岡本綺堂【火に追われて】
ファイル41の鈴木三重吉に続いて、『半七捕物帳』で有名な岡本綺堂のエッセイを採り上げます。被災した時、綺堂は五十歳で、戯作者・小説家としてはすでに大家の域。住んでいたのは麹町元園町。
震災の直後に書かれているので、まだ頭は混乱した状態だったと思われます。それにも関わらず、この短い文章は、無駄がなく、運びが上手で、まるで上等の一幕劇でも観ているかのようです。
これを読むと、火事の恐ろしさがよくわかります。実は、私も、高校生の時に実家が全焼するという被害にあったことがあります。火元の家からは距離があったのにもかかわらず、ちょうどその日は風が強く、実家が風下になっていたため、あっという間に火が燃え移りました。私自身は別の町で下宿暮らしをしていましたので、火災の場面を経験していませんが、結構な大きさだった実家が灰になった様子を見て、本当に火事の怖さを思い知らされました。
文中に宇治拾遺物語の絵仏師の話しが出てきます。近年では、家が全焼した時の稲垣足穂の一言「あー、さっぱりした」が有名ですね。しかし、元園町の家は、綺堂が幼いころから育った実家ですので、とてもそんな気分にはなれなかったのでしょう。
ファイル41の鈴木三重吉に続いて、『半七捕物帳』で有名な岡本綺堂のエッセイを採り上げます。被災した時、綺堂は五十歳で、戯作者・小説家としてはすでに大家の域。住んでいたのは麹町元園町。
震災の直後に書かれているので、まだ頭は混乱した状態だったと思われます。それにも関わらず、この短い文章は、無駄がなく、運びが上手で、まるで上等の一幕劇でも観ているかのようです。
これを読むと、火事の恐ろしさがよくわかります。実は、私も、高校生の時に実家が全焼するという被害にあったことがあります。火元の家からは距離があったのにもかかわらず、ちょうどその日は風が強く、実家が風下になっていたため、あっという間に火が燃え移りました。私自身は別の町で下宿暮らしをしていましたので、火災の場面を経験していませんが、結構な大きさだった実家が灰になった様子を見て、本当に火事の怖さを思い知らされました。
文中に宇治拾遺物語の絵仏師の話しが出てきます。近年では、家が全焼した時の稲垣足穂の一言「あー、さっぱりした」が有名ですね。しかし、元園町の家は、綺堂が幼いころから育った実家ですので、とてもそんな気分にはなれなかったのでしょう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます