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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

1月22日・バイロンのロマンティック人生

2015-01-22 | 文学
1月22日は、作家、森敦が生まれた日(1912年)だが、詩人バイロン卿の誕生日である。

ジョージ・ゴードン・バイロンは、1788年、英国イングランドのロンドンで生まれた。父親はノルマン系イングランド人の貴族で、母親はスチュワート王家の血をひくスコットランド名門貴族の家系。散財家だった父親は財産目当てに母親と結婚したといわれる。
バイロンの右足は先天性内反足、つまり生まれつき足の部分が曲がっていて、歩くのが不自由だった。バイロンの肖像画が上半身だけのものが多く、全身が描かれていても右足先が隠されていたりするのは、このためだろう。
バイロンが生まれた翌年は、フランス革命がはじまった年で、このとき母親は彼を連れてスコットランドへ引っ越した。一方、父親は借金とりから逃れるために騒乱のフランスへ旅立ち、バイロンが3歳のときにフランスで没した。
6歳のとき、男爵であるバイロン家の相続人が、コルシカで戦死したため、ジョージが相続人となり、10歳のとき、大伯父の第5代バイロン卿が没し、ジョージは正式に第6代バイロン卿となった。
17歳でケンブリッジ大学に入学したバイロンは、高利貸しからお金を借りて遊びまわり、同性や異性との恋にふけり、また詩集をさかんに出版した。21歳のとき、自分の詩集を酷評した批評家を、反対に批判し返す評論を出版し、英国を飛びだした。そうして2年近くをかけてバイロンは、ポルトガル、スペイン、マルタ島、ギリシア、アルバニア、コンスタンチノープルなど地中海沿岸を旅してまわる。旅のなかで、遺跡を訪ね、馬に乗り、海峡を泳いで渡り、さまざまな人々に出会い、恋をし、詩を書きつづけた。
23歳のとき、ロンドンへ帰郷。そのころ、母親が没した。
24歳のとき、旅の途中で書きためた詩集『チャイルド・ハロルドの巡礼』を出版。大反響を巻き起こし、一夜にしてバイロンは有名になった。
「ある朝目覚めると、わたしは自分が有名なのに気がついた。(I awoke one morning and found myself famous.)」
とは、このときのせりふである。
英国社交界の寵児となったバイロンは、さまざまな女性たちと浮名を流し、借金とりに追われたり、ヨーロッパを旅したりしながら、詩を書きつづけ、詩集『邪宗徒』『海賊』『ドン・ジュアン』などを出版。ギリシア独立革命に参加することを決意したバイロンは、35歳のとき、ギリシアに出発し、1824年、ギリシアの地で熱病にかかり、36歳で没した。

ゲーテも絶賛したロマン派詩人の代表格バイロンは、その生きざまも激しくロマンティックなものだった。
バイロン卿には、たくさん名言がある。

「事実はつねに奇妙である。小説よりも奇妙である。(Truth is always strange, stranger than fiction.)」

「もしも書くことで頭のなかを空っぽにできなかったら、わたしは気が狂ってしまう。(If I don't write to empty my mind, I go mad.)」

「いつもできるだけ笑っていなさい。それは安上がりな薬ですよ。(Always laugh when you can. It is cheap medicine.)」
(2015年1月22日)



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