1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2月15日・チャールズ・ティファニーの洗練

2016-02-15 | ビジネス
2月15日は、米国の女性解放運動家スーザン・アンソニーが生まれた日(1820年)だが、米国の実業家、チャールズ・ティファニーの誕生日でもある。ティファニー宝石店の創始者である。

チャールズ・ルイス・ティファニーは、1812年、コネティカット州キリングリーで生まれた。ティファニー家は、17世紀にマサチューセッツの入植地へやってきた移民の子孫で、チャールズの父親は、綿製造会社の経営者だった。
15歳のころから父親がもっていた小さな雑貨屋の手伝いをしていたチャールズは、25歳のとき、父親から1000ドルを借りて、友人とともに、コネティカットのとなりであるニューヨークに文房具などを扱う小さなギフトショップをはじめた。開店当日の売り上げは、4ドル38セントだったという。それでも、ティファニーは店を続け、しだいに扱う商品は、ガラス製品、磁器、食器、時計、貴金属などと増えていった。
彼が30歳になるころには、店はボヘミアン・グラス製品などの最高級品のみを扱う店としての評判を獲得していた。ティファニーの店は商品を扱うだけでなく、製造にも乗りだし、ガラス工芸品や貴金属を使った装身具を洗練されたデザインで作った。
38歳のときに仏国パリに支店を出し、そのころ、店の名前を「ティファニー・アンド・カンパニー(ティファニーと仲間たち)」とし、56歳のとき、英国ロンドンにも支店を出し、ニューヨークの店は5番街へ進出した。
発明王のトマス・エディソンと組んで、ブロードウェイの劇場の照明を整備したり、メトロポリタン美術館の経済的後援者となったりした後、1902年2月、ニューヨーク市マンハッタンのすぐ西にあるヨンカーズで没した。90歳の誕生日を迎えた3日後のことだった。

比較的安価なものしか買わない自分は、およそ上客ではないのだけれど、ティファニーは接客や包装がていねいで、よい印象以外のものを受けたことはない。

ティファニーのガラス工芸品は、アルーヌーヴォー時代の作品で有名だけれど、やはり、ティファニー宝石店の名を世界的に有名にしたのは、トルーマン・カポーティの小説『ティファニーで朝食を』であり、オードリー・ヘップバーン主演の同名映画(1961年)にちがいない。ヘップバーンが5番街のティファニーのショーウィンドウをのぞきこむシーンは映画史上に残る名場面である。

ティファニーが売ったのは、高級な宝石や貴金属製品だけれど、いちばんの創造は、その雰囲気である。あの独特の青いティファニー・カラーと、余計なものをいっさい省いたシンプルなデザイン。お客はみな、商品を買いに行くのでなく、商品がまとっている気分を買いに行くのだ。ティファニーの商品をもつ、その気分がお客はうれしいのである。

オードリー・ヘップバーンが亡くなったとき、ニューヨーク、パリ、ロンドンの各ティファニー宝石店は、ショーウィンドウにヘップバーンの写真と、
「わたしたちのハックルベリー・フレンド、オードリー・ヘップバーン、1929-1993」
というだけの短いメッセージを掲げた。この簡潔さの粋。
(2016年2月15日)



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