『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

法螺貝

2020-10-08 20:51:20 | 気付き
我が家には法螺貝が3つある。

一つでも、法螺貝があるというのはレアな家だと思うけれど、それが3つなのだから激レアと言っても良いだろう。

・・地味に激レア・・?

一つはまだ私が幼稚園児だったころ、新聞記者だった父が自分で企画を立てて出張とあいなったボルネオ土産。

首狩り族の酋長と仲良くなって、「義兄弟の契りを結んだ」と父は言っていたけれど、真偽のほどは定かではない。

その証の宝物の一つとして、腰の張った見事な法螺貝をもらってきたのだった。



ちなみにもう一つの宝物は、その酋長の刀で、これはどうも、実際に使用されていたものらしいのだけれど、これは税関でひっかかって没収となり、その後、色々な経緯の後、確か香川県の文化財等を保管展示する施設に寄贈されたと聞いている。

ともあれ、私も弟も小さな頃から、その法螺貝にじゃれつきながら遊んでいたのだった。

鳴らすためのものではなく、純粋にオブジェとしての法螺貝なので、実に美しい姿で、これはその後、鳴らすために作り変えようか、とも思ったものの、あの美しい先端を落としてしまうことはどうしても出来ず、そのまま私の寝室の窓辺に鎮座している。

もう一つは、吉野に行った折に求めた土産物の鳴らすための法螺貝。
普及モデル?で、より小ぶりで、貝の表面も薬剤で処理されてしまっていてツルっとしているのが味気ないものの、とても良く鳴る。

自宅にレッスンに来る生徒さんにはよく経験していただいていたのだけれど、このコロナ禍の中では、それもできなくなってしまった。

この吉野の法螺貝は2階の着物部屋に鎮座。

そして3つ目は、夫の母方の里から伝わったもの。
庄屋を務めていた家で、お米の出荷の時には小作の人の労いの宴があり、その折には、花火が打ち上げられ、この法螺貝が吹きならされていた、という実際に使われていたもの。

この法螺貝が一番立派で、美しい真鍮の吹き口が付いている。

でも、それがすっかりつぶれていて、吹くことが叶わなかった。

それを和光大学名誉教授の岩城正夫先生にご相談して修復していただいたのが去年の夏のこと。

この折、岩城先生が発見された、とある法則が、私のフルート奏法に大きな変化をもたらした。

今年の1月に気付いた「埋める」も、この法螺貝の気付きがあればこそ。

岩城先生は様々な素材の様々なマウスピースを作ってくださっていた。

お陰で、この土佐の法螺貝もようやく鳴らすことができるように。
これは、リビングの楽譜戸棚の上に。


遡って、2010年頃・

山伏さんに連れられて高尾山で法螺貝を吹いた時に気付いた「やや左が実は真ん中」と「カヤックの構え」も私の重要な術理である。

「人もまたほら貝」

てなことを言っていたくらいである。

とにかく、法螺貝に縁がある。

夫も、子供の頃、法螺貝を気に入って、遊んでいて「ひばあちゃん」からもらう約束を取り付けていたということで、我が家にあるのだから、夫と結婚したのも、どこかでこの法螺貝が縁を結んでくれたのかもしれない。

なんで、今改めて、法螺貝に思いをはせているか、というと・・

「釣り合い」に基づく3ミリのセッティングの変化に伴って、フルートの音が法螺貝の音みたいになってきたから。

変化したのは一週間前の10月1日で、その時はまだここまでじゃなかった。

この一週間で、各身体の部署も、夫々の、そしてお互いの連携の「釣り合い」になってきたということか。


結果、本日は、「通報されないかな?」

と心配になるくらいのドーンという音に。
それも不得手だった低音のドが。
・・今の親切なフルートと違って、ロットの低音、というのは、本当に大変だ。少なくとも私にとっては・・


この手の心配は法螺貝を吹く時にしか、したことはなかった。

これで、ようやく、川崎優先生の「祈り」やバッハのチェロ組曲が、よりマシに。

よもや、こんな日が来るとは・・
コンサート、旅行、宴会、となんだか、楽しいことがみな、だめになり、

「・・もういいかな・・」

とちょっとぐれてしまいそうな気分が続いていたのだけれど、やっぱりあと20年くらいは長生きして笛を吹いていきたい、と思ったのでした。