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時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

体重計

2012年03月06日 | 
先日の夜、仕事をしていたら、娘が二階へドドドッと駆け上がる音。「ごめんね」と謝りながら追う嫁さん。
??? 二人は風呂に入っていたはず。事情をきいてみると以下のとおり。

お風呂のあと、着替えも終わり、娘は最近よくやるように体重計に乗っていた。で、嫁さんが「あ、増えてるね、髪が濡れてるからだ」。そのあと、面白がるのではと(もちろん、そもそも湯冷めしないように)、「髪を乾かせば減るよ、ふいちゃえー」とバスタオルでゴシゴシ。すると娘はなにやら言っていたが、よく聞き取れなかった。実は「やめてー」と言っていて、ふき終わると、「かえでは大きくなりたいのに体重を減らさないで!」とお怒り。謝ったけれども時すでに遅く、嫁さんをふりほどいて階段を駆け上り、二階手前の階段に腰掛けていじけていたそうです。体重が増えたといわれて、喜んでたんだ。。。

娘いわく、「『まいん』ちゃんのように大きくなりたいの」。これはNHK・Eテレの「クッキン・アイドル アイ! マイ! まいん!」(→これ)の主人公のことで、うちの娘の憧れ。料理の手伝いをしてる時は、本当の名前で呼ばれるのを拒否して、「まいんちゃん」と呼べと言うほど。わたしは、まいんちゃんのように大きくなりたい、体重を減らすようなことしないで! という言いぶん。

つきあってたまに観るので、私にも「まいんちゃん」はおなじみ。かわいい女の子だとは思うのですが、あれは痩せすぎでは。想像ですが、彼女はもうアイドル意識十分で、昨今の日本女性のやせobsessionにすっかり取り憑かれているように見えます。あれが憧れ~目標になって、小学生のうちからあんなにガリガリになろうとするのだとすると、それはちと好ましくないような。でも、彼女に憧れてる一人であるうちのおちびさんは、まだ今のところ逆に体重を少しでも増やしたいようです。

曲がれ! スプーン

2012年02月01日 | 
日本に帰ったら観たい、と思っていた映画がいくつかあって、少しずつ、娘が寝たあと、嫁さんと二人で観ています。表題の映画を借りてみた理由はというと、2009年冬の調査で、映画の舞台の善通寺市の隣りの琴平を拠点としたときに、滞在したホテルにロケ地マップがあって(ここからダウンロード可)、調査でレンタカーを借りた日についでにいくつか寄ってみたりもしました。その後、家族で調査地にお礼めぐりをしたときも連れて行ったので、知ってるところが見られるかな、という軽い理由。映画を観て、ロケ地を訪ねる、の逆。

琴平から旧詫間町方面に調査に行った帰り、立ち寄ろうと思い立った理由が、ロケ地の一つに、お好み焼きの「楓ちゃん」という、うちの娘と同じ名前のお店を見つけたこと。ただし、うちの娘(かえで)のようには読まず、「ふうちゃん」。店主のお孫さんのお一人が、「楓」の字を使う、「ふうか」というお名前だからだそうです。めちゃめちゃ有名、というわけではないし、ロケに使われてはいませんが、市役所近くのセルフうどん「こがね製麺所」も、食べた範囲の讃岐うどん店では、上位。映画はというと、おバカな話だけど、我々は笑えました。上記のようなきっかけでもなければ好んで観ようとは思わないけれど、嫌いじゃないです。

でも、個人的にいちばん注目させられたのは、冒頭。主人公が小さいころ、海に落ちるUFOを見て、超常現象を信じるようになった、というシーン。スクリーンショットにしてみました。UFOが墜落する箇所の左に浮かぶのは、紛れもなく、伊吹島。庄内半島のどこかの海岸から、西を向いて眺めたところ。嫁さんに見せても、即座に「伊吹島だ!」。地元の人なら、一発で分かるでしょう。何故、伊吹島を入れたかったのでしょう。地元の人は「おお」と思うのでしょうが。

