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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12月14日・ポール・エリュアールの詩心

2018-12-14 | 文学
「忠臣蔵」赤穂浪士の討ち入りの日、12月14日は、天文学者ティコ・ブラーエが生まれた日(1546年)だが、詩人ポール・エリュアールの誕生日でもある。

ポール・エリュアールは、1895年、フランスのパリの北、サン=ドニで生まれた。本名はウジェーヌ=エミーユ=ポール・グランデル。父親は不動産屋で、ポールが13歳のころ、一家はパリへ引っ越した。高等中学校の学生だった17歳のころ、結核にかかり、ポールはスイスのダヴォスにあるサナトリウムに入院した。そこでひとつ年上のロシア人少女ヘレナ・ドミトロヴニェ・ディアコノヴァと知り合った。ポールは恋に落ち、ヘレナのことを「ガラ」と愛称で呼んだ。二人はランボーやアポリネールなどの詩をいっしょに読み、ポールはガラへの愛をテーマにした詩をたくさん書き、18歳の年に処女詩集『最初の詩集』を自費出版した。
サナトリウムを退院した彼は、19歳で第一次世界大戦に召集され、従軍したが、軍の休暇中にガラと結婚。第一次大戦後は、アンドレ・ブルトンやトリスタン・ツァラたちのダダイスム運動に加わり、エリュアールが29歳のころ、ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を発表しシュルレアリスム運動をはじめると、これにも参加し、運動の機関誌である「シュルレアリスム革命」の編集にたずさわった。
妻のガラは、シュルレアリスム運動の仲間であるサルバドール・ダリと恋仲となり、エリュアールは35歳でガラと離婚した。
そのころ、ヨーロッパに高まってきたファシズムへの反対運動にポールは加わり、内戦中のスペインの村ゲルニカにドイツ軍の空爆がおこなわれると、詩「ゲルニカの勝利」を書いた。第二次世界大戦がはじまるとふたたび従軍し、除隊後はレジスタンス活動にはげんだ。エリュアールが作詞した反ナチス・ドイツの歌は印刷され、連合軍側の飛行機によって空からまかれ、レジスタンスの人々に広く愛唱された。
戦後はヨーロッパ各国を講演してまわり、抑圧からの解放と、人間愛をうたった詩を発表した。そうして1952年11月、心臓発作のため、パリのすぐとなりのシャラントン=ル=ポンで没した。56歳だった。

シュールレアリスト画家ダリの美神ガラの前夫はどんな詩を書いたのかしら、とエリュアールの詩を読んだ。表現が平易で、フランスらしい。洒落ている。たとえば……

「学校のノートの上
 勉強机や木立の上
 砂の上 雪の上に
 君の名を書く(中略)

 きらきら光る形の上
 色彩の鐘の響きの上
 自然界の真理の上に
 君の名を書く(中略)

 立ち戻った健康の上
 消え失せた危険の上
 思い出のない希望の上に
 君の名を書く

 一つの言葉の力によって
 僕の人生は再び始まる
 僕の生まれたのは 君と知り合うため
 君を名ざすためだった」(「自由」安藤元雄訳『フランス名詩選』岩波文庫)

(2018年12月14日)



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