1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月18日・ジョージ・ギャラップの演繹

2017-11-18 | ビジネス
11月18日は、オペラ『魔弾の射手』を書いた作曲家、ヴェーバーが生まれた日(1786年)だが、調査実務家ジョージ・ギャラップの誕生日でもある。

ジョージ・ホレース・ギャラップは、1901年、米国アイオワ州ジェファーソンで生まれた。父親は酪農家だった。
アイオワ大学の学生時代、ギャラップはフットボール選手として活躍し、大学新聞の編集者でもあった。大学を卒業し、20代のころからあちこちの大学を転々としながらジャーナリズムを教え、30代に入ると、ニューヨークのコロンビア大学で教鞭をとりながら、広告会社の調査部門を率いて働くようになった。
34歳の年に、自分の調査会社を興し、そちらに力を注ぐため、大学を辞めた。
1936年、ギャラップが35歳になるこの年は、世界恐慌が尾をひく不況の年であり、大統領選挙の年だった。大統領選は、民主党は2期目を目指す現職大統領、フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト、共和党からはカンザス州知事のアルフレッド・ランドンが出て、両者の一騎討ちとなった。
この選挙の際、大手週刊誌が大金をかけた大規模アンケートをおこない選挙結果の予想を大きくはずしたのに対して、新参者のギャラップが、すくない対象人数の調査結果から結果を当て、ルーズベルトの再選を予想した。これがギャラップの大躍進につながった。
以後、「ギャラップ調査」は調査の主流となっていく。
ジョージ・ギャラップの調査会社は躍進、発展し、彼は46歳のころには、世界的な調査をおこなう国際組織を立ち上げるまでになった。
ギャラップは、1984年7月、夏を過ごしていたスイスの別荘に滞在中、心臓発作により没した。82歳だった。

選挙のとき、出口調査から候補者の当落を予想する「ギャラップ調査」は有名である。最近では逆を行って、あえて調査対象を選ばない無作為抽出法が用いられるとも聞く。

その昔、デヴィッド・ボウイが、インタビューに際して、どうしてそうやって世界で起きていることに敏感でいられるのか、と問われ、こういう意味のことを答えていた。
「わたしがわかることなんて、こうやって自分が両手を広げた幅くらいの範囲しかない。この幅から類推して、すこし広い範囲のことを考え、それを重ねていって、社会全体を理解しようとしているだけだ」と。
 ボウイの方法は、ギャラップに通じる。
 それにしても、世の中の人たちは、どうやって社会を理解しているのだろう? ちゃんと自分の両手を広げて、そこから考えているだろうか? マスメディアや誰かが言ったことを鵜呑みにして、よしとしていないだろうか?
(2017年11月18日)


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