池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

夢と人格

2021-06-19 12:36:29 | 日記
 赤城原と大川が通っていた私立の中高一貫校は、学力で見れば中のやや上といったレベルであった。校長以下、進学実績を積み上げるのに必死であり、早くから熱心に受験指導をしていた。当然、落ちこぼれが出てきたが、先生たちはそんな生徒を一顧だにしなかった。そういう時代だった。私立校でも、生徒の人数が多すぎてかまっていられないのである。
 学校時代の赤城原は、トップクラスではなかったが、まあまあの成績で六年間を過ごした。しかし、野球では校内でよく知られた存在だった。高校一年のときにレギュラーになり、三年生ではキャプテンも務めた。赤城原が二年生と三年生のとき、毎年必ず一回戦で負けていた野球部が三回戦まで勝ち進んだ。教師からは「クラブを辞めて学業に専念したら、おまえはもっと伸びる」といつも言われてきたが、スポーツから離れる気はしなかった。
 一方で大川は、おとなしくて目立たない生徒であった。成績も特別良いわけではなかった。だから赤城原は、大川の学校時代について、ほとんど何も知らない。言葉を交わした記憶もない。赤城原の記憶が正しければ、一度だけ、二人で放課後の教室にいたことがある。
 あれは、おそらく高校一年生の秋だった。野球の練習を終えた赤城原は、宿題のプリントを教室に置き忘れたことに気が付き、ジャージ姿のまま教室に戻った。すでに周囲は薄暗くなっており、生徒はほとんど下校していた。
 自分の机からプリントを取り出したとき、隣の教室で物音が聞こえた。覗いてみると、ちょうど一人が財布から千円札を出し、もう一人に渡しているところだった。千円札を出しているのが大川、受け取っているのは学年でよく知られたワルだった。ワルの隣りには子分が一人いた。明らかに喝上げである。
「おい、何してるんだ?」赤城原が声をかけると、三人はびっくりしてこちらを向いた。
「何でもねえよ、ひっこんでな」ワルが言った。
「いま、そいつから千円を取ってただろ?」当時の千円というのは、高校生にとって大金だった。
「おまえにゃ関係のねえことだ。さっさと帰れ」
「それ、戻せよ、そいつに」
「何だと?」
「戻さなきゃ、先生に言うぞ」
「この野郎、ぶりやがって」二人は肩をいからせて赤城原へ向かってきた。「殴られたいのか?」
「オレを殴ったら、野球部の先輩たちからひどい目に遭うぞ。わかっているんだろうな」
「けっ、野球部なんか怖かねえ」
「戻しな。そうしたら、先生にも言わないから」
 ワルは、さっき受け取った千円札を床に叩きつけ、さらに上履きシューズで踏みつけ、赤城原をにらみながら教室を出ていった。
「ほらよ」赤城原は、くしゃくしゃになった千円札を拾い、大川に渡した。大川は、目にいっぱい涙をためており「ありがとう」とも言わずに千円札を赤城原から受け取ると、逃げるように立ち去った。その後ろ姿を見ながら、赤城原は少し複雑な気分になった。同級生から喝上げされて、もちろん大川は悔しかっただろう。しかし、その場面を他の同級生に見られ、助けてもらったことは、大川にとってもっと大きな屈辱だったかもしれない。
 競争の中で育った赤城原の世代には、そんな傾向がある。他人の好意や援助を素直に喜べないのだ。
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