goo blog サービス終了のお知らせ 

時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

西条市~松山市

2014年11月19日 | フィールドワークから

一昨日、名古屋での授業が終わってその足で西条へ、到着は24:00近く。明くる日の昨日、西条市・大町地区の3人の方に会っていただきました。お隣の新居浜にいくと、アクセント体系の境界線(中央式/讃岐式)があるはず。だからやっぱりここは中央式でしたが、なにやら境界が近い雰囲気が漂ってきた気も。また足を運ぶ必要がありそう。

四国最高峰、石鎚山を背に抱くここは、湧水が豊富らしくて、じっさい、市内のちょっとした用水も水がとてもきれいでした。

さて今日、西条市から山を越えた東温市で調査なので、松山市泊。先週末、ここ松山の愛媛大で言語学会があったのにそれには行かず、今来ているとは間抜けですが、今週は明日そのまま関東の授業に行くので、月~金ずっと家を空けることになる。両方はちょっと無理ということで、あきらめました。

昨日の夕方、道後温泉周辺を走ってみましたが、たしかに豪華絢爛というかんじ。温泉に入るのは、風呂好きの家族と来たときにします。さいきん、『千と千尋...』を観るようになった娘はよろこぶかもしれません。

西条市・小松地区

2014年09月21日 | フィールドワークから
先週の木曜日、今回の愛媛調査の最後は、西条市、旧小松町地区。この地にあった小松藩は、小藩ながら改易なく江戸時代のほとんど続いたこともあり、残された「会所日記」の一部の内容を基にした新書が出版されるほど豊富な文献が遺されているそうですが(『伊予小松藩会所日記』集英社新書)、古文書はまだまだある。今回、調査のお世話をしてくださった公民館の館長は元図書館長で、その解読作業や人材育成などについて、お話をうかがうことができました。写真は、公民館のすぐとなり、その小松藩が招聘した朱子学者、近藤篤山旧邸、ってすべてこの調査で知ったんですが。



お会いした3人の話者のうちお一人が、小松町の南の山中の石鎚地区出身、急激な過疎化(→こちら)でほぼ廃村(現在、一世帯だけとの話)となる前までそこにいらしたという方。この方だけ、他のお二人と違う特徴が見られたようなのは、年齢のためか、地域的なものか、(あるいは気のせいか)、今後の調査で明らかにしたい。

14:57の予讃線で帰途に。なんとか誕生日を迎えた娘が眠る前に帰宅(これを逃すと次は16:29)。多くの方々のご厚意のおかげで、とても楽しい三日間の調査でした。


旧波方町 と 調査あと

2014年09月17日 | フィールドワークから
二日目、今治市のうち旧波方(なみかた)町で調査。ここまで今治の島嶼部を調べてきましたが、ここは四国本土でその島々にいちばん近いところ。役場のある樋口(ひのくち)、漁業の小部(おおべ)、海運業の波方、の三地区からお一人ずつお会いできました。

今治駅前に戻って5時だったので、泊まったホテルで貸してくれる自転車で、Texport今治(こちら)へ。下の写真はその途中にある今治城。堀に海水を引き入れている珍しい城という話を大下島調査のときにうかがいましたが、実際、そばを通ると磯の香りがします。



帰り道に通った商店街、やはり閉店した店も多い。その中のひとつが下のタバコ屋。われわれの世代には聞き覚えのあるフレーズですが、こういう肯定的な宣伝文句は、今や使えない? 調査は楽しい時間ですが、頭をフルに使ってぐったり疲れる面もある。のんびり自転車で風に吹かれて、いい気晴らしでした。



ふたたび愛媛へ 伯方島

2014年09月16日 | フィールドワークから
昨日からまた愛媛の言語調査に。福山で新幹線を降り、「しまなみライナー」で最初の調査地、伯方島へ。製塩業が知られているけど、この島の工場はもう古くて、現在、生産のほとんどは新しい工場が建ったお隣の大三島。だから、「伯方の塩」を買うと、製造地はそっち。就業者数でいうと、多いのはむしろ造船業だそう。写真は、大三島からこの島に渡る途中に見える、伊方(いかた)地区の熊口港。



