オズ美容室オーナーのコーヒータイム

オズ美容室オーナーの日常日記

働く人

2011-10-17 08:49:55 | 星から

ふるさとはもう秋景色

そんな景色の望めるかたわらで、義母の御霊は天に溶け込んでいきました。

義母は働き者で94年の人生ほとんどが、自然の中で動いていたといっても過言でないかもしれません。

そんな義母の火葬のそばでは刈上げした稲が、義母の御霊を見送りしてるようでした。

これから脱穀する、農夫の働く姿も義母にとっては素敵な見送り姿かなー
と思い撮影してきました。

 


父からの伝言

2009-09-04 01:14:25 | 星から



今日は32回目の結婚記念日です。

白無垢に綿帽子を身にまとい嫁いできたのはもう随分前のことなのですね。

嫁ぐ朝に、今は亡き父からの伝言がありました。

それは、父が毛筆で書いた言葉を渡されたのです。

 『 殺しても罪にはならぬ 腹の虫 』

父はその書を私に渡しながら、

「お前は勝気で、感情の起伏が激しいから気をつけるんだよ。
 腹の虫は殺したほうがうまくいくからな。」
と、真剣な顔で私を諭してくれました。

あれから32年・・・・・・・・・

私は父からの伝言をいつも心に入れてはおりましたが、
なかなか、腹の虫を殺すのは大変なことでして、
父の心配したように、かっとなって失敗を繰り返す人生でした。
そして、その度に父の伝言がよみがえってきては反省してました。

結婚式の時の父の年齢をとっくに過ぎた私なのですが、
なかなか、腹の虫を殺すことは出来ないでいる私です。

それでも父の伝言が、生活の戒めになってることは確かです。

そんな心に残る伝言をくれたことを父に感謝してます。


 


父の日に

2009-06-14 00:27:25 | 星から

今日は父の日

母の日同様に、父を思い出してみたいと思います。

どこの家庭でも言えることでしょうが、父親は母親より影が薄い
存在なのではないでしょうか?

父には悪いのですが,
父が母より先に逝った事もあって、
私は日々の生活で、母のことを思い出すことが多いようです。

今日はそんな影の薄い父親の残したものを紹介します。

 

 

 

 この絵は、父が私の息子に描いてくれた絵です。

 「じーちゃん、ぶっぷー(車)」とせがむ孫に、
表情筋が緩みぱっなしで、

 「めんこいなー(可愛いなー)まなこさ(目に)へれでも(入れても)
痛くないなー」

なんて言いながら、息子の相手をしてくれていました。

そんな時、広告用紙の後ろに色鉛筆で描いてくれたのです。
コピーの技術が優れているのでしょうか、
広告の文字まで写ってしまいましたね。

晩年リュウマチをわずらい、長い闘病生活を強いられていたので、
孫と触れ合うことが、唯一の喜びだったのでしょうか

目を細めて、本当に楽しそうに相手をしてました。

父は絵を描いたり、書き方が好きで、
闘病中もノートに写経のように字を綴っていました。

字が綺麗だからと町内会から依頼され、
チラシなど、よく書いていましたね。

そんな父に末っ子で女一人の私も、
まなこにへれでも痛くないなーと、思われて育ったようです。

よく母が、「父ちゃんは娘だけが可愛くてしょうがないだから」
と言って怒ってました。(母のやきもちだったのかなー)

子供はみな平等に育てているといいますが、

母親は男の子を、父親は女の子を思う気持ちが強いのは、
私も親になってみて感じることです。

どうやら、母親がやきもちを焼くくらい
私は父の愛情をたっぷり受けたのでしょうね。

お詫び

父の日を間違えてしまいました。
訪問された方に混乱させてしまいました。
ドジなオズで大変申し訳なく思います。

 

 


 

 

 

 


母の日に

2009-05-10 19:10:52 | 星から

今日は母の日なので、GWの話題は次回にいたします。

母の日にプレゼントをしたくても、母は無し
私も一応母なのですが、
子供に対して表面上は、何も望んでいないフリをしてますが、
密かに心では、何かを望んでるおぞましい自分がいます。

だから何もしてもらえない時のショックは大きいものです。
私はそんなショックを、生前の母に幾度か与えたこともありました。
自分のことで忙しく忘れたこともあったのです。

今思えば申し訳ないことをしたなーと反省してます。
反省しても、もう母には届きませんけどね。

そこで、今日は母を思い出すことで天国にメッセージしたいと思いました。

母は癌で他界したのですが、
癌と告知されてから8ヶ月と言う速さで天国に行ってしまいました。
(以前にもその記事は載せましたので、同じ星からのカテゴリー
をのぞいてみてください。)

その母が、術後我が家で静養してた時に、
パッチワークをして時間を過ごしてました。
その作品が、最後の作品となってしまったのです。

そして、その最後の作品が出来上がった時に笑いながら、
「これ遺品だからあんたにあげるよ。」といって私にくれました。

母には癌を告知してないので、私は「何を言ってるのよ!!」と
母を叱咤してしまいました。
そうしたら、「嘘だよ、お世話になったお礼にあげるんだよ」と
言い換えましたが、その時の気持ちを今考えると、
きっと母は体で自分の余命を感じてたのでしょう。

そんな母の最期の作品を紹介します。

 

