1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月21日・ヴォルテールの栗

2017-11-21 | 思想
11月21日は、シュルレアリスムの画家、ルネ・マグリットが生まれた日(1898年)だが、仏国の思想家、ヴォルテールが生まれた日でもある。

ヴォルテールは、1694年、仏国のパリで生まれた。本名は、フランソワ=マリー・アルエ。父親は商人だったが、後に会計院の役人となった。
イエズス会の学校で教育を受けたフランソワは、十代のころからさかんに詩集を出版したり、恋愛事件を起こしたりしていた。
22歳のとき、当時の摂政を風刺する文書『わたしは見た』を発行したかどで、逮捕され、バスチーユ監獄に入れられた。この獄中で戯曲『エディプ』を書き、釈放後の24歳のときにこの悲劇が舞台にかかるや、ロングランを記録する大ヒットとなり、彼は一躍成功した劇作家となった。彼はこのころから「ヴォルテール」というペンネームを使いだした。
悲劇や喜劇をつぎつぎと書いては、上演していた流行劇作家ヴォルテールは、31歳のとき、劇場で会った貴族と口げんかをしたのが発端となって、その貴族に襲われるという事件に見舞われた。ヴォルテールは貴族と決闘を望んだが、相手側が先手を打って官憲に手をまわし、平民のヴォルテールはまたもや逮捕、バスチーユに投獄された。
亡命を条件に出獄したヴォルテールは、英国へ渡り、かの国で約3年間を過ごした。
33歳のとき、フランスへもどり、ふたたび演劇作品を書いてヒットを飛ばした。
38歳のとき、『哲学書簡』を英訳版で発表。これは手紙形式の文明批評で、宗教、科学、哲学を論じ、英国と仏国の文化、習慣を比較し、仏国の蒙昧ぶりを痛烈に批判した内容だった。これが本国フランスに逆輸入されて仏語版が出ると、たちまち禁書処分となり、あちこちで彼の本は栗のように焼かれた。出版者は投獄され、ヴォルテールは逃げた。
40歳のころ、パリにもどった。
52歳のとき、賭けカードゲームの席で勝ちつづけていた王族をうっかり「いかさま師」呼ばわりして不興を買い、ドイツへ逃亡した。ドイツではしばらく厚遇されていたが、58歳のころ、王の機嫌を損ね、スイスへ渡った。
その後、ヴォルテールは、ディドロらの『百科全書』に関わり、小説『カンディード』を書き、64歳のころ、仏国内の、スイス国境に近いフェルネーに土地を購入して住んだ。
82歳のとき、パリへもどり、1778年5月、パリで没した。83歳だった。

ヴォルテールは、揺りかごのなかで詩を作ったといわれ、ゲーテ、ライプニッツ、パスカルらと並んでIQがトップクラスの天才とされる。
この天才はあちこちの王さまとぶつかり、投獄と亡命を繰り返した反骨精神あふれる知性で、知性を麻痺させて長いものに巻かれる生き方を潔しとしなかった。
彼は自分の著書が焚書にされると、こう言った。
「うれしい。わたしの本は栗と同じで、焼けば焼くほどよく売れる」

ヴォルテールの『カンディード』『哲学書簡』などを読んだ。沈着冷静な皮肉とエスプリのきいた文体。そして、文章に底流する熱い批判精神に打たれた。

ヴォルテールの時代は「最も開明された世紀」だったとアナトール・フランスが言っている(『知性の愁い』)。現代日本に必要なのは、ひとりのヴォルテールかもしれない。
(2017年11月21日)



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