調査のあと、一時間に一本のバスを逃したので、バスストップ近くの叶浦(かのうら)のビーチを散歩、地元の女の子たち三人だけが遊んでました(写真左手奥)。



それを遠めに見る怪しい男の影。さきほどの写真上の橋を渡っていくと、となりの大島。



お会いした三人とも東京式アクセントでしたが、それを指摘すると「東京!?」と驚くようす。「今治と違う」ことは分かるようでしたが、ここで暮らす自分たちのことばを東京とは結びつけにくい、ということでしょうか。話者はみんな、島の北の「北浦」地区出身の方でしたが、嫁ぎ先が有津(あろうづ)、叶浦といろいろだったし、調査地の木浦(きのうら)公民館周辺の方もいて、その方たちもみんな会話からうかがえるかぎり東京式。この島には中央式(いわゆる京阪式)の地域はなさそうと、とりあえず推測されました。以前は、婚姻もほぼ集落内で、いとこ同士の結婚も珍しくなかった。他の地域との結婚が始まったのは昭和40年代以降、と記憶してらっしゃるそうで、島のことばの独自性の保持(とその消失)への影響が考えられそうです。



三重調査3&4 桑名・朝日町

2014年09月10日 | フィールドワークから
月曜日は桑名市へ。お一人目は、今回の調査ではじめて、市役所職員ではなく、大正13年生まれの90歳。とてもお元気で、アクセントを含む全ての項目を教えていただきました。お二方目も84歳、こんどは、いきなり昔の話が始まってとぎれるようすがないので、こちらの調査票にそった進行はあきらめ、そのお話を録音させていただくことに変更。

旧桑名城下の仕立て屋の娘に生まれ育ったというこの方、10歳前後の頃、店員がお得意先に行くのについて行って、ツケの支払いの督促を(子供が言えば角が立ちにくいので)引き受けていた話など、じつに生き生きと語ってくださり、たいへん貴重な自発発話データが得られました。最後の方は30代で、先行研究から、東京式アクセントも予想されましたが、(既報告のある新しい変化をこうむった)京阪アクセント。

次の火曜日、お隣の朝日町へ。こちらは20代と40代。桑名同様、東京式アクセントが聞かれる可能性も考えられましたが、いずれも京阪式アクセント。朝日町は住宅開発のため近年人口が急増したそうですが、名古屋まで遠くないこともあって名古屋方面からの移住も多かったそうで、世代を経るごとに愛知の影響が強まる可能性が高そうですが、今回の調査の範囲では、京阪式を保持する若い人もけっこういる印象。

これで今回の三重調査は終了。雨の亀山に始まり、最後は快晴。学生たちは初めての経験でしたが、企画~準備~依頼~実際の調査まで、がんばってよくこなしました。



今回も、調査への協力を引き受けてくださった方々から、こちらが気づいていない文献をご提供いただきました。鈴鹿市生涯学習課長からいただいたのは、「他地域出身の市職員が、鈴鹿の方言に戸惑うため、学習用に」と作った方言集。「半分遊び」とのお話ながら、かなりの語彙を収録した立派なもので、各地にこういう資料はまだまだあるのでしょう。こちらの希望日に合わせて日程や人を調整するという無理を受けれいてくださったことにも感謝。若い人たちを支援しようという教育的なご配慮と、地域の文化としてのことばの記録・研究に協力しようというお気持ちなのだろうと。まもなく始まる後期の授業で持ち帰ったデータを整理・分析しますが、このご厚意に応えられるよう努力しなければなりません。

三重調査2 鈴鹿

2014年09月07日 | フィールドワークから

金曜日は亀山のおとなりの鈴鹿市へ。庁舎が豪華! 調査に使わせてくださったのは写真の会議室。11階。窓から伊勢湾越しに知多半島を望める。

この日の3名は20歳代から50歳代で、ことばの個人差も大きく、そのせいもあってこちらの質問等に対する話者の反応も大きく異なり、前日より難しい対応を要求されました。お昼休み、調査項目の構造や調査方法の見直しを相談してくるメンバーも。前期の授業で、『ガイドブック方言調査』という教科書を読んだとき、よく言われる「最良の調査票は調査後に完成する」というフレーズも目にしているはずですが、そういうことは経験して初めて判るもので、二日目でこの自覚に至れたのだから、かなり幸運でしょう。

鈴鹿はサーキットくらいしか知りませんでしたが、今回、歌人の佐佐木信綱の出身地だったと知りました。調査に協力してくださった文化課は、この方の記念館の運営などに携わっているらしい(こちら)。学部時代、NHK短歌の選者もしていた、孫の幸綱先生の授業に出たことがあります。話は面白かったという印象は残っているものの、具体的には何も思い出せません。。。

