記憶の中から紳士の顔が浮かび上がった。
西口公園で声をかけられ、近くの名曲喫茶でお茶を飲みながら会話したとき、私はぼんやりと、どこかで見たことのあるような顔だなあと思いながら紳士を見ていた。
そこまで考えたとき、私は「あっ」という短い悲鳴のような声を出していた。
紳士の顔は、私が常日頃見ている顔、すなわち自分自身の顔とよく似ていた。髪を半分白くし、額や口元に皺を増やし、眉毛や目尻を垂れ気味にし、頬を少し膨らませ、黒縁の眼鏡をかけさせたら、あの紳士の顔になる。
ということは、何を意味するのか……?
答えは一つしかない。おそらく、あの紳士は私の実父なのだ。どういう事情かわからないが、母と別れた後も、父は私のことを気にかけてくれたのだろう。そして、何らかの方法で私の窮状を知り、助けようと考えてあのような一芝居を打ったのだ。
だが、そうだとしたら、なぜ父は実の親だということを私に隠したのか。これには、いろいろな解釈が可能だ。たとえば、すでに新しい家庭を作り子供もいるのなら、前妻との間に作った子供のことで現在の家族に負担をかけたくないという気持ちも働くだろう。
どちらにせよ、私は、最初に紳士の顔を見たとき、すでにそのことに気がついていた。しかし、私はその推測を抑圧し無意識の中へ押し込んだ。意識に上ろうとする一方で、無意識界に押しとどめようともする。そのせめぎ合いが、耳の中のエコーという心因性の症状になって表れたのではないか。
私の父親への関心は、母によって厳しく制限されていた。例のロシアの小説をもとにした出鱈目を私に押しつけるばかりで、それが作り事であることに気がついていた私は、母の話の矛盾点を指摘し、本当の父が誰なのか、どんな人だったのかという当然の疑問を口にした。答えに窮すると、母は泣きわめき、私を折檻した。私は精神的な檻に入れられて育った。
しかし、あの紳士は実父ではないかと思い至った今、その檻はバラバラに砕け、父親への関心が私の心の中で爆発的に膨張した。
あの紳士と再び会うことはできないか。会っていろんなことを問いただしたい。いろんな話を聞かせてほしい。そう願った。
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