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『笛物語』

音楽、フルート、奏法の気付き
    そして
  日々の出来事など

フルート奏者・白川真理

「構える」ということ

2024-10-01 22:49:48 | 気付き
そもそもが、「構える」という言葉がよろしくなかったな、と思う。

「フルートを構えて」

「構え方」

「構える」という言葉に付随している印象は「、改まった、きちんと、しっかり等々」で。

加えて口元に持っていく楽器というのもよろしくなかった。

人間、どうしても口元にくると食べにいきたくなる。(私だけ?)

構えて、しかる後口元に。

この順番も大変よろしくなかった。

というのがつい3日前の反省で、それからまた構え方が変わった。

まあ、構え方としか言いようがないので仕方ないけれど、むしろ「当て方」といった方が良いかもしれない。

構えはその「当て方」に付随してくるものだった、とこの50年分を反省。

肩が上がらない構え方の工夫を21年間やってきて、それなりに成果はあったけれど、そもそも、それ以前に肩が上がるから、という前提から離れられなかったのが大きな落とし穴で、ワーっと叫びたいくらいだ。

肩が上がらない位置にフルートを当てれば済む話だった。

それなのに、ついつい大仰に「さあ!いくぞ!」という構え方をしていたから当て位置もベストポイントではなく、相当修正していたとはいえ、まだまだ高い位置だった。
だから普通に構えると肩が上がるので、そうならないための工夫は必須だった。

もちろん、じゃあ、どうするの?というのが面白いところなのだけれど。

ヒントになったのはやはり逆手抜刀。
そして 肩峰端。

肩峰端をキープして肘関節を駆使して当てる。

これ程使い勝手の良いクルクルと動かしやすい箇所をないがしろにして、いままでやってきてしまったのだなあとため息。

当て位置は以前よりも5㎜は下がったかな、といったところ。
エッジはさらに下となるので、吹きつけてしまうとみな逸れてしまい全く鳴らない。

でも、なんせ肩は最初から下がったままなので、とにかくラク。
息、指、音色、響き、どれもが急激に進化。

初代ロットは、マイユショーなので、幾分銀に比べると、華やかさはあるものの奥行がもう少し欲しいな、と思える笛なのだけれど、これに奥行と品格が。

初代が「そうそう。こうやって欲しかったんだよね。」と言ってくれている気がする。

もちろん、まだまだこんなものではないのだろうけど。

こういう音が出る笛だったのか、と今日はとても新鮮な驚きだった。今更ながら・・


今日はテレマンの無伴奏ファンタジー12曲を全て指定のリピートありで、ノンストップで吹くことができました。

集中力も途切れず、喉も乾かず、絡まず、首も痛くならず・・・

脚はぐっと疲れたけれど、それ以外はむしろほぐれて心地よい。

レッスン時刻となって中断したけれど、多分そのままもっともっと吹けると思う。

昨年春に右下奥の親不知を撤去するまでも、かなり長く吹くことは出来ていたけど、テレマンのこれは、リピートなしで全曲がやっとだったし、途中で水を飲んで喉を湿らせる必要もあった。

昨年秋頃から抜歯の影響も薄れたとはいえ、やはり以前の調子には戻れていなかった。

それが、7月2日の口腔内の変化がスイッチ、全ての前提条件となって、ガラガラと変化して、抜歯以前よりもグ~~ンと長時間でも平気で、へたることなく吹けるようになっている。

66歳となって気力体力は以前よりは衰えているはずなのだけれど、「技」は今がピークだよ、と言えることが幸せだ。

今回の当て方で、少しトラベルソに似た音となり、より細やかな表情を付けることができるように。

まさに師・植村泰一先生が仰っていた

「フルートは吹けば吹くほど鳴らない楽器だよ」

「自分には聴こえないように吹くんだよ」

である。



フミフミ歩き

2024-09-29 22:30:01 | 気付き
時々、早朝からピピがやってきて布団の上からフミフミしてゴロゴロと言いながら甘えてくれることがあり、至福のひと時です。・・眠いけど・・

