た・たむ!

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大阪北部地震

2018年06月19日 | essay

 

 大阪で地震が起きた。死者も出たという。

 

 震災が起きるたび、思い出す古い記憶がある。

 一つ目は、以前ここに書いたかも知れない。

 二十年以上前、阪神淡路大震災が起きた時、私は大阪にいた。地震が来て三日目、実家の両親が三宮(さんのみや)にいるという先輩に、水と弁当を実家まで届けたいから手伝ってくれないかと依頼された。私と先輩は互いの自転車の荷台に積めるだけの弁当とペットボトルを括り付け、被災地に向かった。途中、あらゆるものが倒壊した街を目の当たりにした。原爆が落ちたのではないかと疑うほどの惨状であった。被災者たちが列をなして駅に向かって歩いていた(電車は線路の損壊により不通だった。それを承知の上で、住む所を失った彼らは駅に向かったのだ)。その中で一人、道端にうずくまっている男がいた。隣には鳥かごがあり、インコらしき鳥が入っていた。着の身着のまま家を飛び出した際、彼は一番大事にしていたペットの鳥を持ちだしたのだ。その姿を見た被災者の一人が、「こんなときに」と吐き捨てるように呟いて通り過ぎていった。

 

 もう一つは、それから四年ほど経った、熊本の地である。

 当時大学院生として熊本にいた私は、仲のいい五、六人のグループで喫茶をしながら雑談をしていた。そのうちの一人の女性が、出身が神戸だと打ち明けた。四年前の被災により、遠く九州まで移り住んだのだ。この告白で普段押さえていた感情が噴き出したのか、彼女は長々と自分の境遇に対する愚痴を述べ始めた。あまりそれが続くものだから、場の雰囲気を推し量った私は、そんなに否定的な言葉ばかりみんなの前で口にするものではない、という趣旨のことを忠告した。それに気を悪くした彼女は、以降ぷっつりと黙り込んだ。その後どれだけ日が経っても、彼女が再び私の前で口を開くことはなかった。

 あの時の私の判断は、間違っていたのだろうかと、今でもよく自問する。たとえどんなに辛い思いをしてきたとしても、その出し方を間違えれば、周囲に悪い印象を与えてしまう。だから私が諌めたことは決して間違っていなかったとも思う。しかし、私の一言で意思疎通を放棄するほど、彼女の心の傷は深かったのだ。もしかして、震災以降自分の殻に閉じこもりがちだった彼女が、自分をオープンにしようと試みた貴重なチャンスだったかも知れない。私の心無い一言がその機会を永遠に葬り去ったのだ。そう思うと、背筋のぞっとするような後悔がある。

 震災は、起きてからが、途方もなく長い。経験した者にとっては、ほとんどそれは永遠に続くと思われる長さである。そのことを、私は身をもって知った。水も食料もない中、役に立たないインコなぞを持ち出したあの被災者も、四年経ってなお私の前で心を閉ざしたあの女性も、誰も、責めることはできない。

 震災はそれだけ、圧倒的なのだ。

 

 今日の大阪は雨だという。激しく揺さぶられ、打ち砕かれた数知れぬ心がそこで濡れている。一日も早く、あたたかい日差しに包まれることを、切に願う。

 

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