吉野川

2010年07月21日 | フィールドワークから
徳島・東みよし町の調査は、たいへん協力的な6人のみなさんのおかげで無事終了。調査の会場としてお借りした中央公民館は、土讃線が吉野川の北側の急斜面を、下り勾配があまりに急にならないよう斜めに下り、こんどは吉野川の対岸へ渡るために90℃ほどぐるりと向きを変える、ちょうどその曲がった部分に囲まれるように位置しています。写真は、その線路をまたぐ橋の上から撮ったもの。写真の奥が吉野川。

2年前に池田を訪れたときは、かなり深刻な水不足でしたが、今年は梅雨でかなりまとまった雨量が得られたそうで、池田ダムも水量豊富。緑色の水を深く湛えてきれいでした。

(↓ つづく)

高速バスで大阪へ

2010年07月21日 | フィールドワークから
他に交通手段が見つからず、東みよし町公民館までは往復ともタクシー。こういうとき研究費がありがたい。帰りのタクシーのドライバーさん(これまたベタで方言)に教わって、電車ではなく、高速バスで大阪へ行くことにしました。地域の様子を教えてもらおうと、その他いろいろ質問していたら、途中で黙られてしまいました。あまり話しかけられるのは好きじゃないのか、私の態度が何か悪かったのか… 

阿波池田駅から300mほどのところにあるバスターミナルは、日本たばこの工場跡地にあるショッピングモールの一角にあります。ローカルバスも、高速バスもここから出る。日本たばこの撤退は、この辺りの町村の経済には大きな打撃だったらしい。バスターミナルの一角には観光案内の横にノックする池田高校、故蔦監督の写真。

4:30発車の阪急バスで大阪へ。いつもどおり、瀬戸大橋から瀬戸内海に浮かぶ島々を眺めるのもすばらしいのですが、何度も往復してるので気分が変わってよかった。吉野川沿いを下り、淡路島から神戸に抜け、さらに、夕暮れの神戸~大阪湾岸ルートを走る。そして午後9時過ぎ、やっと翌日調査予定の大阪・岸和田市に到着。○パホテルの社長さんの写真が迎えてくれました。強烈・・・

(↓ つづく)

岸和田市調査で終了

2010年07月21日 | フィールドワークから
そして翌日、岸和田で調査。これも順調に終了。今回の日本滞在で香川県高瀬町、財田町、徳島県三好町(いずれも旧町名)、大阪府岸和田市の4市町、15人からデータが得られ、短いわりに濃密なフィールドワークになりました。こころよくご協力くださった、各市町村の教育委員会のみなさん、話者になってくださった地域のみなさんに感謝いたします。

写真は、南海線、岸和田駅で撮ったもの。痴漢抑止のメッセージ、やっぱり方言のほうが伝わるのか、共通語じゃキツすぎるのか。大阪みやげに、定番の蓬莱の豚まんを頼まれていたのですが、新幹線コンコース内に入ってしまってから、中にはないことに気づくミス。駅員に頼んで出してもらって、なんとか買ってくることができました。戻った多治見は、身の危険を感ずるほどの暑さ。Bloomingtonも今夏は暑いようですが、せいぜい32℃くらいで、よほどマシ。もうすぐ帰れるのでホッとしてます。

(おわり)


徳島・池田へ

2010年07月19日 | フィールドワークから
調査のお願いをしていた徳島県・東みよし町から先日、返事をいただき、話者になってくださる方を調整をしてくださったとのこと。私の帰国前に間に合うよう、急いでくださったようで、たいへんありがたく、明日の調査のため、徳島県にきました。宿泊地はお隣の三好市、池田町。ここに訪れるのは3度目、宿泊は2度目。駅を出ると写真のように、たくさんの風鈴が迎えてくれました。小学校か幼稚園のお子さんの作品らしい。一つ一つに(七夕の?)願いごとを書いた短冊がつけてありました。梅雨明け直後の蒸し暑さでしたが、この風鈴の音でちょっと涼を得られました。

宿泊してるのは、いちおうビジネスホテルですが、フロントの人、風体はたんなる地域のおっちゃんで、駅から車での出迎えを頼む電話をかけると、「ほんなら、いきますけん」とベタに方言。インターネットのケーブルを頼んだら「貸しますけど、故障しとって、たぶんつながらんと思います」。おいおい、しっかりしてくれ。実際には、つながりましたが(おっちゃんが故障だと思い込んでるだけらしい)。

(↓ つづく)