ちょっとそんな感じもあるので、「フミフミ歩き」と命名しました。

階段上りは、甲野先生の腰を落とすやり方を真似る様になってから人生初と言って良い程、とても速く、何人もの人を追い抜いて上れるようになりました。

でも、歩くのは、格好つけたヒールの靴を履くことなどもあり、考え事をしながら歩くことも多く、年々歩く速度は遅くなっていて、何人にも、時にはどうみても私よりも年上の男女の方々にも追い越されてしまうこともあるという状況。

これが一気に速く、かつ楽に歩くことが出来る様になりました。
軽く汗ばむくらいなので、良い運動にもなっているはず。

これも、フルートの進化に伴う、応用編。

「協力し合わない左右の手」の効果は著しく、響き、音色のみならず、とにかく指がとても軽くラクに動くようになってしまう、という副産物がありました。

というか、これがメインなのかも。

本当に人の身体というのは不思議なものです。

右手を使う時は左手に虎拉ぎ(テンション)、そして左手を使う時は右手に・・

これを足に。

右手にテンションをかけると、左足が軽やかに振り出され、左手にかけると右足が。

昔、「蔵王権現歩き」なるものを開発して左軸でテンションかけつつ、というのもあって、これはこれで面白かったのですが、より実際に普通に使い勝手がよいのが今回。

その後、重心の左右の移動を繰り返し歩く、という2軸歩行になったけれど、当時はまだ外側だけだったので、ぶれが大きく、とても不自然なものでした。

それが、今回は、猫がフミフミするみたいに手の内でテンションを交互にやるだけで、身体の内側で微妙に重心が変化。これはフルートの時も同様で。

見た目には殆どぶれることなく、自動的に足が降り出され、どんどんと楽しく歩くことが出来る様になりました!

「楽しく出来る」ということが大事。

おそらく猫のフミフミは元々が「協力し合わない左右の手」だったのではないかと思います。

今日は10月5日のWAYAZライブの練習だったのですが、ピアノでの応用の成果を実感。

ビートルズのゲットバックのピアノソロは右手だけだけれど、中々テクニカルで、苦戦していたのですが、使っていない左手を虎拉ぎにするだけで、別人みたいに音の中を捕まえたまま早いパッセージが弾けるようになってびっくり。

そしてヘイジュードは、とにかく左手がオクターブのままずっと連打で、これまた指を痛めそうで嫌だったのですが、フルートと同じ発想を試してみると、これがどんぴしゃりで、もう、いくらでも弾いてもいいよ~というくらいラクだし、響き、切れもよくなった。

ラストの右手の16分音符の連打も、かつては、テンポ内にキリっと納めるのが難しくて、難儀していたのが、もう何の苦もなく最初から出来ている人みたいにすっとはまる。

左右の手の労働力を比べて、大変じゃない方にテンションをかけるだけ。
虎拉ぎの感覚を会得しておけば、フミフミ程度のテンションでちゃんと効果が出るのでピアノでも虎拉ぎが使える、ということになる。

肩、首、鎖骨周辺の取り扱い方が変化したからこその恩恵です!


7月2日以降の変化

2024-09-19 20:59:46 | 気付き
7月2日に口腔内が変化してからは、導火線に火が付いたように怒涛の変化が続いていました。

ただでさえ忘れっぽいのに、あまりに目まぐるしく変化するので、それに忘れてはいけない重要なポイントなどもあり(忘れて良いものもあるのだろうけれど)、このあたりでまとめておこうと思い忘備録。キーワードのみで失礼します!

