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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月10日・フレネルの光

2024-05-10 | 科学
5月10日は「ザ・ダンサー」フレッド・アステアが生まれた日(1899年)だが、フランスの物理学者、フレネルの誕生日でもある。

オーギュスタン・ジャン・フレネルは1788年、仏ノルマンディーのブロイで生まれた。父親は建築家で、母親は『カルメン』の作者メリメの伯母にあたる教養人だった。オーギュスタンは男4人兄弟の2番目の子だった。
オーギュスタンが1歳のころに、一家はシェルブールに引っ越し、6歳のころにマチューへ越し、彼はそこで育った。
オーギュスタンたち兄弟ははじめ、母親から家庭で教育を受けていた。一説によると、オーギュスタンは8歳まで字が読めなかったともいい、幼少時、大人からは優秀だとみられていなかった。ただし、木の枝を削ってみごとな弓矢や銃を作り上げる腕前は、子どもたちのあいだでは「天才」と呼ばれていた。
16歳でエコール・ポリテクニークに入学。入試で17番の成績だったフレネルは、からだが弱く、友人も少なかったが、素描と幾何学に優れていた。
18歳でそこを卒業した彼は、エコール・デ・ポン(国立の橋梁道路学校)に進んだ。そして、エコールを21歳で卒業し、上級技術者の組織であるコー・デ・ポン(橋・森・水の軍団)に入った。以後、そこの公務員の土木技術者としてインフラストラクチャーの建設に活躍した。そのかたわら、物理学者として、特に光の研究で目覚ましい業績をあげた。

壁に細い隙間を設け、そこへ光を照らすと、隙間を通り抜けた一筋の光の直線的な道ができるが、よく調べると、光は隙間を抜け出、扇状に広がり、直線的には到達できないところまでまわりこんでうっすらと光が届いている。この「回折現象」を、フレネルは光を波ととらえることによって説明した。これが「フレネル回折」である(高校の物理の授業での、水の波の回折実験が懐かしく思い出される)。

フレネル菱面体(りょうめんたい)は、光を90度に2度全反射させるプリズムを用いた実験で、それまで縦波だと考えられていた光が横波であると、これでフレネルは証明した。

あるいは、現代でも投光器や灯台に使われている薄いフレネルレンズ。フレネルの公式、フレネル積分など、その成果は後世のアインシュタインの相対性理論へと脈々と続く物理学史のマイルストーンである。

フレネルは、光の反射と偏光についての論文により、35歳のとき、フランス科学アカデミー会員に選ばれ、37歳のときには英国ロンドンの王立協会のフェローとなった。
病弱だった彼は1827年7月、ヴィル=ダヴレーの地で結核により没した。39歳だった。

ナポレオンの上昇と下降、復活、敗北によって大きく動く時勢の波に揺らされたフレネルは反ナポレオンの王党派で、冷や飯食いの時期もあった。もともとからだが弱かったから、それはきつい人生だったろう。しかし、彼には固い信条があった。
フレネルは敬虔なキリスト教徒で、『パンセ』を書いたパスカルと同じく、ジャンセニスト(ヤンセン主義者)だったそうだ。ジャンセニストは神の恩寵と、人間の原罪を強調する一派だが、フレネルも、自分の才能を神からの贈り物と意識していて、これを自分のためでなくほかの人々のために使うべきだと考えていた。自分の使命を信じる信仰と、真理を追及する熱意がぴったり一致した、ぶれない人生だった
(2024年5月10日)



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