祖母の死と葬式

2012年01月24日 | 
先々週の13日、祖母(母の母)がなくなりました。99歳目前でした。

その一週間前あたりから、いよいよ元気がなくなり、そろそろ本当の寝たきりになりそうだ、流動食に近いものしか受け付けなくなったし、食欲も旺盛だったのに減退してきたし、ときどき原因もなく熱が出るし、という状態で、「もっと本格的な介護態勢に入らねば」と覚悟を決めていた矢先、昼食を持って行った母が戻ってきて「息をしてない!」。その後、蘇生処置などもしてもらいましたが、息を吹き返すことなく、そのまま仮通夜~お葬式となりました。お茶を飲みたかったか、カップを手にしたまま、横になって目を閉じ、眠るような静かな最後でした。みんなが病院に行って、一人で留守番になった私が、なんとなく写したのが、手が付けられることなく終わった最後の食事です。

3年半前、肺炎をこじらせて、「これはもうダメだ」と子どもたち(母とその弟2人)が覚悟を決めたことがありました。その時、われわれは米国にいて娘が生まれる直前だったのですが、「ひ孫に会うまで死んでたまるか」と復活したDie-hard。その祖母がつい最近は、「もう、何をするのもしんどいし、痛いし、もういいよ」と言ってたそうです。さらに孫である私の嫁さんを、息子(私のおじ)の嫁さんと間違えて、「この通帳におじいちゃんの残した貯金があって、手をつけてないから...」と話し出したとか。この話を、福祉関係の仕事をしている義理の弟に聞いてもらったところ、「まあ、人はそんなに簡単に死なないよ。ボケてない人だから、逆に自分の身体が思うようにならなくなったのが堪えるんじゃない?」と言われたのですが。その3日後、アッサリ逝ってしまいました。

数え年で100歳の大往生だし、われわれにしたら介護がしんどくなる前で助かった、とは言えるかもしれませんが、幸い私の家族も同居し、みんなで助け合ってと腹を決めたところだったし、「ばーちゃんそんなに早く行かなくても」という思いもあるのですが、上の発言を思い返すと、祖母は実は自分で死期が近づいたのを悟っていて、「もう十分、疲れたよ...」といったところだったのかもしれません。元旦に娘も含めたひ孫3人が集まって、祖母を囲んだのが、部屋を出てきてみんなと話した最後になりました。栃木の佐野生まれの人で、昔の関東の様子など知ろうと話しを振ったこともあるのですが、早く父母がなくなって親戚をたらい回しにされた等、苦労が多い幼少時だったらしく、あまり詳しい話は聞かせてもらえませんでした。残念ながら、これでもうチャンスはなくなりました。

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ところで、私は上記の祖母以外は全て生まれる前に亡くなっていたせいか、遺族として葬式に出るのも、御棺に入った人を見たのも、火葬場へ行くのも、何もかもが初めて。地域や宗派によって違うのでしょうが、「葬式ってこういうものなのか!」と目を見張らされることが多々。(当然のことなのでしょうが)儀式の一つ一つが、(ある種の)仏教的な生死感に基づいていて、これは紛れもない宗教的な儀礼であり、葬礼の一つ一つの手続きやら、道具立てやらを、真剣に受け取って対処するとしたら、「日本人は無宗教だ」とはとても言えない、という感じがしました。すぐ燃やしてしまうのに、真新しい衣装を着せたりとか、もったいないなあ、と思ってた私は、「(宗教に基づく)葬送はやめてください」と遺言しといた方がよさそう。式でほぼ20年ぶりに会えた従兄弟もいたりして、遺族が集まること自体は悪くないのですが。

ついでに言えば、あらたに、これも仏教関連だ、と知った語がいくつか(無知)。まず、「六文銭」。小室等がいたグループの名前という認識だけで、なんで六文なのか考えたこともなかった。それから「引導」。葬儀場の人に説明されて、ああ、これもか、そういえば仏教語っぽいよな、と。私も、もう少しで昔の師匠に引導を渡されるところだったのですが、そうか、死出の旅に向かえと言われかけたのか。

初夢

2012年01月02日 | 
実際に行ったことは一度もないんだけど、夢の中だけで何度も訪れている場所、というのが私にはいくつもあります。思い出すだけでも、ある街、トイレ、学校などなどいろいろ。その街ではしばしばなぜだか服を着てなくて困り、学校ではたいてい、一度も勤めたこともない中学校か高校の教員(でも同僚や生徒は知ってる人だったり)。トイレには毎回落ちそうになりヒヤヒヤ。ともあれ、ろくな事がありません。現実には住んだことのない、夢では住んだことのよくある家、ってのもあります。夢で見た、というのも脳にとっては一種の経験なので、一度夢で「こんなところに来た」という認識が成立すると、その一部は記憶に銘記されて、睡眠中に類似の認識を脳が作り出したとき、「前に来たあの場所だ」と考える傾向がある、ってなことでしょうか。