・猫のヒゲ袋
・逆手抜刀術
・けんぽうたん
・肘先
・指のための意識ポイント
・霊性、内観・・わからないなりに思うことが大事。
・下駄ハイヒール
・500円玉
・親指、小指、足裏にも貴金属
・「こうすりゃいいんだ!」の応用。。左右の手を協力させない。


目下、全てとても大切ですが、この大前提はみな口腔内の変化があればこそ、かもしれません。

思うに、どんどんと「鳥」化している気がする。

岩明均の作品『七夕の国』に登場する何人かの超人。

ネタバレになるので書けないけれど、この御話しに出て来る鳥人間・・・

これも一種、三木成夫の「個体発生は系統発生をくりかえす」にも通じているような。

鳥だった頃に近付こうとフルートを吹いているのかもしれません。

鼻裏がシュっと集まり鳥の顔になったような感じになったからこそ、けんぽうたんとの相性もより良くなったのでは?とも思います。

鳥の踵は上部にあるので、下駄も同様にハイヒールに??

左右の手を協力させないは、植村先生の師であるオーレル・ニコレの言葉にもシンクロしていたことをようやく実感。

「フルートをどうやって持つか?右手の指を動かす時は左手で、左手の指を動かす時は右手で持つんだよ!」

と笑いながら冗談めかしておっしゃっていた、ということをうかがった。

今回、ようやく、この話と、協力し合わない左右の手、そして虎拉ぎが繋がった、ということです。

何年か前、左右の重心移動で、つまり右手を使う時は左、左手の時は右に、という重心移動を利用して吹いていたことがあったのだけれど、これで、それなりに音が出る様になってからは、自然と淘汰されてやっていなかった。だって大変なんだもん。

でも、これを駆使した時の、ギターの宇高さんとやった本番はとても評判がよかったのを思い出した。

今回はそれを手で。

動かす方の手はダラダラユルユルで、そうじゃない方の手は「虎拉ぎ」のテンションを作り出す。

これも数年前から椅子から人を起す技で思いついて講座で実践したりしていたのに、なんであの時フルートに、と思わなかったのか?

虎拉ぎの手ではフルートは持てない、と当時は思い込んでいたから。
でも、手の形状ではなく、要はその中身なので、形状には関係なく虎拉ぎ効果をもたらすことが出来る様になったということだと思います。

それもこれも口腔内の変化、そしてけんぽうたん効果によるものだと思う。

結局は、それができる身体か否かということかもしれません。

ちなみに、片手のみ虎拉ぎの方が階段も上りやすい気が・・


・・・・・・・・・・・・・・・・・
アンティークの銀鍍金コースターを二つ張り合わせたマカロンを挟むようにした自作のハイヒール下駄の音色も中々良いのですが、こんなに素敵な「ハイヒール下駄」があるのを音楽家講座常連のEちゃんが教えてくださいました。

すぐにポチっとしていたものが昨晩届き、本日ワクワクしつつ試しましたが、とても良い。それに見た目も素敵。




硬い木でみっちりと目が詰んでいるので、桐下駄の様なカーンとした感じがないのが寂しかったので、色々とこちらにも工夫。

足裏に500円玉を挟んで吹くとかなり良い。

吉田雅夫先生も胸ポケットに500円玉を入れて吹いていた、ということを植村先生からうかがったことがある。

「僕は、そういうのよくわかんないんだよね。」と師匠は、そのたぐいのことは全くおやりにならなかったけれど、私の「アクセサリーや履物、衣装などの身に付けるもので音が変わる!」というプチ発見を咎めることなく、面白がってそんな話をしてくださった。

ということで、すぐに500円玉を思いついたのでした。
他にも色々と試して貴金属も投入すると、やはり響きとコクがグンと増す。

ちょっと料理の味付けをしているような感じもあり、面白い。

・・決してこんなことばかりやって過ごしていた訳ではなく、ちゃんとフルートもさらっています・・って何言い訳しているんだか・・

直腸動物

2024-07-06 14:06:18 | 気付き
7月2日火曜日は、久しぶりに何も予定のないお休みとなったので、この15日にある生徒さんの発表会のための伴奏譜や、高校の同級生バンドWAYAZの課題曲にも手を伸ばして練習。

