なアイデア力...=彼女にしかできない脱帽の仕事)で美しい衣装は奇跡的で目を見張るものがありました
(NHKの番組“プロフェッショナル 仕事の流儀”で観た、石岡瑛子さんの仕事への情熱的な取り組み方を想い出します... そしてこの作品は石岡瑛子さんに捧げられていました)
(以下、ネタバレがあります...)
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でも(物語的には...)誰かを打ち負かして、ハッピーエンド、めでたしめでたし
なんてラストは、おとぎ話、ファンタジーとしてはまだまだ進化が足りないと思うな....(『魔法にかけられて』 もそうだったけど...)パッケージはどうあれ、既成概念そのままであってありきたりなステレオタイプのものだと思います。
白雪姫(リリー・コリンズ)が(色々酷いことをされたとしても...)女王(ジュリア・ロバーツ)を赦すラストだったら、私にとって理想的なおとぎ話かも
そろそろ、子供たちがその物語を読んで(or観て)、新しい希望、新しい可能性の目が芽生えるような、進化した、新しいラストの、おとぎ話を見てみたいなー
相手を赦すことが、希有な、一番の勇気で、何にも勝る美しさであり、その可能性、メッセージを物語にこめない限り、歴史は繰り返すのではないかと思う...(相手を赦さない、相手の話に耳を傾けないことの発展系が“戦争”だし...)(プリンセス大好きな少女たちに、相手を赦すことがほんとうの美しいってことって、催眠術をかけてあげて~~~)
私もそういう新しい夢、理想的なおとぎ話を見て、不寛容を治す魔法にかけられたいと願う、進化が必要な大人の一人ですが。。。
彼女と僕が出会ったのは電車の中。
僕の20歳の最後の日と21歳の誕生日のはざまに彼女と出会った。
いつか会ったことがある少年の顔だった。
僕は、島で生まれた。
根拠も理由もない、傲慢な意味なき自信に満ち溢れた、嫌味な子供だった。
それは、四方八方からその場所を取り囲む、のん気にも、不気味にも見える、凪
いた海のせいだったのだろうか・・・?
とにかく、毎日僕は、海を見ていた。
何も動かない、何もやってこないように見えるその海は、外側から僕の自信を支えていた。
四兄弟の内の、いくぶん年の離れた末息子だった僕は、家の中の、上にいる男たちの権力におびえながらも、その分外ではその権力に守られ、強く出ることができた。
根拠のない自信とは、そこらへんから生まれたのだろうか?
僕は、狭い島の中の、極小な少年の社会の中では、自信に満ち溢れた権力者だった。
友人はいなかった。でも僕は、権力者の立場にいるだけで満足だったから、友人はいらなかった。
彼は、ハードルの選手だった。
小鹿のような、しなやかな肢体。向かい風をうけながら、空気を動かしながら、ハードルを乗り越えて、走りぬけていく。
ゴールに着いた時には、満足げな笑顔を浮かべた。
あふれんばかりの笑顔。少しの屈託も感じられない。
一体なんで、あんな顔ができるんだ?
僕は、生まれて初めて、他人に羨望と嫉妬を覚えた。
そして、生まれて初めて、家族以外の人に、興味を持った。
彼は、権力などには、全く興味がない風(ふう)だった。
ただただ感覚的に生きているように見えた。
走る、越える。
走る、越える。
僕は、教室の窓から、ただ彼を見ていた。
彼の体は、羽がはえてるかのようだった。
ハードルを跳び越えるその瞬間、空にとけこむかのようだった。
美しく、完璧な瞬間だった。
中学2年生になったくらいから、僕自身を囲んでいた頑丈な外枠は、しだいに周囲ととけ始めていった。
ハードル少年B(ビー)に興味を持ったことをきっかけに、学校の中に居る、他の人物にも興味を持ち始めたからだ。
いろいろな人がいる。人は、個人個人いろいろな特性を持っている。ひじょうに興味深い。
自分とはちがう、他人の中の世界に、興味をもち始めた。
その内、友人すら出来始めた。これは、悪くなかった。案外。
時間が止まったかのような、小さな島の中の、小さな子供たちの社会。(少し先の未来に来るであろう、学歴社会、競争社会の中のしのぎをけずる争いなどは、凪の中の海の遠くに見える、ぼやけたユーラシア大陸みたいなもんだ。)その中で、ひまつぶしをするには、一人よりも、多勢の方がすごしやすい。
とにかく、僕にとって、この時期は、ものすごく楽しかった。
Bはある時僕に言った。
渡り廊下を、友達と談笑しながら歩いてる時、ポンと肩に手を置くやつがいた。
振り返ると、Bだった。
ヤツは、例の屈託のない笑顔を浮かべながら、僕に言った。
「君、丸くなったよね。その方がずっといいよ。」
どうやら、彼も、僕を見ていたらしい。
僕は、18歳の時に、その島を出た。
何もかもが、飽和しはじめたからだ。
家族の中も、島も、すべてが狭くるしかった。
Bは、その島に、残った。
僕は、20歳の時に、彼女と出会った。
正確にいうと、20歳から21歳に移りかわるその間・・・。
僕の視界に、彼女が映った時、ハッとしたのは、彼女がBに似ていたからだ。
彼女は僕を見た。一瞬、目を見開き、口元をキュッとしめ、緊張したようだが、すぐに表情を崩した。
「○○くんだよね!話は聞いてるよ!今日は、イン?アウト?私の方はアウト。人とケンカしてきたばかりなんだ!」
たたみかけるように、一度に話し始めた。
僕は、彼女の崩れた表情に、興味を持った。
ところで、元権力者の僕の元にも来るべくして来る競争社会のことだが、僕にはくだらない争いのように思えたので(島育ちだし、本土のことは傍観的にみる。なんつって。)自ら、枠の外に出ることにした。僕はそんなことには、興味がない。
東京に出てくれば思うことだが、このスバラシイ世の中は、何をしても生きていける。
何でも受け入れてくれる」、スバラシイ都市、トウキョウ。
出てきてよかった!あんな、小さくて息苦しい孤島から!
