ついに読み終わった。
儒教の祖・孔子。その名著中の名著『論語』です。
中々疲れましたね。メモしたり、何回も止まって読んでの繰り返しw
映画で言うとこの『ローマの休日』みたいな。
名作だから見た方が良いし、教養としても大事なんだろうなと思いながら手が出ない。
有名だけど見たことはないし実際見るとなると面倒くさいっていうw
論語はその代表格の1つでもあると思います。
今回はその心の障壁やハードルをあえて越えてみた。
読んでみたら、これがけっこう面白くて。
経典然とした堅苦しい本なんかと思ったら、意外というか、もっと緩く暖かい内容でした。
まずは孔子という人物について。
孔子は紀元前5世紀頃、古代中国・春秋時代の魯国出身の思想家です。
出生については詳しく分かっておらず、一説には父ちゃん70歳、母ちゃん16歳の時に出来た子供だとか。
色々な諸説ありながら、大体20歳くらいに故郷の魯国で働き始めて、そこから段々と事跡がハッキリしてくる。
第25代目の魯の君主・昭公から定公、哀公の3代に仕える。
定公の時代には大司寇という法務と外交を兼ねた役職に就き出世もしてる。
三桓氏という魯の重臣家系とバチバチに対立したり、けっこう武闘派な政治家だったらしい。
そこから政治家を引退して、諸国を放浪しながら思想活動に励んだとか。
孔子が生きた春秋時代は、一応は周王朝による統治下ですが、それは上辺だけ。
領地の冊封を受けている公族達はまるで自分が独立国の支配者かの如く振る舞い、勝手に諸侯同士で争い合う。
孔子の故郷・魯国でも三桓氏という重臣家が君主を凌ぎ、権力を貪ろうとする。
下剋上や弱肉強食の風潮が時を追うごとに酷くなり、人の心の中に敬意や品位が失われていく。
それに危機感を覚えた孔子は仁徳や親孝行。
他人に思いやりを持つ、親や目上を尊敬するなどの基本的な道徳教育を説き、荒んだ世の中を正そうとしました。
後にその思想が儒教という、哲学や信仰として確立し、世界中に広まることになります。
続いては、論語について。
論語は孔子とその弟子達の問答を集めた記録書、言行録になります。
孔子の死後に弟子達が編纂し流布、それから後世の儒家達が数百年に渡り校正を手掛ける。
戦国時代に百家争鳴という他学派との対立、秦王朝時代に焚書坑儒という弾圧。
数々の苦難を乗り越え、ついに漢王朝が儒教を国教として制定。
論語も儒教が通った道に合わせて、現代まで読み継がれる本の形が完成する。
内容は全20編構成。
学而、為政、八佾、里仁、公冶長、雍也、述而、泰伯、子罕、郷党、先進、顔淵、子路、憲問、衛霊公、季氏、陽貨、微子、子張、暁日。
ただ、編と分けてはあるものの、あくまで便宜上区切ってあるだけで、これと言って纏まった何かを言うてる訳じゃない。
孔子がポツリと言った一言や弟子達との会話など、何気ない日常がつらつら書かれてるだけ。
訓戒めいたことも書いてますが、それも別に説教くさいわけではなく、
日々の心掛けを語ったりや弟子を窘めたり、冗談混じりで言ったり、本当に気ままなおしゃべりなんですねw
現代人からすると真面目くさった聖人君子や胡散臭い宗教家とか、孔子のイメージはそういう色眼鏡で見られがちかと。
でも、この論語を読めばそんなイメージはひっくり返ると思います。
師と弟子の暖かい日々の記憶を感じながら、日常に通じる文章に出会って活力をもらったり。
今の日本語にも使われてるような言葉も登場するので勉強にもなるし。
論語は、そういう日本人として人間として切り離せない、生きる上での1つの心持ちや意志、精神の書物なんだと思います。
やはり古典なんで、まず読んでて勉強になる点が沢山あります。
学而編第12節。『礼の用は和を貴しと為す』。
聖徳太子が制定した十七条の憲法。その第一条。
《一に曰はく、和を以て貴たつとしと為し、忤さからふこと無きを宗と為す》。
他人との調和を大切にせよという、有名な聖徳太子の一文は論語発祥なのでした。
他にも巧言令色や温故知新など、よく使ってる四字熟語やら。
斐然成章や足恭など、初めて知った言葉もあり、本当に読んでて発見が沢山あって楽しい。
勉強になるだけじゃなく、本に描かれてる孔子の人となりが何より読んでて面白いです。
ギャグとまでは言いませんが、破天荒というか無茶苦茶な人ですw
そういう人間味が一番表れてるのが孔子と弟子達との会話だと思います。
里仁編・第15節
孔子が弟子の曽参の前にフラッと現れ、
孔「曽参よ、私は1つの道を貫いてるぞ」
そう一言告げて去っていき「ど、どういうこと!?」と弟子達は大混乱。
周りが慌てる中、問われた曽参は「ただ忠恕あるのみ、ということでしょう」と落ち着いて師匠の意を汲むのでした。
これいきなり聞かれた曽参も困ったやろw
弟子を試したのかなんなのか、謎なんですよね。
公冶長編・第12節
弟子の子貢が「自分が嫌なことは他人にしません」と抱負を語ったら、孔子は「お前には無理!」と即断してきたりw
弟子にはもう忖度なしでフレンドリーな師匠だったんですかね?
憲問編・第45節
弟子達だけじゃなく他人へシンプル悪口を言ったりするシーンもあります。
孔子の幼馴染に原壌という人がおって、ロクデナシのホームレスなんですね。
ソイツが道端に踞ってるのを見つけた孔子は、
「ガキの時は可愛げなかったし、大人になっても大したことない。ジジイになるまで無駄に生きて死にもしない。お前みてぇのをクズって言うんだよ!」
と、持ってた杖で原壌をシバき倒したり。
言い草や言動が本当に痛快ですw
特に俺が一番好きな弟子に子路って人がいます。
この人は孔子の弟子に似合わず、勝ち気な性格でトラブルメーカーなんですね。
でも、師匠にはよく懐いてて、孔子に構ってちゃんな質問をしては体よく突き放されたり、可愛いとこが多くてw
師弟というよりかは親子みたいな、不思議な関係で見てて微笑ましい。
先進編・第25節
子路が役人として働いてた時に子羔って孔子門下の若手を取り立てて、
それを聞いた孔子が「せっかく勉強盛りの若者なのに…」とチクリと不満を言ったんですね。
それに対して子路は「仕事も良い経験になりますよ。それに読書だけが勉強じゃないでしょ?」とサラッと言い返す。
反論された孔子は「これだからあのお喋り野郎は嫌いなんだ」とブチギレますw
この遠慮のない関係が見ててホント好きでした。
論語は孔子と弟子達のノンビリした日々が記録されていますが、
その日々も永遠という訳ではありませんでした。
紀元前481年。春秋左氏伝にも記載されている獲麟の年。
魯国で麒麟という神獣が発見・捕獲されます。
麒麟というとビールのラベルに描かれてるような煌びやかな姿で現れ、世の中に吉兆を齎す天の使いです。
しかし、魯国で見つかった麒麟、その姿は、見るだけで不快な悍ましい怪物でした。
何故、神獣たる麒麟が、この様な悍ましい姿なのか。
その瞬間、孔子は己が命運が尽きたことを悟ります。
本来、煌びやかな神獣が人の目に悍ましく映る。
それは、人間の心が天の神秘を認識できないほど、それだけ荒んでいる証明で、
この先の未来、世の中は暗黒や混沌に包まれる予兆だと直感しました。
そこで、孔子は筆を置き、今まで書き続けていた歴史書『春秋経』をそっと閉じる。
その年に最愛の弟子・顔回が亡くなります。
愛弟子の死に孔子は「天は我を滅ぼした」と慟哭する。
続いて紀元前480年。弟子の子路が衛の国で内乱に巻き込まれ殺害されます。
この数年前には息子・孔鯉も早逝しており、孔子の晩年は弟子や家族を次々亡くす寂しいものでした。
紀元前479年、孔子死す。
故郷の魯国で、73年の生涯を閉じる。
暗黒化する未来の予知。相次ぐ家族や弟子の死に打ちひしがれ、
自身が情熱を注ぎ続けた理想は、果たして意味があったのか。
自分の死後も、生きる人々に正しい道を指し示すことができるのか。
春秋左氏伝、そしてこの論語にも、未来への危機感や絶望がないまぜになってるような気がする。
その不安も含めて、孔子が生を全うした姿が、論語という本に内包されてるんだと思う。
儒教の教えは他人を思いやる仁と社会秩序たる礼を重視してますが、その上で孔子がどう生きたかを、ここに書き示す。
孔子の弟子達がホントに残したかったことは、穏やかで平凡な日々の中にいた、尊敬する師匠の何気ない姿だったんじゃないか?
その思想は、孔子が目指した、世の中に平和を齎す普遍の道にはならなかったけど。
それでも自身が編纂した春秋経や、弟子たちが纏めた論語は結晶として、今も光輝く。
孔子の死後、教えを受け継いだ弟子たちは各地に散らばり、その思想を広めていく。
遺った教えは、時を超えて多くの人々の心を照らし続けてる。そう感じます。
では、また。