ところが昨晩の夢では、今まで訪れたことのない街に行きました。最初、東京多摩地域あたりのどこかの駅に降り立ったと認識していたのですが、駅を離れて移動するうちに見たこともない、とても急激な坂のある住宅地にたどり着き、一緒にいた娘が崖から落ちそうになり、娘が遊んでいたボールに空気を入れようとしてできず...と脈絡のない行動の果てに、「帰ろう」と思って駅に戻ると、降りたのとは違って、急カーブをすごい勢いで電車が曲がっていく(しかも後半はちっちゃいおもちゃの電車がつながれている、なおかつ、その時にはいっしょにいたのは家族ではなく、友人)、しかも線路と歩道とがきゃしゃな木格子で隔てられただけの、危険で奇妙な駅にたどり着き、これじゃあ帰れない... とまた駅から離れて歩き出したところで、他の夢に移り、引っ越すため物を捨てまくっている夢を見ました。

昨日は寝る前、嫁さんと娘に「今夜これから見る夢は初夢だから、明日起きたら教えあおう」と話してありました。で聞いてみると嫁さんもゴミを分別してる夢を見たと言う。娘は「やさしいオバケの夢」と言ってましたが、数日前にもそんなこと言ってたので、たぶん適当に言ってるだけでしょう。というわけで、初夢は、いつものとおり、意味不明の不条理モノでした。初めての場所に行ったというのは... 嫁さんと同じ夢を見たというのは... おそらく、最近の生活状況を反映した、というだけのことでしょう。

電車つながりで、去年四国のフィールドワークのついでに行った、予讃線箕浦駅の写真を。無人駅で、駅舎横のうどん屋がなかなかおいしい。海の向こうに伊吹島が見えます。

みなさま、おめでとうございます。こんなワタクシですが、今年もよろしくお願いいたします。

音楽に関する英語記事いくつか

2011年12月30日 | 
英語を教えることになって、教材探しのため、以前よりも一般向けの、自分の専門とは関係のない英語メディアのニュースを頻繁にチェックするようになりました。音楽大学で教えているので、音楽に関わる、新しい話題を、と考えて、BBC、NPR、New York Times、Forbes、Financial Timesあたりの記事を(Webで)チェックしています。Billboard、BBC Music Magazine、Rolling Stoneといった音楽の専門誌も見ていたのですが、音楽そのものに対する批評が多くて、ビジネスや科学など他の世界と関わらせて論じていないので(なおかつ、私がついていけないので)、最近は一般誌中心。今年読んで面白かったものをいくつか紹介したいと思います。

Battle of the Bands (and Egos) for the Rock Hall of Fame

危機に瀕した音楽産業界やアーティストにとって、殿堂入りはただの名誉というより、現実的な儲けのため、のどから手が出るほど欲しく、水面下でバトルが進行中という記事。グラミー賞ならそのアルバムだけだが、殿堂入りすると過去の作品全ての売り上げが伸びるとか。過去の殿堂入りについてハードロック偏重という批判があり、過去の業績のわりに殿堂入りが遅かったケースで(例えばBee Gees)、マネージャーが選考委員に直訴なんてこともあったそうです。

'Vocal fry' creeping into U.S. speech

米国で、Creaky voice、いわゆるVocal fryについて、構音障害の症状としてでなく(また、一部の言語のように音韻論レベルの音声として用いるのでもなく)、ある種の社会的流行としての使用度が上昇中、という科学誌サイエンスのニュース。米国にいたとき、(主に若い)女性研究者で、発表時にこの発声をさかんに用いる人が実際にかなりいて、スペクトルやピッチの情報が不明瞭になるからか、ノンネイティブの私にとって、聴き取りを難しくする厄介な現象でした。Britney Spearsがさかんに使うとの記述があったので、Hold it against me(全く知らなかった)の音声情報を「ある方法」で取得。上の画像で選択してある部分が一例。バックの音も一緒にボンボン鳴ってるのですが、Creaky特有の、声帯の開いている割合(Open Quotient)の低さを反映した断続的な波形がはっきり見られます。どういう効果を狙っているかは記事に書かれていませんでしたが、たぶん、賢いとかセクシーとか、そういうふうに聞こえるということなのでしょう。

How can musicians keep playing despite amnesia?