スバラシイよ!人生ってスバラシイ!
ただただ、アホウみたいに素晴らしい時期だ。10代から20代にかけて見た、桃源郷みたいに素晴らしい時代。(あぁここは、おぼろげに見えた、ユーラシア大陸?イヤ、僕はそれをさけて来たから逆側だね。ってことは、ここは、オージーか!?ドロシーがたどりついた、オズの国?!)
モゥ、大陸さえ転がせそう。僕は、はしゃぎまくってた。調子に乗りまくってた。
大学生だったし、島の実家が裕福なので、何も心配はなかった。
大学の授業が終わると、夜はクラブに行ったり・・・遊びまくってた。
学校に行かないで年上の友達と音楽バナシしたり?さすがトウキョウには、音楽にかなり詳しい奴等が集まってくるね。
僕が音楽を聴き始めたのは、中学生の頃だ。
その頃、日本ではYMOの全盛期だった。
僕は、一番仲の良かった次兄の影響で、クラフトワーク、ディーボ、トーキング・ヘッズなどを聴いていた。同時に長兄がプログレッシヴロックを聴いていた影響で、キング・クリムゾン、イエス、ジェネシス、ピンク・フロイドなどの有名どころを聴いていた。あと、一番影響を受けたのは、フランク・ザッパだな。
これだけでも、わかるでしょ?僕がサラブレッド並の偏屈人間として培養されたこと。
僕が行ってたクラブは、80Sのニューウェーヴ、ネオサイケから、90Sのジャンク、オルタナティヴ的な音楽を中心にかけていた。(あとノイズなんかも・・・)
それらは、僕のもろ好みってわけじゃないけど、なんか新しい世界って感じで、クラブの空間そのものに高揚した。
彼女も、そのクラブに来ていた。
週一回くらい、そのクラブで顔を合わせることになった。
彼女は、ソニックユースとか、マッドハニー、昔の音楽だったら、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとか、ストゥージースが好きだと言っていた。
ソニックユースがかかると、彼女は音楽に合わせて踊り出す。
まるでハードルを跳び越える時のBの姿のようだった。森の中で、猟師から逃げまわる小鹿のようでもあり、音楽から追い立てられているようでもあった。
僕は、島から出て来た、ダサい大学生だったけど、それもキャラクターだという自信はあった。だって僕は頭がいいし、島での元権力者という実績もある。正統な戦いをしなくても、ニュートンやアインシュタインやコリン・ウィルソンみたいに、中島らもや、フランツ・カフカやフィリップ・K・ディックみたいに、いずれは、伝記にもなる人間に成れると信じてた。
その時のことを考えてみろ!
今は、まだ、その序章なんだ!
そのうち、彼女は、そのクラブのDJと恋に落ちた。
わかってる。競争社会は幻想だと思ってるけど、人はとかく、その幻想にまどわされやすいものだ。
王道の競争社会は、避けて通ったけれど、他の道でも競争なんてある。いくらでもある。
彼(DJ)は、僕が一目置く存在だった。年は同じだったけれども・・・。
見てくれがかっこいいってわけじゃない、きっと。少し、母性本能をくすぐる容姿っていうの?
背は低いし、痩せてて、中性的な雰囲気で・・・。黒ずくめの“うすい”印象・・・。彼女はそういうところに、魅かれてたんだと思う。
でも、外見の印象なんて、意味がないよ。
彼は、故郷の××では、いけてない、さえない類だったかもしれないけど、ここ、トウキョウでは、同じ幸うすい人種が、集まってくるから、(僕を含めて)そこが重宝がられる。土着が意味をなす、故郷の土地がらとは違って、ここトウキョウでは、うつろいやすいのが魅力、消えやすいのが魅力、浮き足立ったのが魅力。
(しかし、彼女には、彼の故郷でのありようが透けてみえなかったのか?やはり、女っていう生きものは、愚かだ。思慮が浅い。ほんと、憤懣やるかたない。)
彼(DJ)は、僕の友達だった。僕が彼を認めたのは、音楽の知識量が膨大だったからだ。僕は脱帽した。彼を認めた。それが一時的なものでもね。
まぁ、未来の偉伝の為に必要なのは、目の前に仮想敵国を作ること。それが地道な努力かもしれない。トウキョウでは、常に二番手でいること。それが追い落とされない為の賢人のやり方だ。
しかし、僕は落ち込んだ。
東京に出てきて、はじめての挫折感だ。
彼女なんて、すぐに征服できそう」だったのに。
だって、彼女は、僕の島の友人にそっくりだったから。
彼は、僕を見ていた。
彼と彼女なんて、同じようなもんだ。
一体どこが違うんだ?同じような容姿で、同じような身のこなし。
しかし、彼女は僕を無視しているかのようだ。
初めて会った時は、あんなに、おびえて、あんなに僕をみつめていたのに・・・。
ある時、彼女から電話があった。どうやら、彼(DJ)に、振られたらしい。
僕は、冷たくあしらってやった。
女なんて・・・愚かだ。
容姿は同なじだが、島にいるBの方がずっと美しい。高尚だ。完璧だ。ずっと、尊い。
女なんて、大嫌いだ。