池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

ただ一つのこと、彼はそれを考え抜いて結論を出す

2024-08-10 09:11:33 | 日記

パウル・ダールケからもう1つ動画を作った。原本はもちろん私が訳したデジタルブック。仕方のないことだが、この手の地味なコンテンツは人気がない。おそらく、この内容に興味を持ってくれた人は、動画より文字で理解することを好むのだろうと思った。そして、ダールケのコンテンツを作るのはこれきりにした。

ブッダが登場したときの精神風土は、次のように要約できるだろう。人生は苦しみであるという感覚がインド国民全体に蔓延していた。霊魂は輪廻し、そのためにこの苦しみは無限に続くと固く信じられていた。苦行によって過去の悪行を純化し、徳行を積めば、天国へ生まれ変わり、最終的に、存在から存在へ休み無く移っていく恐ろしいサンサーラ(輪廻)から解放されると考えられていた。このように様々なバリエーションで無限に繰り返されるインド式運命交響曲の基本テーマは、人生は苦痛ということ、またはもっと柔らかい言い方をするなら、恵まれているとは言い難いということである。しかし、人生が苦であるという言明は、古代インドにおいては、今日の我々が言っているような空疎なものではなく、多くの哲学大系でよく見かける冷淡な思考でもない。これは、人間が自己犠牲のエネルギー、固い決心をし、危険を顧みずに避けるべき厳然たる事実であり、その情熱は、ぬるま湯に浸っている今日の我々にはとても想像ができないくらいのものである。

ブッダ時代のインドは、僧侶の集団や修行者の派閥がたくさんあり、その全てが人生の難問に挑戦していた。しかし、人生を苦痛と感じるとき、それと戦えるのは自分だけである。高貴な家柄の子供たちは、自宅を離れ、インドの恐ろしく寂しい森にこもるか、僧侶の隠遁生活をしながら、真理の探究を行った。もっと後の時代になると男たちは黄金郷を求めて出かけていくが、この時代になっては、男は真実を求めて家を出ていた。しかし、古代インドにおける真理探究には、きわめて特徴的なことがあった。それは、あらゆる探求が自分自身に向かっているということだ。真理との戦いは、古代ギリシャにようにエレガントなレトリックによる議論を並べたり弁証法を実践したりするのではなく、外的な形式が内部の摩擦熱と呼応しているかどうかはいっさい省みず、純然たる厳格さで「自分」と戦うことであった。

このような真理探究者たちの中に、若きシッダッタも加わった。両親の嘆きや不平にもかかわらず、相思相愛の妻がいるにもかかわらず、可愛い子供があるにもかかわらず、「男盛りの黒髪」の彼は、まれに見る華美と歓楽の生活を送った父親の邸宅を去り、頭を剃り、黄色い衣をつけて、悔悟者の荒々しい生活へ入っていった。

彼を前進させていたのは思考の力であった。彼は、抵抗することも把握することもできない、洪水のように押し寄せるものに苦しめられ、悩み、生きていく全ての生命のはかなさをつぶさに見つめ、その心の視線を自分の内側に向け、外界のあらゆる場所で否定されてきた飽き飽きするような作業をしっかりと行い、自分の内面深く入り込んで真理を見つけようと決心した。

自分に向き合う誠実さ、結果を顧みない探求の真剣さ、忠実な現実感覚。これらを基礎として、「すべては無常である」という言葉、人の気を引くようによく使われる、あらゆる言葉の中で最も陳腐な言い方がなされたが、それは彼にあっては、十分な根拠をもって「これは、それだけで存立する教えである」と断言できるほどのユニークな教えなのである。

仏教徒の聖歌の一つには、こんな文句がある。「ただ一つのこと、彼はそれを考え抜いて結論を出す」。これは、ほんの数語でブッダがやり遂げたことを言い表している。彼は、ある考え、無常という考えについて、最後まで考えた。私は、彼の教説が、あらゆる教説の中で最も偉大または深遠だと呼ぶつもりはない。ヘラクリトスの全ては流転するという教えも偉大であり、ブラフマンにおける「ただ一つのもの」というヴェーダーンタの教えも深遠である。しかしブッダの教えはそれ以上である。すなわち、現実的なのである。これを通して、ブッダの教えは、現実だけが持っているような、人を動かさずにはおかないような本物の性質を獲得している。なぜなら、人を動かさずにはおかないような唯一のこと、それは真実であり、真実であるような唯一のもの、それは現実だからである。

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