本業のフルートではなくピアノなので、結構大変ですが、とても楽しいです。
ピアノでの気付きや進展もフルートの進展に繋がるので、私にとっては必要な時間です。

でも、歌は・・・

大好きなのに、本当にヘタ。

コールユーブンゲン的なものはまだしも、みんながバンドやカラオケで歌うような歌い方が全くできない。

そんなこともあり、WAYAZで歌うことも少なくなってきた。

でも、今回曲決めの時に、他のメンバーからかつて私がボーカルを務めたユーミンや竹内まりやの曲のリクエストが沢山。

・・みんな気を使ってくれてるのだろうけど・・

「初見レベルに毛が生えた程度(練習すればいいのだけど・・)ピアノを弾きながら、覚えていない歌詞(覚えればいいんだけど・・)を見つつ、かつ英語の発音にまで気を配って歌うのは難しいし、忙しくて練習するヒマもないから、無理。
お気持ちだけ頂戴いたします。」

と断ったのだけれど、そのあと、フト、これならゆっくりだし、音域も狭いので、ピアノ弾き語りでもなんとかなるかも?
と、ムーンリバーをピアノで弾き語りして、その後転調して、ギター1本の伴奏でフルートでジャズバージョン、というのをやることにしました。

まあ、フルートの方は問題ないのだけれど、問題は歌。

ピアノ伴奏も、凝ったものにせず、コード進行だけ、ちょっとお洒落なものにして、あとはとてもシンプルなので、これなら出来そうと思ったのだけれど、やはりピアノを弾きながら歌おうとすると、ただ歌う時よりも喉が詰まった感じになって、出だしが特に難しい。

・・やっぱり歌はやめて、フルートだけにしようかなあ、とも思いつつ、かつてないくらい色々な声の出し方を試していました。

そして、変な話ですが、練習も終え、夕食後、トイレに立った瞬間に閃いた。
!そうだ、これって、英語、そして日本語と韓国語の母音の違いが大きいのではないか?と。
その途端、普通に日本語をしゃべっている時の上口蓋に変化が起きた。
自分の身体なのに、変な言い方になるけれど、瞬間にパっと変わったのでした。

それで歌ってみたら、胸部にも響いて振動している!?

こういう声は、てっきてり、しっかりした「お腹の支え」から出るものとばかり思っていたけれど、なんというか、お腹の状況は原因ではなく結果なのね、としみじみと判った。

ちょっとした口腔内の変化がお腹の状態に結びつく。

口、食道、胃、小腸、大腸、と色々と別れているみたいだけれど、人間も進化の最初は「直腸動物」だ。

つまり繋がっている、ってことは、とても影響し合っているのだね、と思う。
口腔内が変化した結果腸の状態も変わるのでは?
それが、所謂、「支え」と言われている、臍下三寸の腹の奥、丹田と言われている箇所にも影響を及ぼしているのでは?

と、勝手な妄想かもしれませんが、自分にとってはリアルな実感。
なんだかポヨンとしていたお腹がシャキっとなる。
力を籠めるとか入る、とかではなく、ただポジションが内側から変わるという感覚。

ずっと逆のことばかりやろうとしてきたのではないかしら?
腹に力を籠めると、横隔膜が硬くなるので、とっくの昔に却下していたと思っていたけれど、基本の考え方としては、「身体全体の釣り合いを整えて、腹に集める。しかる後演奏」だった。

腹からスタートしてたのが大間違いでした。

歌は大好きで、小学校の頃は合唱部。
音大でも、課題のドイツ歌曲などをフルートで演奏するのが好きだった。
ミュンヘンではオペラにドはまりして、仲間たちとオペラごっこなどして遊んでた。
帰国後は、藤原のオペラ歌手の先生に1年くらい教えていただいたこともある。
友人のオペラ歌手のレッスンを受けたことも。

と、こんなにやってきたのに、やっぱりヘタだった・・

それが、生まれて初めて、「なんて楽しいの?」
そして、「なんてラクなの?」という感じ。

何もかもがガラっと違って、ムーンリバーの英語の発音もマシになった。

そして、もちろん、フルートも。
水木、とこの状態で吹いたところ、全く違う。
でも、憧れていた師匠の音に少しだけ近づけた。
そうそう。これが欲しかったのよね。

歌はダメだけど、フルートなら、まあまあ、と思っていたのが大間違いだったことに気付かされました。

全く、まだまだだったじゃない!?

