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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月6日・フランシス・ライトの目論見

2024-09-06 | 歴史と人生
9月6日は、米国の社会事業家ジェーン・アダムズが生まれた日(1860年)だが、社会事業家で女性解放論者のフランシス・ライトの誕生日でもある。

 フランシス・ライト(Frances Wright)は、1795年、英国スコットランド東岸のダンディーで生まれた。家は布地の生産メーカーを経営していて裕福だった。
 小さいころから「ファニー」の愛称で呼ばれていたフランシスが三歳のとき、両親は巨額の遺産をのこして亡くなった。孤児となった彼女は、イングランドに住む母方のおばのもとに預けられ、そこでおばのフランス風の進歩的な考えの影響を強く受けた。
 18歳のときにははじめて本を書き上げた彼女は、23歳のとき、妹といっしょに米国に渡った。姉妹は主に東海岸の上流家庭を二年間にわたって見てまわって帰った。
 29歳のとき、ファニーはふたたび米国を訪問した。今回は南部ニューオリンズからミシシッピー川に沿いに各地を見てまわり、前回に見たのとはちがう米国の顔を目撃した。ファニーは、無料で誰もが入学できる学校の整備や、避妊の権利や職業の平等などあらぬる面での男女同権を訴える女性解放主義者だったが、このときの旅行で調査した米国の奴隷問題に大きな衝撃を受けた。
 彼女はいったん帰国した後、ふたたび渡米して、30歳のとき、テネシー州メンフィスの東に「ナショーバ・コミュニティー」を設立した。「ナショーバ」とは、土地のネイティブ・アメリカンのことばで「狼」の意味である。
 ナショーバは奴隷廃止と解放奴隷の自立を目的とする社会改革コミュニティーだった。
 白人がお金を払って、黒人奴隷をその所有者から買い取り、自由にする。黒人の解放奴隷は、白人といっしょにナショーバの農場で働きながら、読み、書き、そろばんを習い、自立するための技術を習得していく。そうしてお金がたまったら、またべつの黒人奴隷を買い取って解放し、仲間に引き入れる。そうやって、ねずみ算式に解放奴隷を増やしていけば、5年以内に全奴隷の自由が実現できる。この事業には当初、4万1000ドルの初期投資が必要で、50人から100人の解放奴隷が2000エーカーの農場で働きはじめれば、年間1万ドルの利益が上がるだろうと、ファニーはそろばんをはじいていた。
 しかし、実際にはじめてみると、資金が集まらず、奴隷を五人買い取る資金もなかった。
 さらに、解放された黒人奴隷たちは、ムチで打たれなくなったことは喜んだが、自立し生活していこうという意欲に欠け、しきりに仮病をつかって仕事をさぼった。
 ファニーはマラリアで倒れ、コミュニティーを離れた後、結局、ナショーバは創立3年で解散となった。35歳のファニー・ライトは、ナショーバにいた30人の解放奴隷を、カリブ海の国タヒチに送り届け、ナショーバのプロジェクトの任から降りた。タヒチはすでに世界初の黒人による共和国として独立していた。
 その後、ファニーは奴隷廃止論や教育、女性の権利獲得、医療、衛生面での社会改革を説く講演家となり、米国に「ファニー・ライト主義」ブームを巻き起こした後、1852年12月にオハイオ州シンシナティで没した。57歳だった。

ファニー・ライトのナショーバは短命に終わったけれど、その影響は絶大である。彼女の志は、米国でいまも脈々と受け継がれている。その革命的かつ楽観的な行動力は敬服に値する。彼女に比べ、ほとんどの人は、生まれたついでに生きているだけなのかもしれない。
(2024年9月6日)



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