この手引書の作者であるアヌルッダ師については、詳しいことはほとんどわかっていない。彼は、前に引用した他の2つの手引書の作者と見なされており、仏教国では、彼が合計9つの概論を書いたが、現存しているのはこれら3つだけであると考えられているParamattha-vinicchaya(第一義解明、または勝義諦決擇論)は流麗なパーリ語で書かれており、文体の完成度が高い。本の奥付によれば、この著者は、南インドのカーンチプラ(旧名コンジーヴァラム)のカヴェーリに生まれている。ブッダダッタ師およびブッダゴーサ師も同地に住んでいたと言われており、復注の作者であるダンマパーラ師はおそらくこの地方の生まれである。カーンチプラが数世紀にわたってテーラワーダ仏教の重要拠点の1つであり、そこで学んだ比丘がスリランカに渡ってさらに研究を深めたことを裏付ける証拠が残っている。
アヌルッダ師がこれらの手引書を書いたのがいつのことなのか、正確にはわかっていない。古い僧院の言い伝えでは、彼はブッダダッタ師の学友であり、同じ先生に師事したとされており、したがって彼を5世紀の人間としている。この言い伝えによると、彼らは先生への感謝の印として、それぞれ「アビダンマッタ・サンガハ」と「アビダンマワタラ(入阿毘達磨論)」を書いたという。そして先生は、「ブッダダッタは部屋をあらゆる種類の財宝で満たしドアの鍵をかけた。アヌルッダは部屋を財宝で満たしたがドアを開けたままにした」と批評したという[11]。しかし現代の学者は、この言い伝えを支持しておらず、アヌルッダの著作の文体と内容を根拠として、彼は8世紀より以前に生きていたはずはなく、おそらく10世紀から12世紀初頭までの間の人間であろうとしている[12]。
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