これも、音楽誌ではなくて、BBCのニュース。脳に障害を受け、1分前のことも想起できないミュージシャンが、昔習った曲をほとんど間違えず演奏できたり、新たな曲を学習できたりと、音楽に関する記憶能力が失われていないことが知られており、一般のエピソード記憶と、音楽に関わる手続き記憶とが脳の別の機能を利用しているという証拠を提供すると。重要なのは「人間の能力って凄い!」ということではなくて、このような症例の研究を手がかりに、音楽による記憶能力回復のための療法を開発しよう、という研究が始まっているという点。NPRでも、音楽療法について、最近の進歩と(音楽療法専門の病院の部門、大学の学部、博士の学位もあるとのこと)、財政補助等の困難について、特集を組んで紹介していました。

こんなのを読むことで、音楽が経済・医療など音楽外の世界とどうつながりうるか、どのように社会に貢献できるのか、なんてことを考えるヒントになったら、という期待があります。今のところでは、「聴衆は静粛に」というクラシック音楽のエチケットの成立の歴史についての記事(La Scena Musicale)を読んだ後、授業課題のための質問紙調査にその項目を盛り込んだ学生グループが現われました。ちょっとした喜びでした。

第三世代で決心

2011年05月24日 | 
思い出せる限り、私は商品の第一世代を買って所有したことはなかったと思います。数世代を経て生き残り、改良が進み、価格も下がってきてやっと、それでも慎重に考えて買う(またはやめる)という感じ。たんに買うお金がないから、ということもありますが、道具そのものに興味があり、それを使ってみる、所有してみることに楽しみを見出すタイプではなく、むしろ、自分がやりたいことが明確にあって、それに必要だと判断しない限り、できるだけモノを所有したくない、ということもあります。

ですが今回、電子ブックリーダを持ってみることにしました。本日到着。買ったのはAmazon kindleの第三世代、3G、6インチ版(=15.24cm、スクリーンの対角の長さ)。値段は189ドル(現在のレートでだいたい¥15,500)。理由は、ようやく英語で本が速く読めるようになったのでいろいろ読みたいけれど、もう置く場所がない。むしろ捨てねばならぬくらいで、紙の本を増やすのは不可能。移動中に読みたい。とくに仕事のため、検索機能等を使いたいので電子ブックに切り替えたい。本を買うとき輸送がないので早く手に入る、ちょっと安い、ちょっとエコ、など。

届いたものを開けてみた最初の印象は「小さい!」。約250gと、重さも大きさも新書程度でしょうか。文庫本と並べてた写真を載せました。論文のリーダとして使わないのだからと、大きいサイズ(対角9インチ)のKindle DXにしなかったのですが、正解だったように思います。カーソルを合わせると辞書項目(Oxford)が開くのは、めちゃくちゃ便利。文字も読みやすいし、目が疲れなそう。ページの切り替えが遅いなんて評価もあったけど、じゅうぶん速いと思うなあ。とりあえず大満足。

PDFにハイライトやコメントをつける機能がないので、電子化された論文を読むのには使えないことを承知で買ったのですが、電子出版される各分野の専門書は現時点でもかなりあり、今後も増えそう。これを使って読めるもの、読みたいものはいくらでもあります。

買うかどうか決定するに当たって調べたところ、iPadと比較する試みがちらほら。でも、多くの人が指摘するとおり、両者は全く違うニッチを狙ったものではないでしょうか。去年日本で、iPadを手にする機会がありました。多機能なのでしょうが、われわれ研究者にとってノートパソコンの代わりにはならない。読書用に携帯し、取り出すには重すぎ、大きすぎ。さすがはAppleで、所有したくなる魅力はあるようにも見えるけど、私には中途半端な製品だと思いました。iPadが優勢なのは、齋藤美奈子さんが『趣味は読書』の序文で述べていたとおり、世の大勢が「読書をしない人」たちだからでは。Amazonはあんなもんに対抗しないでほしい。少なくとも今のKindleの、読書に特化した路線は必ず維持してほしいです。

