チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「やすみこえたり……藤原氏と采女/中臣(藤原)鎌足生誕1400年」

2014年03月16日 18時52分15秒 | ヘェ?ソウ?でチャオ和歌す
今年は、
中大兄皇子(天智天皇)の側近だった
中臣鎌足(なかとみ・の・かまたり、西暦およそ614-同669)の
生誕1400年にあたる年である。死の前日、
天智帝から「藤原」姓を賜った。中臣氏は、
大和朝廷において、忌部氏とともに
神事祭祀を司る家柄だった。が、
鎌足には政治の中枢に入り込みたいという
野心があった。そこで、
"つかえる"皇子として選んだのは、
年上の軽皇子(のちの孝徳天皇)と
年下の中大兄皇子だった。後者とは、
皇子がポロにいそしんでるときに、
脱げた靴を拾ったことでお近づきになった、
という咄が残ってる。

鎌足はその和歌が2首、万葉集に残ってる。ともに、
天智天皇から賜った女性に関するものである。

[万葉集巻2-0093 内大臣藤原卿娉鏡王女時鏡王女贈内大臣歌一首]
[玉匣 覆乎安美 開而行者 君名者雖有 吾名之惜裳]
(たまくしげ おほふをやすみ あけていなば きみがなはあれど わがなしをしも)
(玉櫛笥 覆ふを安み 明けていなば 君が名はあれど 我が名し惜しも)
「(拙大意)容器の中を隠せる蓋がある櫛化粧箱のように、
私たち二人の中を隠すのは簡単だとお思いになって、
その蓋を開けるように夜が明けてからお帰りになるので、
あなたさまのお噂は当然に立ちますけれど、
私の評判まで落ちてしまうのはイヤですったら」
(たまくしげ=枕詞。
櫛などを入れる化粧箱に蓋が附いてることから「ふた」「おほふ」に、
中身(実)があることから「三諸(みもろ)(みむろ)」「三室戸(みむろと)」に、
箱であることから「箱」に、かかる。
「形容詞語幹+み」=~だと思って。
名=評判。噂。
この「鏡王女」は中大兄皇子から下賜された鎌足の正妻で、
額田王の姉とされてる女性である。ただし、
額田王本人であるという説も有力である。

この歌への鎌足の返歌が、

[万葉集巻2-0094 内大臣藤原卿報贈鏡王女歌一首]
[玉匣 将見圓山乃(玉匣 三室戸山乃) 狭名葛 佐不寐者遂尓 有勝麻之自]
(たまくしげ みむろのやまの(たまくしげ みむろとやまの) さなかづら さねずはつひに ありかつましじ)
「(拙大意)三室山のサネカヅラが蔦が絡まるようには、
最後まで共寝せずにいるなんて、絶対にありませんよ」

である。次の一首はさらに有名である。

[万葉集巻2-0095 内大臣藤原卿娶采女安見兒時作歌一首]
[吾者毛也 安見兒得有 皆人乃 得難尓為云 安見兒衣多利]
(あはもや。やすみこえたり。みなひとの えかてにすとふ やすみこえたり)
「(拙大意)私だよ、私なんだよ。安見児を自分のものにしたことだよ。
皆がみんな、手に入れることはめったにないことだと言っている、
その安見児を自分のものにしたことだよ」
(初句は字足らずとされてる。
安見児=采女は凶器を隠すことができないような小児のような髪型をしてるが、
その采女の中でも当時もっとも可愛いといわれてたらしい女性とされる。また、
#93の鏡王女と同一人物(つまりは額田王)という説もある)

他にも歌は詠んでただろうに、この撰びかたは、いかにも鎌足が
天智天皇への取り入りだけで出世したとでもいいたげである。
鎌足の次男で藤原摂関政治の基を築いた
不比等(西暦およそ659-同720)は、
一説には"鏡王女"の子といわれてる。さは
そのタネは天智天皇だという説もある。ともあれ、
公には車持(くらもち)氏の娘が母親とされてる。
車持氏は毛の国(のちには上野・下野)の豪族だったので、
この女性が「采女」だったことは充分に考えられる。
現在の「倉持」という名字は、
中原氏と藤原氏が合体した下野豪族宇都宮氏の流れである。
アートネイチャーでも知られる元プロ野球投手倉持明が
その倉持氏かどうかは、
ホラン千秋女史とオードリー若林の顔を瞬時には判別できない
拙脳なる私には知る由もないが、その娘で
AKBの倉持明日香女史は
尻餅アスか
と改名したほうがいいと思われるほどの
エロ尻タレントである。
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