9月5日は、版画家、棟方志功が生まれた日(1903年)だが、ロックバンド「クイーン」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーの誕生日でもある。
フレディ・マーキュリーは、1946年、東アフリカ・タンザニアのザンジバル島、ストーン・タウンで生まれた。本名はファルーク・バルサラ。両親はペルシャ系インド人のゾロアスター教徒だった。ザンジバルは当時英国領で、父親は会計係として働いていた。フレディは長男で、下にひとり妹がいた。
インドのムンバイ(ボンベイ)で育ったフレディは、寄宿舎のある学校に入り、英国式の教育を受けた。12歳のころには、学校でバンドを組んで、ロックンロールのカバーを演奏していた。そのころから彼は、ラジオで曲を聴くと、すぐにそれをピアノを弾いて見せることができたという。
彼が17歳のとき、一家は英国イングランドへ引っ越し、フレディはロンドンの高校をへて、アート・カレッジへ進み、グラフィック・デザインの課程を修了した。
カレッジを卒業後は、古着屋をやりながら、バンド活動をした。
23歳のとき、彼はギタリストのブライアン・メイ、ドラマーのロジャー・テイラーのバンドに加入。彼らはバンド名を「クイーン」とし、ボーカル担当の彼は名をフレディ・マーキュリーに変えた。ここに伝説のバンド「クイーン」が誕生した。
「クイーン」は俗語として「おかま、ゲイ」の意味もあって、英国では冷やかされたりしたが、音に厚みがあり、曲の展開が個性的で、高級感あふれる彼らの音楽は、まず極東の国、日本で人気を博し、それが本国英国にも飛び火する恰好で人気に火がついた。個性的な楽曲とライブパフォーマンスで、クイーンは世界的な人気ロックバンドとなった。
フレディは「キラー・クイーン」「ボヘミアン・ラプソディ」「愛にすべてを」「バイシクル・レース」「愛という名の欲望」といった斬新な楽曲を書く作詞作曲能力と、4オクターブの音域を歌いこなす歌唱力、そして個性的な風貌を個性的なコスチュームで包んだユニークなステージパフォーマンスでバンドを牽引した。
フレディ・マーキュリーは、HIVウイルスに感染し、45歳になったころから急に容態が悪化しだした。そして、1991年11月、エイズが原因となる気管支肺炎により、ケンジントンの自宅で死去した。45歳だった。
クイーンは中学生のころから知っていたが、ちゃんと聴き出したのは高校生になってからだった。楽曲はすべて聴いている。クイーンは、ほかのどのバンドともちがう、まさしく個性的なバンドだった。音楽は重厚で高級、この上なく芸術的。しかし、そのコスチュームはこの上なく異様で下品。とくにフレディの、からだにぴったりとはりつき、胸毛のはえた胸が大きくはだけた衣裳は、ひどく悪趣味だった。何十年もたったいま見ても、異常に感じる、それほど個性的で、つまりロックの方法論として王道を行っていた。
名曲「ボヘミアン・ラプソディ」はフレディ・マーキュリーの作だけれど、はげしく大きく変化していく展開が圧巻である。ステージに置いたグランドピアノの前にフレディがすわって、あの曲のはじめのところを、これ見よがしに手を高く上げ、左右交差させて弾きながら歌う姿がなつかしい。
(2024年9月5日)
●おすすめの電子書籍!
『ロック人物論』(金原義明)
ロックスターたちの人生と音楽性に迫る人物評論集。エルヴィス、ディラン、レノン、マッカートニー、ペイジ、ボウイ、スティング、マドンナ、ビョークなど31人を取り上げ、分析。意外な事実、裏話、秘話、そしてロック・ミュージックの本質がいま解き明かされる。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
フレディ・マーキュリーは、1946年、東アフリカ・タンザニアのザンジバル島、ストーン・タウンで生まれた。本名はファルーク・バルサラ。両親はペルシャ系インド人のゾロアスター教徒だった。ザンジバルは当時英国領で、父親は会計係として働いていた。フレディは長男で、下にひとり妹がいた。
インドのムンバイ(ボンベイ)で育ったフレディは、寄宿舎のある学校に入り、英国式の教育を受けた。12歳のころには、学校でバンドを組んで、ロックンロールのカバーを演奏していた。そのころから彼は、ラジオで曲を聴くと、すぐにそれをピアノを弾いて見せることができたという。
彼が17歳のとき、一家は英国イングランドへ引っ越し、フレディはロンドンの高校をへて、アート・カレッジへ進み、グラフィック・デザインの課程を修了した。
カレッジを卒業後は、古着屋をやりながら、バンド活動をした。
23歳のとき、彼はギタリストのブライアン・メイ、ドラマーのロジャー・テイラーのバンドに加入。彼らはバンド名を「クイーン」とし、ボーカル担当の彼は名をフレディ・マーキュリーに変えた。ここに伝説のバンド「クイーン」が誕生した。
「クイーン」は俗語として「おかま、ゲイ」の意味もあって、英国では冷やかされたりしたが、音に厚みがあり、曲の展開が個性的で、高級感あふれる彼らの音楽は、まず極東の国、日本で人気を博し、それが本国英国にも飛び火する恰好で人気に火がついた。個性的な楽曲とライブパフォーマンスで、クイーンは世界的な人気ロックバンドとなった。
フレディは「キラー・クイーン」「ボヘミアン・ラプソディ」「愛にすべてを」「バイシクル・レース」「愛という名の欲望」といった斬新な楽曲を書く作詞作曲能力と、4オクターブの音域を歌いこなす歌唱力、そして個性的な風貌を個性的なコスチュームで包んだユニークなステージパフォーマンスでバンドを牽引した。
フレディ・マーキュリーは、HIVウイルスに感染し、45歳になったころから急に容態が悪化しだした。そして、1991年11月、エイズが原因となる気管支肺炎により、ケンジントンの自宅で死去した。45歳だった。
クイーンは中学生のころから知っていたが、ちゃんと聴き出したのは高校生になってからだった。楽曲はすべて聴いている。クイーンは、ほかのどのバンドともちがう、まさしく個性的なバンドだった。音楽は重厚で高級、この上なく芸術的。しかし、そのコスチュームはこの上なく異様で下品。とくにフレディの、からだにぴったりとはりつき、胸毛のはえた胸が大きくはだけた衣裳は、ひどく悪趣味だった。何十年もたったいま見ても、異常に感じる、それほど個性的で、つまりロックの方法論として王道を行っていた。
名曲「ボヘミアン・ラプソディ」はフレディ・マーキュリーの作だけれど、はげしく大きく変化していく展開が圧巻である。ステージに置いたグランドピアノの前にフレディがすわって、あの曲のはじめのところを、これ見よがしに手を高く上げ、左右交差させて弾きながら歌う姿がなつかしい。
(2024年9月5日)
●おすすめの電子書籍!
『ロック人物論』(金原義明)
ロックスターたちの人生と音楽性に迫る人物評論集。エルヴィス、ディラン、レノン、マッカートニー、ペイジ、ボウイ、スティング、マドンナ、ビョークなど31人を取り上げ、分析。意外な事実、裏話、秘話、そしてロック・ミュージックの本質がいま解き明かされる。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます