次の日曜日、私は久しぶりに池袋の西口公園に立ち寄った。ホームレスらしき人影は以前より増えているように思えた。私の会社は新宿西口にあるのだが、西口広場も地下通路も段ボールハウスで埋まっており、歩くのにも難儀する。バブル後の状況はどこも同じである。この場所にたたずんでいると、あの苦しかったホームレスの日々が思い起こされて息が苦しくなる。すぐに公園から離れ、ロータリーから繁華街へ入り込んだ。
外出時に耳が反響する感覚はまだ残ってはいたが、それほど苦にならないほど小さくなっていた。おそらくは、慣れただけなのかもしれない。
私は食堂に入り、昼飯を食べながらビールを飲んだ。
食後、ふたたび当てもない散歩を続けた。
歩いて行くうちに、繁華街を過ぎて住宅街に入り込んだ。
解体途中の教会で寝た夜のことを思い出した。あれは、いったいどこだったのか。あの建物をもう一度見てみたかったが、もうずいぶん前に建て替えられたはずだから、それは不可能だ。
そんなことを考えているうちに、急に耳奥のエコーが強くなってきた。昼間からビールなどを飲んでしまったのがよくなかったのかもしれない。
どこかで休もうと歩を進めているうちに、辻公園に行き当たった。砂場や遊具はなく、狭い空き地をベンチと植栽で囲んでいるだけの空間である。初夏に向かう季節で、入り口の横にある銀杏は緑に輝いていた。公園の奥に親子らしき二人がいた。他には誰もいない。その二人は、前に小学生の男子が立ち、後ろに父親が立って少年の背後をにらんでいる。父親が「ト」とか「ロ」と短い音を発すると、それに合わせて少年が両手をきびきびと動かす。
それが手旗信号の練習であることはすぐわかった。おそらく少年はカブスカウトかボーイスカウトに所属しているのであろう。その光景を眺めていると、次第に胸がざわついてきて、喉のあたりが暑苦しくなった。私の頭に一つの比定ができあがりつつあった。
結局のところ、私はあの少年と同じ境遇ではないかと思えてきたのだ。紳士か匿名氏か知らないが、あの父親と同じように背後に立って姿をみせず、私に号令をかけている。私はその声にしたがって手足を動かしている……
記憶の中から紳士の顔が浮かび上がった。
西口公園で声をかけられ、近くの名曲喫茶でお茶を飲みながら会話したとき、私はぼんやりと、どこかで見たことのあるような顔だなあと思いながら紳士を見ていた。
そこまで考えたとき、私は「あっ」という短い悲鳴のような声を出していた。
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