デジカメコレクション デジカメ大好き

デジカメでいろいろ撮ってます 腕が悪いくせにカメラのせいにして買ったカメラが150台超えました

アクアリウム

2017年01月21日 | RICOH
このところ無機質な冬の写真が多く、さらにGRDⅣのモノクロモードを多用したからか、私自身、色物に飢えて、行ってきました金魚水族館アクアリウム。またまたたくさん撮ってきたので何日かに分けますが、特に初日の今日の写真はお気に入り、大きな漆器の水槽?杯?の中で金魚が泳いでる写真です。漆器の絵模様と相まってなんともいえない優雅さがあります。GRDⅣのマクロモードで撮ってきました。















RICOH GR DIGITAL Ⅳ





花街 柳橋

2017年01月20日 | RICOH
浅草橋の商店街を少し散策したあと、最後の橋、柳橋に向かいました。川沿いの船宿が並ぶ道を進みます。ご存知の方も多いと思いますが、このあたりは昭和の初めまで花街でした。料亭、割烹、遊郭で賑わっていたそうです。表通りから1本入ったところに歓楽街、いつの時代も変わらない様式ですね。

かもめが導いてくれました


船宿、屋形船がひしめき合います


柳橋の袂には有名な佃煮屋、小松屋があります


そして神田川最下流の橋 柳橋。柳橋だからか緑色でした。




橋の袂には想定どおり柳の木が、そして碑も




隅田川に向かう船が大海への旅立ちのように感じます


隅田川に架かる両国橋


両国橋からはスカイツリーも望めました スケールの違いを感じさせてくれました


これで神田川の旅も終わりです。長い散歩にお付き合い頂きありがとうございました。昨夏に行った井の頭公園、高田馬場間は約6時間、今回の高田馬場、柳橋間は約4時間、写真を撮りながらのんびり歩いてもこのくらいです。特に後半は付近に史跡も多く、江戸、明治の情緒を感じることができます。寄り道をしながらまた訪れたくなる道程でした。

RICOH GR DIGITAL Ⅳ

船宿 浅草橋

2017年01月19日 | RICOH
神田川も国道4号を越えていよいよ隅田川は目の前です。

昨日川沿いに柳が増えてきた話はしましたが、その正体は柳原土手でした。


清洲橋通りに架かる美倉橋。


このあたりは川沿いに道がありません。


左衛門橋 このあたりから川の両岸は屋形船の停泊地になっています。




住所も浅草橋に入り、船宿も増えてきました。




そして浅草橋。ここでちょっと訂正、昨日和泉橋が奥州街道と書きましたが、江戸時代の奥州街道、日光街道はこの橋を渡っていたようです。その証拠に橋の袂に浅草見附跡がありました。




街道沿いには明治から続く鯛焼き屋さんがあります。カリカリでおいしい鯛焼きです。吉徳の人形の看板も見えますね。 




橋には柳橋←の案内があり、最後の橋、柳橋が見えてきました。この辺は船宿がひしめき合っています。屋形船はここから隅田川にくり出して行くんですね。




明日は最終回、柳橋です。



秋葉原 交通の要所

2017年01月18日 | RICOH
神田川の旅もいよいよラストスパート。今日は今でこそアイドルの聖地ですが、江戸時代、明治時代の交通の要所、史跡豊富な秋葉原周辺です。昌平橋から東を眺めると長いレンガが続いています。これが廃駅になった萬世橋駅、元交通博物館です。この風景は明治時代から変わらないのですね。



そして萬世橋 この橋は江戸城から徳川家の菩提寺、上野寛永寺に続く中仙道に架かっています。今は秋葉原の中央通り。


袂には有名な肉の万世が


萬世橋から東を見るとJRの鉄橋が 山手線、京浜東北線、上越、東北新幹線が通ります


JRの鉄橋沿いに歩行者用の橋があります。うっかりすると見過ごしそうな橋ですが、私が子供の頃はなかったような、でも社会人になってからは自然に使っていた、いつできたかよくわからない不思議な神田ふれあい橋です。


調べると東北、上越新幹線東京乗り入れ時の工事用の橋とのことです。工事終了後に歩行者に解放されたんですね。この橋を渡ると太田道灌時代の江戸の鎮守、柳森神社があります。


