思いつくまま

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中日ドラゴンズの黄金期を支えた選手が次々に引退

2018年10月13日 17時40分00秒 | 中日ドラゴンズ
中日ドラゴンズが落合博満監督の下で強かった時代に大活躍した選手が相次いで引退することになった。

Twitterで選手を応援する時の名前は、あ~ラッキー、守護ネ申・岩瀬、浅尾きゅん、野本K


あ~ラッキー・荒木雅博内野手
1995年、ハズレ・ハズレのドラフト1位指名、実働21年
ゴールデングラブ賞:2004年~2009年の6回
盗塁王:2007年・31
2000本安打:2017年6月3日
シーズン1試合4安打以上が9回、3安打以上の猛打賞が通算152?回の球団記録

元中日の井端弘和選手との鉄壁の二遊間コンビは「アライバ」の愛称で親しまれた。まさか2000本もヒットを打つとは思わなかった。2000本目のヒットを楽天戦で打った時には、故・星野仙一元監督が花束贈呈した。盗塁も多く無事これ名馬って感じ。


守護ネ申岩瀬・岩瀬仁紀投手
1998年2位指名(1位は元中日の福留孝介)、実働18年(2015年は1度も登板無し)
入団した時の故・星野仙一監督にちなんで1001試合登板を通り越して、前人未到の通算1002試合登板(川上憲伸曰く仙人)、407セーブ
最優秀中継ぎ投手:1999年、2000年、2003年の3回
最多セーブ投手:2005年・46、2006年・40、2009年・41、2010年・42、2012年・33の6回
カムバック賞:2017年

西東高校の後輩、1999年初登板の広島戦、全くアウトが取れずに降板、そりゃそうだよなぁと思ったが・・・星野監督は次からも使い続け、打者からボールが消えて見えるスライダーで次々に打ち取っていった。2007年の日本シリーズ日ハム戦第5戦、ウルトラセブン・山井が8回まで完全試合の好投だったにもかかわらず、落合監督は9回を守護ネ申・岩瀬に交代させ、3凡で2投手で完全試合達成。
晩年は1イニングで必ず1人ランナーを出すも抑える4凡が当たり前になった。
2018年9月28日対阪神戦、1点リードの緊迫の9回表に前人未到の1000試合登板達成、先頭打者を死球で出すも、福留も含めて3人を打ち取り4凡、407セーブ目を挙げた。翌日には森繫和監督の粋な計らいで、浅尾きゅんのあとに登板し、1001試合登板を達成した。


浅尾きゅん・浅尾拓也投手
2006年3位指名、実働10年(2016年は1度も登板無し)
最多ホールド:2010年・47
MVP:2011年、中継ぎとしてのMVPは初
ゴールデングラブ賞:2011年、先発登板が一度もない投手としては初

常北高校から日福大という地元でも裏街道からの中日入り、イケメンで細身の体ながらも、150キロを超える直球と、高速フォーク、パームボールで三振を奪った。またフィールディングも素晴らしかった。マウンドでぴょんぴょん跳ぶ姿が可愛らしかった。
2018年9月29日の引退試合、中継ぎで登板、ホームラン級の大ファールを打たれながらも最後は三振に打ち取って、岩瀬につないだ。


野本K・野本圭外野手
2008年1位指名(楽天と競合)、実働9年

中日ファンのツイッター「のもとけ @gnomotoke 」がフォロワー2.2万人と存在感
1年目の初安打がホームランでお立ち台にも立った。晩年は左の代打の切り札としてチャンスで決勝打を放ったはずが、なぜかその後追いつかれたり逆転されたりして、お立ち台に立てなかった印象ばかりが残っている。
2018年9月29日の引退試合、代打で登場し1塁ゴロでヘッドスライディング。



他には、2015年に10勝を挙げた若松駿太投手が退団、2017年にプロ入り初ホームランを打った谷哲也内野手が引退。


強かった頃の中日ドラゴンズの一時代を築いた選手が次々に引退してしまうのは、本当に寂しい限りだよ。





ついでに落合監督時代に名参謀だった森繫和監督や土井正博打撃コーチも退団。
お疲れ様でした。ここまでどうもありがとうございました。

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