紙の質感は捨てがたいとか、カラーが出ないとか、パラパラとめくって面白そうなところを探すことができない(できるのかな? まだ不明)とか、難癖を付けようと思えば付けられる点はまだ多いかも。でも、今後、書物が電子リーダで読まれる傾向に歯止めがかかることは考えられないので、Kindle等、電子リーダの開発競争は続き、改善は急速に進み、今の抵抗感もいつの間にか忘れ去られるでしょう(一部のダイハードを除き)。そこで適切な判断をするためにも、使ってみるタイミングになった、と判断しました。 ......まあ、つまりは、こうやって、ぐぢぐぢ理由付けをしないと決心できないということなのですが。

さっそく、最初の図書購入をやってみました。私は前から読みたかったダーウィンのOn the origin of species(これはタダ)。序章を読みましたが、150年も前に書かれたにしては英語に違和感がなくて、読みやすい。嫁さんはレイチェル・カーソンのThe sense of wonder。日本語を読むために使うことは全く考えていませんでしたが、「青空キンドル」というサイトで青空文庫をKindle用のPDFにできるとのこと(このサイトの開発・維持をなさってる方々、素晴らしい!!)。そこで娘には、これを使ってアンデルセンの「おやゆび姫」。朗読したら、じっと聞き入っていました。今の彼女にはちょっと長いと思って途中で打ち切りましたが、遠からず前文朗読して聞かせられるかもしれません。

EPSファイル問題解決!

2011年05月24日 | 
Rで作成した研究関連の図は.epsファイルで保存しています。ファイルサイズも小さく、論文等に貼り付けたときにも画質の劣化がなくていいのですが、論文を書くときなどに図を眺めてあれこれ考えたいとき、この.epsファイルを何で開くかが問題でした。いままではAdobe Illustratorで開けてましたが、これはうんと凝ったことをやるためのsソフトウェアだから当然とても重くて、たんに.epsファイルを開いて眺めるだけというときに、わざわざ一つ一つ.epsファイルを立ち上げるのは煩雑だし、時間もかかって困ります。

今日、あれこれと調べた結果、いい対策がありました。XnViewというソフトにGhostscriptという変換プログラムを組み合わせて使う、というものです。上の画像がXnViewの画面。上のウィンドウのサムネイルを送っていけば、下のウィンドウにそのプレビューが表示されます。.jpegファイルを、たとえばOffice Picture Managerなどで開いたときのように、あるフォルダ内の画像ファイルをページをめくるように次々見られます。

XnView → http://www.xnview.com/en/index.html

Ghostscript → http://pages.cs.wisc.edu/~ghost/

この情報は、「Kenの我楽多館blog館」というサイトでいただきました。そこでは、別のソフト、たとえばLinarというビューアが便利だとあったのですが、これは日本語で開発されたソフトらしく、試してみたところ、アメリカで買った手持ちのパソコンでは、メニューが文字化けして使えません。この問題はあらゆる日本語ソフトウェアに起こります。きっと対策はあるのでしょうが、たとえば、Rの日本語表示はまだ完全ではないとも聞きます。どうせたいていの重要なソフトウェアのアップデートも英語版からなのだから、覚悟を決めて英語で使う方がいい、と思っています。

というわけで、.epsファイルの問題が解決して大助かり! 今後の作業がもうちょっとスムーズになりそうです。

風評被害(?)の責任

2011年04月11日 | 
先日、NPR(アメリカのラジオ局)のPodcastで、東北の大地震以降しばらく日本に滞在した記者の談話を聞いたのですが、その一人が「日本の文化の違いを感じた。彼らは当局が『危険のレベルはこれこれこの程度です、差し迫ったものではありません』と発表したら、基本的にはそれを額面どおり受け取って行動する。わが国との大きな違いだ」と驚き(とたぶん敬意)をこめて述べていました。アメリカなら、不信・陰謀論等が巻き起こり、収拾がつかなくなる可能性が高い、ということだと思います。日本人は恐怖や不満がアメリカ人に比べて明瞭になりにくい(あるいはアメリカ人には受け取りにくい発信の仕方をする)、という表出レベルの差もあるのでしょうが、基礎的な教養レベルの高さや、行動の秩序正しさも反映しているのではないかと思いました。

