ぺんぺんぐいん

ぺんぎん歩きは卒業したよ。

振り返る力、あるいは残す技法。

2009-01-07 06:00:25 | つれづれ
ねむい。ねむい。

なにしろヒマなのです。今週までは。おそらく。たぶん。

ひさびさにネット将棋を、よそ見せずに集中してやってしまったよ。



学生生活の総決算の時期に来ているのだな、と思っている。

これまでさんざんやり散らかしてきたたくさんのことに
カタをつけて、整理して、保存して、引き継いで。

wrap up。



たくさんのデータも残っている。写真、動画、新聞記事、資料・・
なにを記録してあるのかわからないCD-ROMもたくさんある。

いつでも引っ張り出せるし、見れるから。整理するのはいつでもいい。

ずっとそう思ってた。



春からは社会人だ。土日もあまり無いだろう。
あったとしても、その時々の都合に合わせて予定がすぐ埋まるだろう。

貯まりに貯まった思い出のかけら、
たぶん今整理しておかなかったら、
一生見ない。



写真に残したりなんだり、「残す」のが好き。

過去を振り返ってばかりの人にはなりたくないけれど、
未来を見据えるためには、これまでの軌跡を明晰に意識している必要もあるだろう。
あるいは、単純に昔を振り返ってみたくなる時もある。

少し将来の自分が、過去を振り返る準備を、
今のうちに整えてあげておくのは重要なことだと思ったのです。



文章に、それも巧くて説得力があって感情のこもった文章で、
過去を残しておける人はいいな、と思う。

そうして書き残したものは、その人の財産だとすら言えるかもしれない。



書く力のみならない。


もっといえば、「振り返る力」。


たとえまったく同じ人生を歩んできた人でも、
それをどう振り返るか。どう洞察して、どれだけイキイキと、豊かに認識できるか。

それによって、人生の豊かさって変わってくると思う。
やっぱり、滋味に溢れ機微を掴んだ記憶の束が、死ぬ時に、思い返せるほうがいいじゃん。

どれだけ豊かに、自分の人生を振り返ることができるか。

それってちょっと大事かも、と思ったのでした。



これまでの年賀状もすべて整理した。

小学生のころからずっととってあって、
極めて乱暴に無造作に、箱に入れっぱなしだったもの。

ひとつひとつ読み返して、年代ごとにきちんと揃えて並べた。



尤も、なにもかも整然と整理してしまうことが正しいとも限らない。

それぞれ、その思い出にふさわしい残し方があるのかなとも思う。
例えばわりきれないままの気持ちは、やっぱりわりきれないまま
無造作に残しておくのもいいかもしれない。



思い出の形もいろいろ。

今手元に残っているそれぞれの品々も、残し方はいろいろ。



「振り返る力」、あんまり自信ないけれど、せめて資料から写真から、
残し方を工夫することで、すこしは鮮やかに思い出をつなぎとめておけるだろうか。

「残す技法」、これも大切なんだろうなと思った。学校では習わない。



大人になればなるほど感情の起伏も浅くなって、
一年一年が早く過ぎさってしまうものらしい。

それがちょっとだけ悲しくて、すこしでも残すべきものは残しておきたくて、
そんなことを考えていたのでした。



過去を振り返ってばかりの人にはなりたくないけれど、
過去と切り離された薄っぺらな自分ではなくて、
怒りも悲しみも喜びも全部一枚一枚重ねながら、踏みしめながら、
いろどり豊かに前を向いて生きていたいなと思ったのでした。



ねむい。寝る。

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