これはクッションです。
最後の仕上げの時に、しつけをかけるのと、
フリルをミシンで縫う事を、手伝いました。

そうしたら、母は私の友人に、
「娘がしつけをしてくれたので、
 とても縫いやすくなって、助かったのよ。
 それにミシンかけも綺麗でわが娘ながら感心しました。」と
とても嬉しそうに言ってました。

そんなに綺麗なわけではないのだけれど、
結局母にほめられたのも、これが最後かもしれない。
そう思うとなんだかナーバスになってしまいます。

褒めて育つ・・・・
母からすれば、私はいつまでたっても子供で、
単純な私は褒められると、伸びることを良くわかってて、
最後の最後に褒めてくれたのでしょうね。

 

 


ラストショット

2009-01-11 00:14:47 | 星から



 

小春日和で、穏やかな風が頬に心地よい時が静かに流れていました。

新築したばかりの家に、入院先から外泊しに来てくれた父。

周りにはまださえぎるものも無く、さんさんとさす日差しに

「良かったなーこんないい環境のところに家を建てられてなー」
と自分のことのように喜んでくれた父。

まだ、庭に手入れも行き届かず、無造作に植えた花たちを見て
闘病してるとは思えない笑みで、孫達を眺めていました。

・・・・・昭和最後の春、我が家に最後に遊びに来た日で、
    この写真が、父と撮影した、ラストショットです・・・・・・・・・

その父は、H.1.1.11に星になったのです。
なんでも一番が好きだった父ですが、星になった日まで1のぞろ目
それも、霊柩車のナンバーまで1111でした。
皆で父らしいねと話していました。

父は、50歳の時リュウマチを発病して以来、17年間入退院を繰り返し、
67歳で、召されてしまいました。

父は最期に私に胸のうちを明かしました。

「俺の人生は何だったんだろうなー」とね・・・・・

その時何も言えなっかた自分が、切なかったです。
父の歳に近づいた私、
今なら小粋なことを言って、
笑わしてあげられたのにと思うこの頃です。

父さん、あなたの人生を少しでも多くの方に、

私のブログで、

知ってもらいますからね~

だから、星から見守っててくださいね!!


あなたの残したもの

2008-12-17 00:32:52 | 星から

黄昏行く伊丹空港のデッキで、京都から仙台に帰る便を待つ間、
母と私は、離着陸する飛行機を見つめていました。

「あの飛行機は、アメリカに行くのかねー」と、母がぽつんと言った。

「アメリカに行くんだねー」

外国空路ではないので、アメリカに行く便はないのだけれど、
私は、心の中で詫びながら又母に嘘をつきました。

「あの飛行機に乗ってアメリカに行って見たいねー」と話す母、

叶えられない事と思いつつ私は、こぼれ落ちそうになる涙をこらえ、

「病気が治ったら、一緒に行こうね。」

「いいねーどんな服を、着て行ったらいいかなー」

と子供の様にはしゃぐ母でしたが、その目の奥には、
どんな思いが潜んでいたのか、明日の希望を持てないことを、
母は知っていたのだろか、今では聞くすべも無いけど・・・・・

母に余命を伝えないと、兄弟で決めてから私はいくつもの嘘を、
母に言っただろうか、心が痛み胸が締め付けられる思いでした。

母の目は、飛び立つ飛行機が見えなくなるまで、
いつまでも、いつまでも見つめていました。
私は、そんな母の顔をまともに見ることができず、
あふれ出そうになる涙をこらえながら、明るく振舞っていました。

・・・・・・・・H17年10月25日京都旅行の出来事・・・・・・・


母は、H17年12月17日癌により、旅立ってしまいました。
そこにいたるまで、数え切れないほど悩み、涙しました。
その事は、折に触れて伝えて行きたいと思います。
旅立ってから、あれやこれやと後悔の念に駆られ、
ナーバスになったこともありましたが、
時が次第に心を溶かし、今では時折思い出す都度に
母に触れる喜びを、かみ締めるようになりました。

母だけでなく、H1年1月11日に旅立った父も含めて
家のあちらこちらから、父母の思い出が顔を出す都度に、
この頃思う事があります。
生きていたら、このブログに父母が登場するだろうになーと
だからいなくなった今、ささやかな父母の人生でしたが、
生きていた証を伝えてあげたらいいかなと、そんな訳で
『星からの』と題して、新たにカテゴリーを増やしました。

今日は母のたち日なので、母に奉げる詩を紹介します。

・・・・ あなたの 残したもの ・・・・・・・・・・・・・・

      光と影の中を 交差しながら
      歩いてきた人は 旅立ってしまった

      大地の恵みになって
      風に流れて 星の光に・・・・

      ごくありふれた人生は
      辛酸過ぎる 人生だったのかしら
      今では 聞くすべも無いけれど

      あなたの 残したものは
      握り締めた 手のひらから
      三つの命を 産み出したの

      あなたの 残したものは
      広い野原の 小さなオアシスで
      三つの命は はぐくまれ
      広い野原に 飛び出したの

      あなたの 残したものは
      光と影の中を 苦悩しながら
      時には 歓喜に満ちたり
      ありふれた道を
      ささやかに 繰り返し歩むの

      あなたの残した 命が
      くりかえし くりかえし
      歩んでいくの・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・