ところで、いつも読んでいる小田嶋隆さんの日経ビジネスオンラインのコラム、ここのところ地震関連の記事が続いています。先週の記事は「この「風評」の半減期はどのくらい?」というタイトル。頭と終わりはその通りだと思うんですが、コラム半ばで、「風評に踊らされる庶民を露骨に軽蔑する」専門家の態度は、「恐怖」に対する無頓着さを表す、として

  目の前で議論が紛糾しているタイプの学説や、解説する人間の立ち位置によって
  意味付けが180度変わってしまうデータをもとに、安心立命を得ることは、少なくと
  も理系の学部なりで専門的な訓練を受けたわけでもない一般の人間には不可能な
  仕事だ。とすれば、特に科学に明るくない者としては、とりあえず大きめの安全係
  数を確保した上で、過剰にこわがっておくのが精一杯の知恵ということになる。
  これは、決して「愚かさ」と決めつけてほしい態度ではない。

と述べるくだりには疑問を持ちました。

「風評に踊らされる愚民」が本当にいるのか知りませんが、そういう人の行動の影響で被害が出ているなら、被害を被るのもやっぱり(専門家も含めた)「一般の人間」でしょう。このコラムでは魚が例に上がっていますが、被害を受けている漁民の中にも、別の風評被害を生み出した人がいるのかもしれない。風評被害を作り出すのも、その被害を受けるのも一般の人間。原因も迷惑も同じところで回るだけであって、専門家が「風評被害」を生み出すわけではない。(もっともそう強弁する人はいるのでしょう、情報の与え方や態度が悪いとか)。「愚かというな」と怒ってみても、「お前たちの言うことなんか信じられるものか」と風評に踊らされ続けようと、専門家だけが困ったり損失を被るわけではない。みんながお互いに困るだけ、誰も得しません。専門家批判に八つ当たり以外、何の意味があるんでしょう。

恐らく小田嶋氏の主張の真意の一つは、

  放射性物質を海洋投棄した人々の責任は、放射線が検出されない範囲にまで及ぶ。
  当然だ。彼等は、「根拠のない恐怖」に対しても、全面的な責任を負わねばならない。

ってところにあるんでしょう。つまり、風評被害の責任は「一般の人間」にあるのではない、怖いものを撒き散らしたやつにあるんだ、と。

一理あるとは思います。でも、そうまでリクツをつけ、他人のせいにしてでも、自らの行為を正当化しなければいけないんでしょうか。「われわれはあなたの国に迷惑をかけてますが、それは北朝鮮があそこで怖いことをしてるからです。私たちを責めてはいけません」と言ったら、近隣の国が「おっしゃるとおり」と、北朝鮮に補償を要求してくれるでしょうか。科学的知識がどうのじゃなくて、自分たちの行為のために困る人がいる、という事実があるなら、それを自らの行いの結果として受け止め、省みるくらいのことはしていいのではないでしょうか。

おそらく総じて見れば、多くの日本人の行動はNPRの記者の報道にこそ近いのではないかと想像(期待)しています。だから小田嶋さんのコラムのこの部分には、(一部の専門家の「愚民」扱いが事実だとしても)そんなところに目を向けてどうする、という感想を持ちました。これに限らず、いくつかのコラムやブログに、大丈夫か?ストレスでやられてるんじゃないか?と感じることがあります。安全な海の向こうで、知りもしないで何を言うか、という批判を恐れながら、岡目八目ということもあるかもしれないと思って申し上げました。

たまの遠出

2011年04月01日 | 


もう二週間ほど前、先月3月18日に、家族でインディアナポリスに出かけました。嫁さんのパスポートが切れるので更新手続きをして、日本でするのと同様、本人が受け取りに出向く必要があったためです。アメリカ中部の住人ならシカゴの領事館まで行くことになるわけですが、たまに出張サービスがあり、この日がその予定。シカゴなら車で5時間かかるのでまる一日になりますが、これなら半日で済む。ガス代も少なくて済む。長距離ドライブの危険もない(そもそもうちの古い車が耐えられないかも)、ということで、この機会の利用は必須。ついでにシカゴに行きたい、なんて人は別でしょうが。

