1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月15日・ウィリアム・ハーシェルの烈

2017-11-15 | 科学
11月15日は、七五三。この吉日は、幕末の風雲児、坂本龍馬が生まれた日(天保6年11月15日)だが、天文学者ウィリアム・ハーシェルの誕生日でもある。天王星の発見者である。

ハーシェルは1738年、ドイツのハノーファー(英語読みでハノーバー)で生まれた。ハーシェルは英語名で、生まれたときの本名は、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヘルシェルといった。父親は音楽家で、ハノーファー親衛隊の軍楽隊のオーボエ奏者だった。
18歳のとき、ヴィルヘルムは父親といっしょに英国へ旅立った。
英国へ渡ったヴィルヘルムは、英語名、フレデリック・ウィリアム・ハーシェルとなった。ハーシェルは、地方の軍楽隊に入ったり、演奏会を開いたり、音楽の家庭教師をしたりし、経済的に困難な時期を乗り越え、28歳のとき、イングランド西部にある音楽の街、バースの教会のオルガン奏者に就任した。
バースを本拠地に、ハーシェルは精力的に動きまわって演奏会を開き、家庭教師をし、公式行事で演奏し、とハードワークを重ねて大成功をおさめた。彼の成功に刺激されて、モーツァルトやハイドンもバースへやってくるようになった。
ハーシェルは22歳のころから作曲をはじめ、44歳までに24の交響曲のほか、数多くの曲を書いた。そして、やがて音楽のかたわら、天文学に打ち込みだした。
演奏会のないオフシーズンを利用して、自分で天体望遠鏡を試作しだし、しだいに音楽よりも望遠鏡作りと天体観測のほうに力を入れるようになっていった。
ハーシェルが78歳までに作った望遠鏡の数は二千を超すという。2・1メートル、3メートル、6メートルの長さの望遠鏡を数百本作り、最長のものは長さ12メートルあった。
作った望遠鏡で37歳のころから観測をはじめ、42歳だった1781年3月13日、未知の暗い星を発見した。これが太陽系の七番目の惑星だった。それまで二千年以上ものあいだ、太陽をまわる惑星は六つだった。そこへもたらされた「天王星」の大発見だった。
ハーシェルは、43歳のとき、完全に音楽をやめて、天体観測と望遠鏡製作に没頭するようになった。彼は自分が製作した望遠鏡を、グリニッジ天文台へ運び込み、自分の望遠鏡がグリニッジのものよりはるかに性能がいいことを示した。それが縁で国王に招かれ、王室付天文学者となった。
「王家の人びととの交際は、いつも楽しいとは限りません。私には鏡を磨いているほうが性に合っています。……グリニジの器械で見えない二重星が、私の七フィートでらくに見えたときほど、うれしかったことはありません。」(斉田博『近代天文学の夜明け ウィリアム・ハーシェル』誠文堂新光社)
彼は観測を続け、多くの論文を書き、ロンドン天文学会の会長を務めた後、1822年8月に没した。83歳だった。

ハーシェルは、中世的な思考から抜け出ていた近代人で、宇宙は人間のために創られたものではないと考えていた。で、ここがおもしろいのだけれど、ならばすべての星に生命体がいるはずだと、太陽や月にもきっと生き物が住んでいると推論していた。
凡人の思考ではない。音楽と天文学と望遠鏡製作と、何人分もの偉業をなし遂げた猛烈型の天才ハーシェルであれば、そう考えても不思議はない。そう、きっと、太陽や月にも生き物がいるのだ。そう信じて突き進みたい。
(2017年11月15日)



●おすすめの電子書籍!

『科学者たちの生涯 第一巻』(原鏡介)
人類の歴史を変えた大科学者たちの生涯、達成をみる人物評伝。ダ・ヴィンチ、コペルニクスから、ガロア、マックスウェル、オットーまで。知的探求と感動の人間ドラマ。


●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする