1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2月6日・ボブ・マーリーの希望

2016-02-06 | 音楽
2月6日は、映画監督のフランソワ・トリュフォーが生まれた日(1932年)だが、レゲエ音楽の神さま、ボブ・マーリーの誕生日でもある。

ボブ・マーリーは、1945年、ジャマイカのナイン・マイルで生まれた。出生時の本名は、ロバート・ネスタ・マーリー。父親は白人のヨーロッパ系ジャマイカ人で、プランテーションの監視役。母親は黒人のアフリカ系ジャマイカ人だった。
父親は妻子と離れて暮らしていて、めったに顔を見せなかった。
ボブが10歳のとき、父親が没し、12歳のとき、ボブは母親とともに、首都キングストンのスラム街であるトレンチタウンへ引っ越した。
音楽に熱中していたボブは、14歳で学校をやめ、18歳でバンドを結成してデビュー。21歳で結婚し、25歳のときに自分のスタジオ、レコード・レーベルをもった。
そのころからボブ・マーリーのレゲエ・ミュージックに西欧のロック・ミュージシャンたちが注目しだし、マーリーが27歳のとき、英国のスター、エリック・クラプトンがマリーの楽曲「アイ・ショット・ザ・シェリフ」のカヴァー・ヴァージョンを出し、これが全米ナンバーワンヒットとなり、ボブ・マーリーとレゲエ音楽は一気に世界に広まった。
マーリーは世界をツアーしてまわり、ジャマイカ国内では、その絶大な人気によって政界にも強い影響力をおよぼした。
足の指にできたガンがもとで、マーリーは1981年5月、米国フロリダ州のマイアミで没した。36歳だった。ジャマイカでは国葬がおこなわれた。

マーリーの「ノー・ウーマン・ノー・クライ」を聴くと、なぜだか涙しそうになる。トレンチタウンで苦しい今日を生きながら、未来はきっとよくなるから、さあ、涙をふいて生き抜こうというような歌詞は、自分のために書かれたと感じてしまう。

昔「ジュリー」沢田研二が主演した長谷川和彦監督の名作「太陽を盗んだ男」を見た。映画のなか、高校教師のジュリーが原発からプルトニウムを盗み出し、小型原爆を自作するのだけれど、アパートの自室でついに原爆が完成したとき、ジュリーはボブ・マーリーの「ゲット・アップ・スタンド・アップ」を大音響で流し、歓喜に踊り狂う。美しい感動的なシーンだった。映画館を出たその足でレコード屋に行き、ボブ・マーリーをさがした。

ボブ・マーリーは、ラスタファリ思想の信奉者だった。ラスタファリは、アフリカ回帰主義で、マリファナを神聖視し、髪をドレッドヘアーに編む自然食主義者である。この思想のために、マーリーはガン患部を切除する外科手術を拒否し、ガンが全身に転移した。
「起き上がれ、自分の権利のために立ち上がれ。闘争をあきらめてはいけない」
と歌う「ゲット・アップ・スタンド・アップ」も、ラスタファリの思想が反映されている。
この歌を聴くと、強く心を揺さぶられる。
「レゲエって、最高だよね」
と言った女性の友人がいたけれど、まったく彼女の言う通りである。
(2016年2月6日)


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