ところで、今回gooブログが提供している新しい機能を使ってみました。スライドショーを見せられるというものです。慣れないもので、順番が逆になってしまいました。写真を送ってごらんください。

朝Bloomingtonを出発して11時ごろインディアナポリスの北東の外れのホテルへ。ここが会場。行ってみると写真のように小さな会議室を借りて、領事館職員らしきお二人が担当。昔バルセロナに行ったとき、ちょっと困ったことがあって領事館に行ったのですが、厳重なセキュリティチェックを受けた上にガラス越しに冷たく話をされて、「国民をなんだと思ってんだ、もうあんなものに世話にならん」と怒ったものですが... 親切でした。ついでに、在外投票の登録を勧められて手続きの世話もしてもらいました。住民票がないので、選挙区の投票はできないと思ってたのですが、最後に住民票を置いていた自治体の選挙権がある(最近そのように変わった)そうです。

このころは震災直後で、今も状況は厳しいままのようですが、当時は東京方面の家族もさらに窮地だったので、ついでに動物園かこども博物館にいくことを予定してたけれど中止。お昼だけは外で食べようか、ということで、写真のビュッフェ形式のレストランに行きました。知り合いから教わったThe Journeyはいちおう日本食が中心のはず。

さて実際は、写真のようなものが食べられました。お寿司もアメリカっぽいなんだかぐるぐる巻いたり、アボガド入れたりもあるけど、しめ鯖みたいなのもある。個人的にうれしかったのはゲソ揚げ。厚揚げ煮、煮ダコ。娘も大喜びでした。

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インディアナ大でも、日本人学生を中心としたさまざまな人々が震災に関わるチャリティーイベントなどを開いているようです。私はというと、論文書きで他に時間が取れず、大学にもほとんど行ってません。このインディ行きは博士論文提出以前、最後の遠出となりそうです。

知りたくないこと

2011年03月10日 | 
ちょっと古い話になりますが、去年6月ごろ公開された科学誌ScienceのPodcastで興味深かったのが、Havasupaiというアメリカの先住民族が研究者相手に起こした裁判の話。20年も前に提供した自分たちの血液のサンプルが、そのとき承諾した研究内容とは別の目的で使われた、というかどでデータを取得した研究者を訴え、6年越しの裁判に勝ち、血液サンプルを奪還した上で賠償金も得た(総額70万ドル、所属大学が払った)そうです。

彼らの主張では、糖尿病の研究のみに用いられると了解していたが、分裂病の研究等にも用いられた。特に許せないのが、DNAを利用した系統の研究だったようです。「アジアからいつごろ移動したグループから、こう分岐した」等々をDNAデータによって裏付けるのは、彼らが信ずる一族の由来の否定につながると。

研究者側は、さまざまな研究に用いられる可能性をよく説明して承諾書も取ったと主張しているのですが、かなりの譲歩を強いられた様子。このケースは他の先住民族等にも刺激を与えているとか。研究協力拒否が増えると科学研究全般の進展の足かせにもなりかねない。科学研究がもたらす公益を考え、慎重かつ冷静に対応して欲しいものです。

同じくScienceの別の論文では、ポリネシアの人々がさらに東に航海をして西洋人より先に南米に達し、南米の先住民族と交流していたのではないか、という研究が進んできているそうです。今のところ考古学的なデータに基づいて議論されてるけど、DNAによる研究もしたい。ただしこれも、現地の人々の反発を招かぬよう、急がず慎重な交渉を行っているということでした。

最近、岩波書店の『日本通史』という講座に収録されている論文を一つ読みました。世襲王権は507年即位の26代・継体あたりから、っていうのが一般的な学説らしいのですが、このような人文科学系の研究に比べ、自然科学系の研究にはより強い抵抗が示されるように感じます。自然科学的方法による成果はより否定・無視しがたく思われるのでしょうか。古代の王の陵墓とされている遺跡での調査が進めば、今のDNA研究の進展をもってすれば、王権の系譜も含め、日本列島の古代の政権の推移についていろんなことが分かりそうでぜひ実現して欲しいのですが、上の件と同様に抵抗を感じる人もいるのでしょうね。