その名のとおり神社前には立派な柳の木が、このあたりから神田川沿いに柳の木が目立ち始めます。


ふれあい橋の少し下流に神田川クルーズ、秋葉原乗船場があります。今度乗ってみようかな。


そして今日の終点、和泉橋。この橋も江戸の五街道、奥州街道、今の国道4号が通っている日光東照宮参りに欠かせない橋です。




残る橋はあと5本です。





神田山

2017年01月17日 | RICOH
今日のタイトルは間違えではありません。昨日の最後の写真の切り立った崖は右が駿河台、左が湯島台ですが、その昔繋がったひとつの山だったそうです。その山の名前が神田山。江戸の初期に治水と江戸城北側の防御のための堀として山の真ん中に川を通したということです。江戸時代の土木技術もたいしたものですねぇ。

堀として築いたので橋があるはずがありません。しばらくは史跡碑が続きます。




切通しには中央線が走っています。川はさらにその下を流れます。


ようやく山の頂上?に着きました。そこには明治以降に架けられたお茶の水橋がありました。




橋から東側を眺めました。いやあさすが茗渓ですね。残念ながら聖橋は工事中、アーチは拝めませんでした。


そして工事中だった聖橋。湯島聖堂とニコライ堂を結ぶ橋だから聖橋、これも明治以降の橋です。


聖橋の東側、地下鉄丸の内線が通っています。川は地下鉄よりも下を流れています。




相生坂を下りると今日の終点、昌平橋です。


橋から振り返るといつのまにか中央線は空中に。このあたりの立体感は一興ですね。


のどかな昼下がり、鳩も羽を休めます。秋葉原の街が見えてきました。


距離は長くて、写真も多かったのですが、今日も橋3本しか進みませんでした。




水道橋まで

2017年01月16日 | RICOH
今日も神田川の続きです。もう3、4日で終わると思いますのでお付き合いくださいね。飯田橋を過ぎると首都高5号線の下をしばらく流れます。かなりの間、橋はありません。

ようやく次の橋が見えてきました


小石川橋です。近くには小石川後楽園、伝通院があります。このあたりからは有名な橋が続きますので、みなさんもご存知ではないでしょうか。


次は歩行者の渡った数ではTOP10に入ると思われる橋です。水道橋駅西口から東京ドーム、後楽園ホール、JRA場外馬券売り場に繋がる後楽橋です。ナイターのたびに数万人が渡ります。


振り返ると東京ドームホテルが


次の橋との間に神田川クルーズの船着場がありました


そして今日の終点は水道橋です


レリーフがありました


橋の西側を見ると先ほどの後楽橋、船着場が見えます。写真左側はJR水道橋駅、駅の東口は今立っている水道橋ですからとても長い駅に感じます。






渡って東側を見ると、駿河台方面は切り立った崖に挟まれた渓谷になってきます。江戸時代は渡るのに難儀したことでしょう。


距離はあったけど橋3本しか進まなかった。3、4日で終わるかな?



飯田橋界隈

2017年01月15日 | RICOH
まだまだ橋は続きます。今日はちょっとかわいいピンクの小桜橋から。



次は中ノ橋。おそらくこれで4本目のなかのはし。他の橋の間にあればなかのはし?


ここから4本は新と旧が続きます。架け替えでしょうか。名前が尽きたのかな。

新白鳥橋


白鳥橋


ここには水道橋分水路があります


新隆慶橋


隆慶橋


そして今日の終点、外堀通りが渡る、あれ?飯田橋じゃない。私が知らなかっただけかも知れませんが、神田川には飯田橋という橋はありません。気になって調べたら外堀に架かる橋のようです。神田川に架かる橋の名前は船河原橋でした。





カメラは相変わらずGRDⅣです。それしか持って行かなかったので当たり前ですが。





江戸川橋

2017年01月14日 | RICOH
神田川の橋は続きます。今日のスタートは大滝橋、このあたりは江戸川橋公園になっていて車は渡ることはできません。昔このあたりには堰があって、流れ落ちる様を滝に見立てたとのことです。このあたりには有名な旧山縣有朋邸、椿山荘もあります。



