「天使のような天才少女」
西川攻(さいかわおさむ)の
小説 「孤高」
⑬
--闘うは、われ、ひとりなり--
「天使のような天才少女」
話は30年前に遡る(その2)
大谷会長との会談後、次の訪問先へと急ぐべく、裕樹は医師会館を背に歩みだした。
しかし山田が最初の信号機に差し掛かると突然「ウグッ!」と呻き嗚咽しそのまましゃがみこんでしまった。
裕樹が命がけでこの国の未来に全身全霊で取り組もうとしているにも拘らず,
大谷会長のような地位も権力もある者の態度が傍観者として彼の目には映り、どうしても理解できなかった。
其の事が悔しくて悔しくて耐え切れぬゆえの発作だった。
信州の山奥の出身で月刊誌で裕樹の徒手空拳で挑んでいるとの記事に出会った。
爾来,何としても裕樹の書生になりたいとの一心で単身、事前に来る者は拒ばない性格を知っての居候を決め込んで押しかけてきたのであった。
三日前の午前3時、居るはずの事務所に彼の姿はなかった。
「日々選挙活動の酷使にとうとう音をあげて実家に戻ったか」と思ってた矢先に、「先生やってきました!」
何と昨晩8時から朝方の6時にかけて「西園寺裕樹」のステッカ-5000枚を全市内の目立つあらゆる電柱に貼付してきたとのことであった。
時折しも夏祭りの前夜祭で始まる駅前通りは民謡流しの踊りの行列と観衆で大賑わいが毎年恒例であった。
その前日未明にかけて舞台となる中心街通りの電柱とア-ヶ-ド等のいたる所に集中して張りまくってきたのであった。
当然の如く,土木事務所、商店街から抗議、苦情と撤去命令の電話が早朝から鳴り止まなかった。
一晩で之だけ広範囲にわたる作業を為し遂げるとは、西園寺には既に100名以上の動員態勢が整っていると他陣営に一層警戒感を強めるさせる結果となった。
「所詮、鉄砲玉か、然し彼の行動力と一途な忠誠心は、無謀だが捨て難い妙味がある」と裕樹はそれなりの評価はしていた。
然し山田はまだ泣きじゃくり動けないぶざまのまま、5分を経過していた。
「之では厄介なお荷物に過ぎん、連れて来るんではなかった。」と内心、後悔し苛立ちが昂じていた。
一週間不眠不休で如何なる強行軍も乗り越えてきた自分の20歳前後と比較し
「情けない、今の青年は、みんなこんなのか」と怒りを込めて呟いた。
事実、裕樹はそれまで体調が悪くなったり、病気になったことなど一度も経験したことが無かっただけに、この場を如何にしたらよいものやら困り果ててしまった。
「お体の具合がお悪いご様子ですね!」
突然幼稚園児の制服のいかにも賢そうな少女が
心配そうな表情をして
裕樹の目を見詰めながら声をかけてきた。
目が合った、その瞬間裕樹はビックリした。
「雪乃に似ている!」
今まで唯一将来を誓い合った相思相愛の二人の涙の離別から既に10年近くを経過していた。
雪乃から突如、「ごめんなさい!」「西園寺さんの所期の目的達成の上で障碍になり、ご迷惑をおかけすることが、私の不注意と配慮の無さからお荷物になること必至の事情が生じてしまいました。」
「とても苦しくて辛いことですが、愛するが故に別れなければなりません、西園寺さん、ごめんなさい、どうか私を許して・・・。」
西園寺さんのことを心に刻み続けそれをバネにして一人で逞しく生きてまいります。
西園寺さんのことは生涯決して忘れることはできません!
ズッ-ト見守っています。」
当時の裕樹はぎらぎらと権力欲を漲らせてはばからず、男の幸せとは客観的要素が決定的に左右するとの考えを頑なに堅持していた。
常に誰に対しても自信満々の態で、将に縦社会のトップを目指し、挑む闘魂燃え滾る絶頂期であった。
従って雪乃との別れも”去る者は追わず”と日ごろ口にしていた彼の信条の一コマに過ぎなかった。
然しそんな強がりの彼も時として雪乃への想いをいまだに断ち切れない場面もあった。
雪乃そっくりその少女は
すばやく山田の額に手をあて、更に自分の額を山田に当て、
「大変な高熱です、ちょっと待っててください、
応急処置を急がなければ・・・」
信号を横切り暫らくすると超ス
ピ-ドで信号を亘り息を切らせながら戻ってきた。
「山田さん之をまずゆっくりとお飲みになっててください」と
自動販売機で買ってきたと思われる
冷えたポカリスエットの缶を手際よくあけ口元に差し出した。
「すいません」と山田が上手そうに飲みはじめたのを確認してから,
ホッとしたような笑みを浮かべ少女はもう一つの
冷凍してあるコカコ-ラに
自分の花柄の ハンカチ-フを巻き、山田の額におしつけて「こうやってすこし冷やしててください」
裕樹は再び雪乃とダブらせて少女の一挙一動を射るが如く目で凝視していた。
聡明感漂う、立ち居振る舞い。
しなやかに伸びた指。
美しい手の表情。等の
全てが瓜二つだった。
「事実は小説より奇なり」と言う、ひょっとしたら」と妄想が彼の頭を駆け回っていた。
同時に、本当は雪乃を今も愛していることを今更ながら思い知ったのであった。
「先生も、之で一安心ですねっ!」と、
「クスっ」と明るく笑った。
少女の話によると10分前から二人の様子を観察し、会話も全部聞いてしまったこと、自分が出て行かなければ、収拾がつかないと確信しての行動だったらしい。
山田のこともさることながら、裕樹の苛立ちや困惑顔を見るに見かねて心配になりこの場から去り難かったので失礼とは思ったがつい立ち聞きしてしまったとのことであった。
「先生のお名前は?!」
「西園寺裕樹です」
「さ・い・お・ん・じ」 「ひ・ろ・き・・さん」
「私の名前は、滝川遼子です。」
「西園寺さんがそうであるように、
私も自立し、一生独身を貫きます。
そして将来、医師として
ひとりでも多くの
人の命を
救う為の道を
歩もうと思っています。」
「近くで父と待ち合わせをしておりますので、この辺で失礼します。」
少女に山田の缶コ-ラ等の代金として500円玉を渡そうとした、当初拒んだが、
「子供の無駄ずかいはよくない」と裕樹に促されると、
「西園寺さんは男が男であったた時代、女が女であった時代を取り戻さなければならない、確かそうおっしゃっておられましたネッ!」
「判りました、西園寺さんに従います。」と言い、渋渋500円玉を受理した。
「ありがとう、本当に助かった!」山田も立ち上がり腰を90度に曲げ深々と頭を下げ少女にお礼を言った。
少女が医師会館の方へ向かって走り出したが、裕樹と山田はその場で立ったまま、しばし見送った。
その間、可愛いしぐさで3回振り返り、そのたびに笑顔で大きく手を振った。
「じゃ行こうか」と二人が再び医師会館を背を歩き出した途端、
「トントン」
少女は裕樹の背中を叩き
「西園寺さん、之、私がいちばんたいせつにしていたものです」と
裕樹の手をとり、子熊の柄のハンカチ-フを
確りと握らせるや否や、一目散に、走り去っていった。
恥じらいを隠すように・・・。
次回は9月
「死なせてはならない」です。
平成24年8月21日
西川攻(さいかわおさむ)でした。