。。。。。。。
昨年59歳で弟が胃癌で逝ってしまってから、より人生の残り時間のことを考えるようになりました。気持ちも塞ぎ気味だったし、体調もイマイチだった。

元気な内に、もっと、親しい人達と過ごす時間を持っておきたい、と考え、
「もっと遊ぼう!」と決めた今年でした。

実際、夫と海外旅行など行くと、もうフルート引退して、呑気に遊ぶだけの暮しにしてもいいなあ、65歳だしなあ、と思うくらいだったのですが、これ程の喜びは、やはりフルートをやっていればこそ。

WAYAZメンバーから「真理ちゃんも歌いなよ!」と振られたことも大きなきっかけで、遊んでいたからこその、気付きでした。

フルートだけ真面目に吹いていたのでは、こうした質的変換って中々得られなかったのではないかと思います。

2003年、甲野先生に出会って、「ねじらない、ふんばらない、ためない」という術理をご教示いただき、実際に抜刀術などに触れ、結果フルートの構え方も変化し、生まれて初めて、フルートでの呼吸がラクになったことは、私にとっての大きな感動と喜びですが、今回の気付きはそれに匹敵するくらいのもの。

身体って本当、繋がっている。


出しゃばり

2024-06-29 22:42:37 | 気付き
身体の中で、最も出しゃばりなのは、脳だと思うけれど、その次は何と言っても、腕だよね、としみじみしておりました。

腕を操っているのは脳だから、まあ、この両者がタッグを組んでいるのだから、そりゃあ、それに抗うのは難しい。

思うに、フルートを始めた時、半世紀以上前から、「三点支持」というものに憑りつかれていて、そんなものは、もうとっくの大昔に振り捨てたと思っていたけれど、なんのなんの、しっかりでしゃばりさんの腕は「これこそは自分の仕事」とばかりに務めを果たしてた。

これに気付いたのも、「ため息」で吹くという変化があったからこそと思う。

より深いため息にするためには、肩は下がっていればいるほど良いのだから。

あれ?息が浅いぞ?とすぐに気付けるようになった(今頃!?)からこその変化です。

典型的なのが、緊張したり、不安になったり、またはその反対に調子に乗ってノリノリだったり、楽しく吹いたり、というのも同様。

よく、植村先生に叱られていたのは、「性格悪いぞ」だけれど、その次に「本番楽しむようじゃシロートだ!」というのもあった。

もちろん、楽しみ方にも色々レベルというものがある訳で、あくまでも私に向けられたのは低いレベルでの「楽しむ」だったのだけれど。

いずれも、肩を上げてしまうことにつながる。
それは殆ど、腕、特に左腕が出しゃばってくる。

私のやり方が一般向けとは決して思っていないけれど、もう20年くらい前?もっと前?とにかく「三点支持」は違う、という立ち位置だ。

一時はシーゾーの原理で、頭の重さを利用して左右の釣り合いを取っていたけれど、今はそれでもなく「三点載せ」。

頤、左人差し指の付け根、右手親指の三点に楽器を載せるだけ。右の小指は微妙なバランス調整を請け負う。

ずっと、これはやっていたのに、でもちゃんとやれていたのは、ゆとりがあり、自身の感情がニュートラルな時に限られていた。

テクニカルで難しい曲や本番、逆に気軽に楽しんでいる同期バンド・WAYAZで吹いている時、みな、感情が動き過ぎて、左腕が出しゃばり、「載せる」ではなくなって、先祖返りの「三点支持」ににじり寄っていた。

ここのところ、この大きな間違いに気づいて、「載せる」という稽古ばかりしていたのだけれど、なんと爽やかなことか!

大学生の時、合コンっぽい感じで初めてスキーに行った時、必要もないのにストックにしがみついてヘトヘトになったことが思い出された。

まさにそんな感じ。

「三点載せ」はフルートの重さ、重力の積極的活用になる。

でも「三点支持」はフルートの重さとの闘いだ。やれやれ。