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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月10日・スキャパレッリのアート

2024-09-10 | 芸術
9月10日は、思想家ジョルジュ・バタイユが生まれた日(1897年)だが、ファッション・デザイナー、エルザ・スキャパレッリの誕生日でもある。

エルザ・スキャパレッリは、1890年、イタリアのローマで生まれた。父親は言語学者で、母親は貴族の娘だった。コリシーニ宮殿と呼ばれる大きな屋敷で育ったエルザは、高価な書物や美しい絵や彫刻に囲まれて生活していたが、それほど幸福な少女ではなかった。男の子を望んでいた父親は、女の子どもの相手をせず研究に没頭し、母親は娘が美しくないことに失望し、育児を放棄していた。子どものころ、エルザは自分をみにくいと感じ、美しく飾ろうと、自分の耳や鼻に花の種を植えて窒息しかけたことがあった。
家にある膨大な蔵書や芸術品、異国の品々によって教養と美的センスを身につけたエルザは、24歳のとき英国ロンドンに留学した。
そのロンドンで意気投合した伯爵と結婚し、米国へ渡り、2人のあいだには女の子が生まれた。が、米国の自由な空気に触れた妻と、神秘家の夫はしだいにすれちがいだし、2人は離婚した。一文なしの子連れママとなったエルザ・スキャパレッリは、フランス・パリへもどり、洋服のバイヤーとなり、娘を養った。友人のために自分がデザインして作った服が、ファッションデザイナー、ポール・ポワレの目にとまり気に入られ、彼の支援を受けて、服のデザインを本格的に手がけるようになった。
35歳のとき、自分の店をオープン。37歳で初のコレクションを発表した。
ニットに襟やリボン、あるいはネクタイを編みこんで、リボンやネクタイを結んでいるように見えるだまし絵風のセーターや、蝶やトンボなど昆虫をあしらった奇抜なドレス、指先の爪にマニキュアが塗られた手袋など、意表をつく、ユーモアのある彼女のデザインは、欧米ですばらしい人気を博した。

スキャパレッリはファッションに遊び心と芸術性を求め、自分の意図を編み物職人に伝え、バトンを渡した職人に後は任せた。貴族階級の華やかな色彩の調度品や芸術品に囲まれて育った彼女は自分の方法論をデザインの工房に生かした。

スキャパレッリは、詩人のジャン・コクトーとコラボレーション作品を発表し、前衛芸術家のサルバドール・ダリともコラボレーション作品を作った。

戦前のファッション界に黄金時代を築いたスキャパレッリは、第二次大戦中は米国へ避難し看護などを手伝っていた。そして61歳のとき、高級服店を閉め、64歳でファッション界から完全に引退した。以後の人生を、家族との生活を楽しんで生きた。そして晩年に自伝を書き、1973年11月、パリの自宅で没した。83歳だった。

女性のファッション界では、1920年代はシャネルの時代と言われ、1930年代はスキャパレッリと言われる。2人のライバルは競争心を燃やして闘ったが、この時期、ヨーロッパでもアメリカでも、ファッション界ではスキャパレリのほうが人気があり、優勢だった。ハリウッドでも、ジョーン・クロフォードやグレタ・ガルボがスキャパレッリを着た。

コレクションにテーマという概念をはじめて持ちこんだのはスキャパレッリだった。
スキャパレッリは、ファッション・デザイナーというより、服飾の芸術家だった。
これほど大胆奔放に服をデザインした人は空前絶後である。
(2024年9月10日)



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