ここも車両不可、一休橋


江戸川公園は神田川に沿った細長い公園です


首都高の合流の真下に江戸川橋が見えてきました




昔このあたりから先の神田川は江戸川と呼ばれていたそうです。江戸川区の江戸川とは違います。たしかにこのあたりから川幅も広がり、用水(上水)ではなく川らしくなってきました。

華水橋


この橋の名前は読めないでしょう 私も読めませんでした 答えは次の写真に




古川橋 これも旧町名からでしょう


首都高5号線の真下をまっすぐ流れます


石切橋 石工が大勢集まっていたそうです


このあたりは江戸時代からうなぎ屋が多かったとのことで、これも江戸時代から続くうなぎ はし本です。この名前は逆に橋の袂だったからこの名前にしたのかな


この橋の名前も不思議です。江戸川橋からかなり東に歩いたのになぜか西江戸川橋


これも西江戸川町という地名かららしいのですが、おそらくこのあたりから江戸川と呼ばれたとしたら一番西側ということではないでしょうか。明日は飯田橋に向かいます。





面影橋周辺

2017年01月13日 | RICOH
昨日の続きです。明治通りを横切った神田川はしばらく新目白通りと並走します。今日もカメラはGRDⅣ、内蔵のフィルターを駆使して撮ってきました。このカメラのフィルターは下手な写真でも、見映えよくしてくれるありがたいフィルターです。

まず今日のスタートは曙橋。市ヶ谷の曙橋ではありません。フィルターはブリーチバイパス。


次の橋は洒落た名前、面影橋です。戦後間もないモノトーン映画を連想してハイコントラスト白黒で撮りました。実際の橋の名の由来は戦国時代の悲恋のようです。神田川には伝説が多いですね。


ハイセンスな名前は都営荒川線の駅名や交差点名にも使われています。


三島橋 由来はこのあたりの旧町名、三島町からでしょう


仲之橋


マクロ、ポジフィルム調、周辺減光強で撮りました


豊橋


マクロ、ビビッドで撮影


今日の終点は駒塚橋 旅や鷹狩りの馬の繋ぎ場だったとか。付近には旧跡も多く、関口芭蕉庵、細川家の宝物殿 永青文庫などがあります。


関口芭蕉庵 芭蕉も俳句が売れる前、神田川改修工事に関わっていたそうですよ。バイトかな?


講談社のお膝元でもあります。


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貴方はもう忘れたかしら

2017年01月12日 | RICOH
今日のタイトルはかぐや姫の「神田川」の一節。そうです、神田川の写真です。このタイトルにはもうひとつ意味があって、昨年夏に神田川の橋を制覇するとか豪語して、高田馬場で断念して、残りはシルバーウィークにでも・・・と言っておきながら私自身忘れてました。みなさんも忘れてましたよね。

というわけで残りの橋を年末休暇を利用して行ってきました。カメラは前回のE-M5から変わってGRDⅣです。
神田川には140の橋があって前回100本くらい渡ったから、残りは40本程度ですのでお付き合いください。

高田馬場の駅から1本目は神高橋。神田川と高田馬場の合成でしょうか。ちなみに橋の名前は結ぶ地名の頭文字を取ることもあるようで、有名なところだと関門橋みたいな感じです。それにしてもこの辺は似た名前の橋が多いところです。高田村と戸塚村を結んでいたのでしょうが、適当な名づけに思えてなりません。

神高橋 西武線が見えますね


高塚橋 高田の高と戸塚の塚?


戸田平橋 戸塚の戸と高田の田?平は?


源水橋 ここだけ違います 欄干には水車の絵が、名前と関係あるのかな?


高田橋 ここで妙正寺川と合流します


そして本日のメイン 明治通りに架かる高戸橋 名前は残りの組み合わせかな


高戸橋の横には最後の都電 都営荒川線が走ります レトロな車両ですね


「神田川」に出てくる三畳一間の下宿はこのあたりにあったそうです。作詞した喜多條忠が早稲田大学なので辻褄が合いますね。その頃は大学紛争も盛んだったし、神田川も汚かったし・・・。

RICOH GR DIGITAL Ⅳ